首長インタビュー

桑名市長 / 伊藤徳宇

伊藤徳宇 桑名市長

マイクロキャビン創業者・大矢知直登がホストを務める「プラス対談」。今回のお相手は伊藤徳宇桑名市長。フジテレビ社員というサラリーマンの頂点というべき立場を捨て、地方議員に立候補したという異色の経歴の持ち主だ。そんな伊藤市長のユニークな人生を語ってもらった。

大矢知 この対談は今まで友だちばかりだったんですけど、今回初めて、初対面の方となんですよ。僕のことはご存知ですか?

伊藤 もちろん存じ上げています。

大矢知 ゲーム会社をやってたんですけど、55歳で会社を売却してリタイアして、今は「一人JC」というか(笑)、なんか地元の役に立ちたいなぁと思って活動しています。例えば起業したい人がいたら、自分の人脈を生かして手助けしてあげたりとか。特にIT業界とかゲーム業界とかは人脈もあるし。

伊藤 先日、商工会議所の創業塾の方々と意見交換をしたんですけど、桑名では飲食業で創業しようとする方が非常に多いんです。「てっぺん」の大嶋さんが成功している影響なんでしょうかね。

大矢知 大嶋啓介さん、すごく成功してますよね。四日市も同じで、飲食で起業したいという人が多いです。今年四日市の産業活性化戦略会議の中の都市型産業等誘発分科会の委員を務めています。委員は三井不動産中部支店長の田邉さん、四日市出身で株式会社イプシマーケティング研究所の野原さんと僕の3名なんですけど、そこで「街中で飲食のインキュベートをやろう」という話が出てるんです。ブースを小さくして、飲食店をやりたいという人に貸すんです。

伊藤 屋台村みたいなイメージですか?

大矢知 もう少し大きいですけど、そんな感じですね。あと潰れた店がたくさんありますから、そういう店を借りあげて試験的に学生にやらせてみたり。そんなことを計画しています。

伊藤それは面白いですね。創業塾もはじめて4年目になるんですが、次、どういう方向にしようか模索している状況なんです。

大矢知 じばさんのインキュベート施設に入ってくる人って、IT系で起業したいとしたいという人が多いんですが、残念ながらほとんどがバンザイしてしまいますね。逆に優秀な人は東京へ戻っていってしまう。

伊藤 本当はそういう方が地元でがんばってくれるといいんですけどね。

大矢知 やはり東京にいないとお金が取れないんでしょうね。地元の良さもたくさんあるのに。

伊藤 それはわかります。私も地元の良さに憧れて戻ってきた一人でしたから。

大矢知 東京で働いているんだけど、地元に帰って親の面倒を見なければならない。そういう人が地元に戻ってきて働ける環境を作ってあげるのが大事だと思うんです。実際はなかなか難しいですけど。

伊藤 そうですね。食べていけるようになれば戻ってきてもらえますよね。実は最近、桑名に蛤が戻ってきたんです。平成7年に1トン切ってたんですけど、今は約200トンまで回復しました。そしたら若い人たちがどんどん漁師になってるんです。

大矢知 へぇ~、いいことですね。

伊藤 朝が早いとか大変なこともあるんですけど、蛤を採るだけ、蜆を採るだけでご飯が食べいけるってわかったら、若い人がほんと増えました。こういう例は日本で他にないんですよ。「奇跡の漁港」と言われてます。

大矢知 それは凄い!

伊藤 放流したり漁獲制限をしたり、資源管理をしっかりしなければならないので、収入は一定以上増えることはないんですが、でも毎月サラリーマンと同じぐらいは稼げるんですよ。今後は蛤全体の価値をあげるといった取り組みもしていかなければならないなと思っています。

大矢知 政治家の方って、あまり若い頃のことって語ってないんですよ。でもそういう話って、その人の魅力になると思うんです。ですから、若かりし頃のエピソードなんかをインタビューで掘り出したいな、と。市長はどんな小学生、中学生だったんですか?

伊藤 私の家は山奥でして、多度町の美鹿です。

大矢知 美鹿ですか。知ってますよ。鹿、出ますよね(笑)。

伊藤 こないだは熊がでました(笑)。今でも70世帯ぐらいです。小学生の頃は毎日、山で遊んでました。中学までは8キロあって、自転車で山を二つ越えて通学してました。

大矢知 足腰鍛えられたんじゃないですか?

伊藤 マラソンほんと早かったですね。部活は中学・高校とバスケットをやってました。高校のときはウインターカップで当会大会までいきましたよ。

大矢知 桑名高校ってバスケット強かったでしたっけ?

伊藤 ずっと四日市工業が強かったんですけど、たままたその年はうまい子がが桑名高校に集まってきて。ちょうどスラムダンク世代なんですよ。みんなでNBA見て、シューズとか名古屋まで買いにいって…。エアジョーダンに憧れてたんですけど高くて買えなくて。僕はそんな背が高くなかったので、宮城リョータみたいな選手かなって(笑)。

大矢知 大学は早稲田ですよね。

伊藤 とにかく多度から外に出たいと思ってました。だから大学は絶対東京に行こうと決めていて。それで指定校推薦で早稲田に入りました。

大矢知 どこに住んでたんですか?

伊藤 ずっと早稲田に住んでいました。歩いて歌舞伎町に飲みに行ってましたね。あと、お寿司屋さんでバイトしてましたから、まかないで常にお寿司食べてました(笑)。

大矢知 田舎から都会に出て、カルチャーショック受けなかったですか?

伊藤 東京に行って真っ白になりましたね。僕は自由になった!って感じで。

大矢知 ゼミは何をやられてたんですか?

伊藤 情報社会論です。ミーハーだったので。私が大学に入ったのは95年、ウインドウズ95が出た年ですよね。その頃はITバブル全盛で、藤田さんやホリエモンが脚光を浴びていた時でしたから。

大矢知 そううそう、ITバブルの時代でしたね。当時、ソフトバンクも業績が悪くて、僕ら「潰れるんじゃないか?」って噂してたんですけど、ITバブルで息を吹き返して急成長したんです。コムデックスっていう会社を買収したり、出版社を買収したりしてどんどん大きくなっていって。孫さんとは仲良かったんですよ。

伊藤 へぇ~、そうなんですか。そういえば、「楽天はうまくいくのか?」ってゼミで議論した覚えがあります。「本当にインターネットで物が売れるのか?」って(笑)。 

大矢知 技術が先じゃないんですよね。まずビジョンがあって、それを実現するために技術を進歩させる。ジョブスが「こんな機械を作りたい」って言って、「そんなの無理です」って部下に言われても、それを押し切って作らせたからiPhoneとかiPadができたわけでしょ。三木谷さんや孫さんは、それを考えれたんでしょうね。僕らは現実的だから「そんなのムリムリ」って(笑)。

伊藤 先を見通す力なんでしょうね。

大矢知 IT業界だけじゃないですよね。5年後、10年後を読んで手を打っていく人が成功する。中には行き当たりばったりで当たる人もいますけど(笑)。

伊藤 人それぞれ、いろんなパターンがあるんですね(笑)。

大矢知 で、早稲田を卒業してフジテレビへ入社されたんですよね。

伊藤 2000年に入社しました。当時は就職氷河期と言われていて、私の同期は29人と少なかったんです。受験したのは何万人という数だと思うので、なぜ受かったのか今だに不思議です。

大矢知 アナウンサーではないんですよね。

伊藤 はい、一般職で。

大矢知 一般職だとプロデューサーとかになるんですか?

伊藤 当然、そういう道もあります。私は最初3年間は営業で広告枠を売ってました。まさに毎晩飲む仕事で、靴にお酒を入れて飲む、みたいなノリでやってました(笑)。その後、3年間は衛星放送のいろんな番組のプロデュースというか、企画担当ををやってました。ものすごく楽しかったです。

大矢知大矢知 自分の思う通りの番組が作れるんだから、楽しいでしょうね。

伊藤 予算は地上波でやるより全然少ないんですけど、自分たちが「面白い!」って思った番組は視聴者の反響も凄かったですね。

大矢知 どんな番組を作られたんですか?

伊藤 僕が担当したのは「ゲームセンターCX」っていう、よゐこの有野さんがひたすらファミコンをやり続けるというマニアックな番組でした。ファミコンの画面と有野さんしか写らないんですけど、これが当たりまして、DVDが年間15万本売れたんですよ。当時、地上波の「はねるのトびら」のDVD売り上げが年間5万本でしたから、お化けDVDって言われました。

大矢知 そりゃ凄い。ゲーム好きの人たちにハマったんでしょうね。

伊藤 特にレトロゲームが流行った頃だったので、ちょうどそれにハマったんでしょうね。番組作りは本当に面白くて、非常に楽しい毎日でした。テンションが上がってしまって、全然寝なくても平気でした。
大矢知 それはうらやましいなぁ。

伊藤 おまけに、サラリーマンとしては結構な収入も頂いていました。正直、収入面では今は勝てないです。こんなに頑張ってるのに(笑)。面白い人もいっぱいいました。今思うと、みんな躁状態でしたね。

大矢知 それはゲーム業界も同じようなもんです。みんな悪ノリです(笑)。今はパズドラが熱いですよね。ガンホーの創業者は孫さんの弟さんなんですよ。

伊藤 泰蔵さんですよね。実は学生の時、2、3度お会いしたことがあります。

大矢知 泰蔵さん知ってるんだ。

伊藤 当時は結構きついみたいな話されてたんですけど、それが今や大成功ですからね。

大矢知この業界、ほんと入れ替わりが激しいんですよ。今やDMNもグリーも以前の勢いがありませんし、ガンホーも次の手が出せるかどうかってとこですね。

伊藤 私はそういう業界には行かなかったですけど、凄い世界ですね。

大矢知 ゲーム業界には伊藤さんみたいに真面目な人、少ないですよ。怪しい奴が多い。「こいつの話、信用していいのかな?」ぐらいで聞いておかないと、後でえらい目に合う(笑)。

大矢知 地元に帰って政治家になろうと思ったきっかけは?

伊藤 たまに桑名に帰省した時はいつも「駅前が見るからにどんどん寂れていくなぁ」って心配してました。パルが潰れてその後10年ぐらい放置されてましたよね。人通りも少ないし、桑名大丈夫なのかな?って。その頃、東京で渋谷区の区議会議員やってる人と知り合いになったんです。博報堂を辞めて政治家になった変り種なんですけど、その人に「地元が元気がないんですけど、どうしたらいいでしょう?」って話をしたんです。そしたら「君は他人事みたいに言ってるけど、もし本当にそう思うなら、自分で桑名を活性化するぐらいの気持ちを持たなければいかん。君は政治家って凄く遠いと思ってるかもしれないが、政治家は街をプロデュースする仕事だ。自分は博報堂で培ったノウハウを使って渋谷という街を元気にしようと思ってる」と言われまして、衝撃を受けたんです。

大矢知 なるほど、そうですよねぇ。

伊藤 そんな道があるんだ~と思って、会社を辞めて桑名市議会議員に立候補することに決めたんです。

大矢知 でも選挙に出るには応援してくれる組織とか必要ですよね。

伊藤 地元に組織とかは全然なかったですね。親も嫁も驚きましたよ。特に嫁は東京で結婚してるし、テレビマンと結婚したつもりが田舎で政治家を目指すっていうんですから、離婚されてもおかしくないですよね。でもそこは企画屋なんで「東京から桑名まで行くのに一番遠い距離で帰ろう」って嫁に提案したんです。羽田(成田?)から世界を一周してセントレアに帰ろうって。そしたら嫁も面白がってくれまして。嫁と108日間、バックパックしょって世界一周してきました。

大矢知 それはいいですね! どういうルートで?

伊藤 オセアニアから南米に入って、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを回って帰ってきたんです。その間、ABロードさんでブログを書いて少しお金を稼いだりしてました。

大矢知 日本に帰ってきてからは、すぐ選挙活動を始めたんですか?

伊藤 2005年の12月末に会社を辞めて、3ヶ月海外を放浪して、次の年の11月が選挙だったんです。ゼロからのスタートでした。駅前で立ってしゃべったり、チラシ配ったり。今から思うと無謀だったなと思います。

大矢知 桑名って僕らから見ると「お殿様」っていうか、旦那衆が多いってイメージがありますけど。

伊藤 まさにそうですね。旦那衆が多い旧桑名と、名古屋に通う人たちが多い新興ベッドタウンと、2つに分かれてるんです。

大矢知 名古屋市民だと思ってる人も多いんじゃないですか?(笑)。

伊藤 名古屋市桑名区って言われてます(笑)。

大矢知 名張と一緒ですね。名張って「電話番号を06にしよう」って変な運動があったぐらいですから(笑)。

伊藤 そういう新興住宅地の方たちは誰の支持って決まってないと思ったので、その方たちに向けて桑名を元気にする方法をアピールしながら選挙活動をやりました。

大矢知 劇的な一年でしたね。

伊藤 ええ。でも決めるとやっちゃう方ですから。収入は減りましたけど、目標は達成できました。

大矢知 お金はあった方がいいけど、無くても心の充実ってのは大切ですからね。

伊藤 そうですね。今の方が充実していますね。テレビマン時代は楽しかったけど、今は楽しいだけじゃなくて、いろんな人との深いつながりができたりしますから。

大矢知 会社の社長と首長はどこが違うんだろう?っていつも考えながらインタビューしてるんですけど、一番の違いは「社長は社員を首にできるけど首長はできない」ってとこだと思うんです。そういう立場で人心を掌握していくのって大変なんじゃないですか? 特に前の市長は17年もの長い間やられてましたよね。そんな状況で新しく市長になられたんですから。

伊藤 普通、企業は退任する社長が次の社長を指名して継承していきますよね。でも首長の場合は、M&Aに近いんです。選挙で戦って相手を倒して入ってくるんですから。

大矢知 なるほど。職員から見たらそんなイメージでしょうね。

伊藤 市長になった当初は「こうして欲しい」というのが職員にうまくニュアンスが伝わらなくて、どうやっていったらいいか悩んでました。それで、副市長として県職員OBの伊藤さんという方に来てもらったんです。私が議員の頃から勉強会等でお会いして知ってる方だったんですが、話が合うというか、阿吽の呼吸で話ができるんです。伊藤さんは行政の仕事もわかっているし、私とも話ができる。彼に間に入ってもらってから、私の意を職員に理解してもらえるようになりました。首長っていきなり一人で組織に入って行って、一人でやらなければならない難しさがあると思うんです。特に地方自治体は。そういう時、しっかり右腕になる人がいてくれると、組織が動いていくんだなと思います。

大矢知 右腕が必要だって話は企業経営も同じですね。今、うちの会社で社長をやっているリクルート映像出身の奴が、僕が社長だった頃は右腕として働いてくれてたんですけど、凄く優秀で助かってました。さっきのフジテレビの話じゃないけど、うちも全盛期は1人採用するのに1500人の応募があったんですよ。

伊藤 それは凄い。

大矢知 でも業績が悪くなってくると優秀な人材を確保するのが難しくなってきて。「優秀なヤツ来ないかな~」って言ったら、そいつに言われたんです。「そんなヤツ来ないですよ。優秀な奴は自分で会社作りますよ」って。いいこと言うなって思いました(笑)。

伊藤 会社の2代目とか大きな組織のマネージメントをしたことがあるという人なら、すぐ組織の管理もできたんだろうと思いますけど、私は番組を作った経験と市会議員をやった経験しかない。しかも若いから、どうやって職員とコミュニケーションを取ればいいか悩みました。

大矢知 でも若さって大事ですよ。若い人が首長になると急に組織が元気になるのを何度も見ました。逆に間違った人選でトップが決まった組織は元気がなくなるってのも経験しましたけど(笑)。そういう意味で「桑名これから面白いんじゃないか」と思ってます。

伊藤 三重県は若い首長、多いですよね。

大矢知 政治は若い人がやった方がいいですよ。失敗してもいいんです。ベテランの人たちがサポートすればいいんですから。

伊藤 今度「桑名ドリームプロジェクト」というのを立ち上げたんです。若手職員たちに桑名の夢を語ってもらうというものです。政策とか事業とか考えずに、どんな桑名にしたいのか夢を語ってもらい、それをコンテスト形式にして一番になったら調査研究費をつけるというものです。桑名が少しでも元気になればいいなって思ってやりました。

大矢知 先日、四日市の産業活性化委員会のメンバーで島根に旅行に行ったんですけど、出雲大社にお参りした後、昼食は米子で食べたんです。距離は結構あるんですけど、三重から見たら同じ島根ですよね。同じように東京から三重を見たら、桑名も四日市も鈴鹿も湯ノ山温泉もひとつなんです。だから自治体がうまく連携して観光客を誘致すれば、相乗効果が出ると思うんです。例えば去年、アクアイグニスに年間80万人の人が来たんですが、そのお陰で菰野町の旅館や湯ノ山街道沿いのお店の売り上げが倍増しましたからね。

伊藤 このへん全体でひとつっていうのは、よくわかりますね。

大矢知 伊勢神宮へ行った後、四日市で泊まって、湯ノ山やジャズドリームへ寄って帰るって観光客も多いそうです。そういう意味では四日市ってハブになれるんじゃないかなと思ってます。四日市コンビナートの夜景ってのも観光資源としていいし。

伊藤 首長どうしで広域観光の話はよくするんですよ。それをより強固にしていく必要がありそうですね。

大矢知 セントレアでトランジットしてる外国人を四日市競輪に連れて来れば、お金落としてくれると思うんです。

伊藤 それ、面白いですね。

大矢知 蒲郡競艇ではすでにやってるんですよね。
伊藤 そうなんですか。三重県で観光っていうと、どうしても南の方になってしまうのは仕方ないと思うんです。だから北勢地区は、自分たちで打ち出していかないとダメなんでしょうね。

大矢知 楽しところたくさんあるのにね。

伊藤 もともと豊かな土地ですから、あまりPRする必要がなかったんでしょうね。お伊勢参りで歩いてくる人が勝手にお金を落としていくし。

大矢知 桑名は譜代の松平藩だし、隣の四日市は天領だし、万々歳ですよね。

伊藤 僕は旅が好きで、バックパックしょっていく個人旅行なんですけど。で、外国版「地球の歩き方」って感じの「ロンリープラネット」っていう本があるんですが、北勢地区は載ってないんです。名古屋の次は伊勢なんです。これじゃ外国人は来ないなって思いました。そういう意味ではメディア向けのPRもしていかなきゃならないですね。

大矢知 東京から四日市へ来て、住み着く人って多いんですよ。住みやすいし、人がのんびりしてるし。来てみると良さが分かるんですけどね。

伊藤 東洋経済が発表している「住みよさランキング」でいうので、787ある街の中で桑名は23番なんです。大都市に近いとか、自然環境が良いといったパラメーターで計ってるんですけど。でも「桑名に住みたいですか?」というランキングでは604位と全くダメなんです。つまり住んでる人はみんな住みやすいと思ってるんだけど、それが全国的に知られてないんです。

大矢知 医療も充実してるし、待機児童もいないし、仕事もたくさんあるのにね。

伊藤 それなのに604位なんて、あり得ないと思うんです。来年度はそのギャップを埋めていきたいと思ってます。

大矢知 頑張って下さい。期待していますよ。

大矢知直登プロフィール

27歳でパソコンゲーム業界の草分け的存在であった(株)マイクロキャビンを創業。ミステリーハウス、サーク、めぞん一刻などのゲームをヒットさせ、パソコンゲーム業界では不動の地位を確保する。その後、業界の変遷に併せて3DO,セガサターン、プレイステーションなどのゲームソフト開発、ザウルスに代表されるPDA向けソフト開発、パチンコ向け映像ソフト開発等を手がける。2008年に上場企業であるAQIに全株式を売却、2010年秋に本格的にリタイアする。元CESA(社)コンピュータエンタティメント協会元理事・元監事。企業活動以外では青年会議所活動に参加。1991年度日本JC情報ネットワーク委員長、1992年度には四日市青年会議所の第38代理事長を務める。現在は四日市西ロータリークラブに所属。2011年~2012年の幹事を務める。公職としては、三重県のベンチャー達人委員など中小企業を応援する役職を歴任。現在、四日市市行財政改革委員会委員。四日市市産業活性化に関する懇話会委員都市型産業誘発分科会委員

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