PERSON~三重の人物紹介

ヘルプマークアンバーサダー / 田中麻利絵 2

ヘルプマークの普及活動をしよう!と決意

 周りの人がヘルプマークのことを知ってたら、わざわざ「私、病気です」なんて書かなくてもいいですよね。病気の名前って言いたくない人もいますし。だから、ヘルプマークをもっと広めるための活動をしよう!と決意しました。 
 じゃ、ヘルプマークを広めるためにはどうすればいいか?って考えて、河村名古屋市長なら喋りまくってくれるんじゃないか(笑)と思ったんです。それで名古屋市の秘書課に電話して「どれぐらい署名を集めたら河村市長はヘルプマークのことを語ってくれますか?」って聞いたら「一万枚あったら市長も驚かれるのではないでしょうか」と言われたので、署名を一万枚集めることにしました。
 私は友人が多いタイプではないので、仕事でお世話になった経営者の方、母の友人たち、フェイスブックで知り合った大学生の男の子でひとつのチームになってもらい、署名活動をはじめました。経営者の方は発想が派手なので「名城公園でイベントをやったら目立つんじゃないの?」といって、名城公園で開催しているマルシェに参加させてもらいました。母の友人たちは口コミで署名を集めてくれました。彼女たちが妊婦だった頃は、妊婦さんマークがなかったんですよね。「私たちが妊婦のとき、苦しかったけど誰も席ゆずってくれなかったんだよねー」って。大学生の男の子は「僕は人生で一回もいいことをしたことがない。ただでいいことができるんだから、この機会にがんばりたい」って言ってくれて、各大学のサークルを回って署名を集めてくれました。
 そうやって集めた署名、10,131人分を河村市長に持っていったんです。そうしたら市長は「こんないいもん、どんどん拡がってかないかんわ」って言われました。大村愛知県知事のところにも伺わせてもらって、それから大きいイベントに参加させて頂くようになりました。あと、昨年の11月まで三重県のヘルプマーク普及大使をやらせて頂いていました。
 イベントではステージを作って私がトークしたり、DJブースを作ってDJさんに音楽を流してもらったり。スタッフがバルーンアートを作って、子供と遊びながら親御さんに署名してもらうとか、そんなことをしていました。地域のイベントは行けることはすべて行きました。名城公園のイベント費用はクラウドファンディングで集めました。
 SNSも使いました。フェイスブックとツイッターを中心に私の情報を発信したんです。2017年の9月にNHKの『おはよう日本』に出演したんです。その後、朝日新聞の「三重でがんばっている6人」という記事で紹介されて、それがヤフーニュースにのって、そこから友だちやフォロワーが飛躍的に増えました。

活動休止を決める

 ACジャパンのヘルプマーク普及のテレビCМに出演させて頂いた頃から、どんどん大きな企業さんが絡んでくるようになって、責任が重くなってきたんです。一番多い時期は月に講演を10回ぐらい、イベントを3~4回やっていました。そうすると、つらくても穴があけられない。今日は300人のイベントがあるんだけど体調が悪いからやめます、とは言えなくなるんです。これを続けていくことは、私の人生にとって良いことではないと思うようになりました。
 発病以来、私は自分の余命を5年をひと区切りと考えています。それで、とりあえず5年生きてきたけど、次の5年というのはとても大切なんです。世のため人のために生きることは大事ですが、次の5年は自分の幸せのために使いたい、自分の時間、自分と家族の時間を大切にしたいと思いました。それに、ヘルプマークが多くの人に知られることがゴールだとしたら、ある程度、達成できたと思うんです。ですから、一旦この活動から身を引こうと思って、2019年の2月をもってNPO法人と私の会社を閉め、SNSをクローズしました。今後は、自分の体調にあわせた活動をしていくつもりです。街の語り部さんとか(笑)、そんなゆるい感じでやれたらいいなと思ってます。

多くの人に知ってもらいたいこと

 外見からは伝わりにくい病気や障害をもってる人って、立っていられなくて座っているとき、不安と後ろめたさでいっぱいなんです。そんな時「ヘルプマークを持っているんですね」と言われる方が、病気なんですね、障害なんですね、と言われるよりずっと楽なんです。あと、ヘルプマークを持ってる人が倒れてしまった時、裏に倒れたときの注意点が書いてあることが多いんです。そういったことも多くの人に知ってもらいたいですね。
 私は5年で死ぬと思っていたので、これからの私の人生は「おまけ」だと思っています。親しい人たちは私のことを「死ぬ死ぬサギ」といっています(笑)。でも、そうやってつらいことや苦しいことをあえて笑いに変えて生きていった方が、幸せじゃないですか。だから私は、どんなに病気がひどくなっても、かわいそうな顔をして欲しくない。笑顔で接して欲しいですね。

田中(旧姓・小崎)麻莉絵さん

四日市市生まれ。皇学館大学卒。28歳の時、名古屋でホームページ制作会社を設立。34歳で結婚。現在は高校教諭の旦那さんと二人暮らし。

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  1. 北川雅子 より:

    先ほど「めざましプラス」にご出演の田中さんを拝見しました。

    ヘルプマーク、私は初めて目にしたのが電車内で奇声をあげて鞄を振り回している方で少し怖かったため、ヘルプマーク=距離を取った方がよい人のイメージをもってしまっていました。けれども、今回の田中さんのインタビューは非常に心に響き、また「お体がキツいご病気の方」がいらっしゃる、という概念のなかった自分を反省しています。

    還暦を迎えた笑顔の田中さんをテレビ、ネットで目にする日を心待ちに、私も一日一日を大切に生きていきたいと思います。田中さん、どうぞお体お大事になさってください。

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