首長インタビュー

亀山市長 / 櫻井義之

櫻井 義之

四日市看護医療大学学長 丸山康人がホストを務める「プラス対談」。今回のゲストは櫻井義之亀山市長。20年に一度行われる「東海道関宿東追分一の鳥居お木曳き」を数日後に控え、たいへんお忙しいにもかかわらず、快く対応していただいた。今年は旧亀山市と旧関町が合併し、新亀山市制がスタートして10年目。これまでの歩みを振り返りつつ、今後の市制運営のビジョンとして『新生・亀山モデル』の要、「持続可能な社会づくり」についてお話をうかがった。

丸山 本日はよろしくお願いします。市長は昭和38年亀山市のお生まれですが、学生時代の思い出などお聞かせいただけますか。

櫻井 亀山中学、神戸高校と学生時代はバレーボールに熱中しました。高校ではキャプテンを務めましたが、華々しい成績には至らず、まさしく汗と涙の青春時代でした。遠距離のバイク通学が認められた唯一の県立高校であり免許取得までの1年間は、自転車で通学はもちろん四日市・津まで遠征試合に行ったことを覚えています。お陰でずいぶん足腰が鍛えられました。

丸山 ところで、当時からすでに政治家志望だったのですか?大学では何を学ばれたのですか。

櫻井 大学は社会学部を選びました。政治に特別な関心はありませんでした。どちらかと言うと、社会と人間との関わりや仕組みに関心がありました。産業社会も一番の興味で、アルバイトなどの経験を通じ、シンクタンクへの就職を決めました。企業のマネジメント戦略や人材育成、国や自治体のマスタープランなどを手がける総合コンサルティング会社です。広島勤務でした。余談ですが、広島は私が大好きなまちの一つです。元々は企業経営に関心がありましたが、それ以上に仕事を通じてまちづくりや地域社会づくりに傾注していきました。そのうち故郷のまちづくりに参画したいという思いが募り、平成3年の市議選にチャレンジするつもりで、26才のとき会社を辞め帰郷しました。平成元年の春のことです。

丸山 ご親族に政治家はいらっしゃったのですか。

櫻井 縁戚に市議会議員がいた程度で、それ以上は‥‥‥。地盤も看板もカバンもない青二才(自分)が地元へ戻ってきたわけです。ですから当時、私に対してきびしいものがありましたね。「この若造はいったい何を考えているのやら‥‥‥」と。

丸山 では、市会議員になるためにどのような活動をされましたか。

櫻井 中央の政党とは距離を置いていました。どちらかと言えば、ボランティア活動やまちおこしグループに入ったり、ママさんバレーのコーチを頼まれたりとか様々な地域活動に加わりました。

丸山 ニーズを掘り起しながら将来の自分の役割を探ろうと活動されていたわけですね。当時から将来は市長になろうという意識はなかったのですか。

櫻井 はい、ありませんでした。市長はもちろん県議も念頭になかったですね。とにかく亀山を良くしたかった、まちづくりに新しい潮流を生み出したかった。そんな青い気持ちだけでしたね。当時、亀山市は今井正郎市長の6期目の長期政権下にあり、地方の時代が叫ばれるなか新しい地方政治への脱皮が望まれていました。

丸山 そうでしたね。市議選の手応え、それとなりたいと思った市議会議員と現実の市議会議員とのギャップはありましたか。

櫻井 市政に新風を吹かしてくれるのではという市民の期待感に支えられ、若干28歳の青年を市議会に送り出していただきました。ところが、議員として活動をはじめますと、実際の行政の仕組みや議会の実態は外から想像していたものとは随分違うことに戸惑いました。国の中央集権体制にどっぷりと組み込まれた主従関係、行政内部のタテ割りや前例踏襲主義など違和感だらけでした。地方分権を急がねばならないとの危機感を感じていました。

丸山 県議会に移るきっかけになったのは、やはりそういう点ですか。4期にわたる県議時代の感想も聞かせてください。

櫻井 平成7年の統一地方選で県議選に挑戦しました。その前年の2月に旧亀山市長選、4月に旧関町長選があり、両市町ともに新世代の首長を迎えました。これらの余波や地方分権への胎動とあいまって、県議への転進を打診されました。亀山のまちづくりにこだわっておりましたので、当初お断りしておりました。でも最終的に地域の皆さんからの熱い期待に応えるべく決意し、厳しい選挙でしたが僅差にて初当選させていただきました。まさに北川県政が動きだした時で、情報公開や協働の分野でアクションを起こされた強靭なリーダーを迎え、県政のダイナミズムを感じながら、未来への希望に燃えていました。北川知事・野呂知事との4期14年間の県議時代は、まさしく三重県の変革期にあたり、私自身言葉で言い尽くせないほどの貴重な経験をさせていただいたと思います。やりがいもありました。もうお一方、先頃ご逝去されました元三重県議会議長・岩名秀樹さんを忘れることができません。一連の県議会改革の先頭に立たれた率先垂範の人であり、多くの示唆をいただきました。また、平成17年には北勢地域選出の県議と市議・町議が広域的な政策研究と連携をしていこうと呼びかけ、岩名さんが代表、私が幹事長を務める「北勢地域自治体議員協議会」を立ち上げ、北勢地域がゆるやかにまとまることを志向しました。平成19年に正副議長としてご一緒させていただいた直後、ともに新たな志で同時期に辞職しました。不思議なご縁と懐かしさを感じます。

丸山 現代日本の課題に対応していくためには、県政のバランスを考えたり、関係自治体が連携しながら様々な施策を展開していく必要があります。18年間にわたる市・県議の仕事、いい経験をされたわけですね。

櫻井 平成20年10月、市長選出馬にあたり県政を去りました。平成17年に合併した亀山・関両市町が一体感を醸成する大事な時期でした。新たなビジョンと政策が必要だとの信念で、市長選へ立候補しました。

丸山 そうでしたね。

櫻井 平成14年から始まる液晶産業の集積がこのまちに躍動を産み出したのはご案内のとおりです。しかし、平成20年の秋、リーマンショックが日本を直撃します。もはや地域経済は従前の右肩上がりでなく、本市は都市経営の転換点にきているとの認識で、従来のままのまちづくりを進めることに限界を感じていました。

丸山 政治家としてのビジョンが明確になりつつあったのですね。そして、平成21年2月に市長に就任されました。マニフェスト「新生・亀山モデル」について伺いますが、どういうイメージで描かれたのですか。

櫻井 「サスティナビリティ(持続可能性)」をキーワードに、亀山のまちづくりや行財政改革に踏み込むための設計図です。一旦馬力ではなく、将来世代への継承を考えたまちのあり方を示したつもりです。環境、文化、健康の政策領域を重視し、情報共有や協働など従来不透明であった部分に光を当て「開かれた市政」を目指しました。また、超高齢社会が加速するなか、平成22年7月にはWHO(世界保健機関)が提唱する健康都市・健康寿命の考えに賛同し「健康都市連合」に加盟しました。一方、平成25年6月には東京都荒川区の呼びかけに共感し「住民の幸福実感向上を目指す基礎自治体連合(幸せリーグ)」に加わりました。いずれの都市連合も、各都市にあったサスティナビリティをどのように展開していくのか、なかなか難しいテーマながら試行錯誤を重ねて、政策力と地域力を高めていきたいと思います。

丸山 早いうちからサスティナビリティという概念に着目され、市長として今このまちに合った政策の具現化に取り組まれていますね。さて、今年は新市制10周年。印象的な事柄とともに振り返っていただけますか。

櫻井 振り返れば、あの衝撃的な企業立地から早や13年です。最先端の液晶TV「亀山モデル」で一躍名を馳せることとなりました。亀山は古くからの交通の要衝の地であり、多様なものづくり企業が立地する内陸工業都市の性格を持っていましたが、その特性が格段に強化された訳です。一方で好むと好まざるとに関わらず、熾烈なグローバル競争下にある国内外の企業間・メディア間のすさまじい情報合戦に引きずられ、地方中小都市がその空中戦の真っ只中に身を置くという体験もいたしました(笑)。この10年間のシャープ(株)ならびに関連企業群が地域社会に与えた影響は、単に経済・雇用・財政などへの貢献のみならず、有形無形の多岐にわたる貢献でした。とりわけ、シャープ亀山工場のCSR活動には目を見張るものがあり、私どもは力強く感じています。「会故(エコ)の森」は、亀山工場を先頭に各企業や市民による市有林の環境保全活動です。また、工場の皆さんが学校への出前授業などを通じて子ども達に、また生涯学習における亀山市民大学においても環境教育や情報教育を行っています。このような取り組みの中から、市民が主体的に環境問題とかかわり実践する地域リーダーが生まれてきました。都市のキャパシティを超える急激な経済成長が地域の自然環境や人的環境を破壊する力を持つことがあります。また往々にして、分度を越えた経済的エネルギーが人心や社会を変質させてしまうこともあります。幸い本市は、これらを通じてしたたかに適応してきた様な気がしないでもありません。

丸山 真の豊かさについてのお考えと、市制10周年を迎えたご感想をお聞かせください。

櫻井 平成16年の夏、私はコペンハーゲンにあるEU環境総局を訪ねる機会がありました。持続可能な社会づくりを都市政策として具現化するヒントを得るためです。彼の地には、単に政策制度だけでなく、成熟社会に備わる落ち着きとでも言うのでしょうか、実に穏やかな日常生活を重視する市民社会がありました。サスティナビリティの神髄に触れた気がしました。日本は今や世界一の長寿国であり、社会的・経済的にも先進国の一員です。ところが、国民の幸福実感はどうでしょう。衣・食・住満ち足りたものの「無縁社会」と称される地域・家族の絆の分断、「格差社会」と言われる心理的ストレスの増大とか、必ずしも人々が幸福を実感していない現実に昨今つき当たることも多くあります。私たちが真の豊かさを実現するためには、豊かさの意味を見つめなおす必要がありそうです。国の地方財政審議会会長で本市ともご縁のある神野直彦・東京大学名誉教授は、「将来に継承すべきは祖先から受け継いできた豊かな自然、先人が知恵を絞って築いた人間関係、そこから培われた文化だ。物質的に豊かになることでなく、ふれあい協力することが幸福だと気づき始めている」との考え方を示されています。亀山には鈴鹿山系に代表される美しい自然環境があり、城下町・宿場町として栄えた歴史と文化が残っています。そして、何よりも力強いコミュニティの存在があります。社会経済の激しい変化を乗り越えることができたのも、市民の一体感があってこそ。そして地域力が鍛えられ、新市の仕組みが徐々に機能してきたようです。

現するためには、豊かさの意味を見つめなおす必要がありそうです。国の地方財政審議会会長で本市ともご縁のある神野直彦・東京大学名誉教授は、「将来に継承すべきは祖先から受け継いできた豊かな自然、先人が知恵を絞って築いた人間関係、そこから培われた文化だ。物質的に豊かになることでなく、ふれあい協力することが幸福だと気づき始めている」との考え方を示されています。亀山には鈴鹿山系に代表される美しい自然環境があり、城下町・宿場町として栄えた歴史と文化が残っています。そして、何よりも力強いコミュニティの存在があります。社会経済の激しい変化を乗り越えることができたのも、市民の一体感があってこそ。そして地域力が鍛えられ、新市の仕組みが徐々に機能してきたようです。

丸山 シャープは縮小したけれど、産業インフラ、そして人的なインフラが整備されました。平成30年度には新名神高速道路の亀山西ジャンクションと新四日市ジャンクションとの間も開通しますね。

櫻井 この10年余の激動と混沌のなか、試行錯誤しながら環境変化に適応してきました。当然課題はあります。しかし、この歩みは市民の皆さんと行政の英知の結晶だと受け止めています。将来的にも、まちの特性である交通拠点性が高まりつつあります。

丸山 観光地「関宿」についてはどうでしょう。街並みがとてもいい雰囲気です。

櫻井 関宿東の追分に立つ鳥居の建替えとそのための御用材を運ぶお木曳きが今年5月と6月に営まれました。神宮内宮正殿の棟持柱として20年使われ、さらに内宮宇治橋東詰の鳥居に転用され20年使われた御用材をこのたび東の追分の鳥居を立て替えるにあたり頂戴しました。関宿が重要伝統的建造物群保存地区に選定され、今年30周年を迎えました。街並みばかりでなく、ここに暮らす人の営みや文化を次の世代に伝えていきたいと思います。観光業の「業」を前面に出すのではなく、あくまでまちづくりとして、商業主義に走らない当地の人の普段の暮らしをそのままに感じていただければと思います。またこれは希望ですが、県内にある東海道七つの宿場が連携して何か意義ある催しができないものでしょうか。米国ポートランドの広域地域政府「メトロ」に倣い、北勢版メトロのような、北勢地域10自治体をゆるやかに束ねる広域自治制度があればよいと思います。県では自立促進に傾きがちですが、地域をゆるやかに繋ぐ仕組みを視野に入れるべきではないでしょうか。

丸山 最後に、これからの亀山市のビジョンをお聞かせください。

櫻井 亀山市は「小さくともキラリと輝くまち」です。その心は、まちへの愛着と誇りがQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上につながると考える住民が内発的に自らのまちをよくしていくことを期待するものです。これがうまく循環し、次の世代でも循環していくまちづくり・ひとづくりを志向していきたいと思います。循環・産業・教育など様々な施策をタテ割りでなく、統合しながら、時間をかけて、将来につながる持続可能なまちを愚直に作り上げていきたいと思っています。

丸山 「着眼大局着手小局」。世界を見つめ、県政全体をみながら、地元亀山をつくる。まさに市長自身が掲げている座右の銘のとおりに実践しておられ、、誠に敬服いたします。本日はたいへん貴重なお話をうかがいました。ありがとうございました。

櫻井義之氏プロフィール

1963年生
■学歴
1981年3月 三重県立神戸高等学校 卒業
1986年3月 関西大学社会学部  卒業
■公職歴
1991年4月~1995年3月   亀山市議会議員 (1期)
1995年4月~2008年10月 三重県議会議員 (4期連続)
2001年5月~2008年9月  リニア建設促進議員連盟・会長
2003年5月~2004年5月   三重県監査委員
2007年5月~2008年5月   三重県議会・第101代副議長
2009年2月         亀山市長就任
■現在の主な公職
全国伝統的建造物群保存地区協議会 理事
一般社団法人 三重県社会基盤整備協会 理事
三重県市長会 副会長
三泗鈴亀農業共済事務組合 副管理者
鈴鹿亀山地区広域連合 副連合長   など
■座右の銘
「着眼大局着手小局」
■趣味
街なみ散策、映画演劇鑑賞、温泉

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