【取材/2013年】
鈴鹿・若松の「魚長」。「穴子」といえば「魚長」と思い浮かぶほどの有名店だ。その成功は、穴子を求めて東奔西走した、赤須誠一の努力の結果だった。
父の急死と混乱
魚長の創業は昭和50年。料理職人だった現社長の父・赤須茂雄が魚長支店という割烹料理店をオープンさせたのが始まりだった。茂雄の実家は『魚長』という老舗の魚屋だったため『魚長支店』という名前にした。
現社長で茂雄の息子の誠一は昭和54年、高校を出て魚長支店に入った。
「オヤジは気難しくて酒飲みで好きじゃなかった。だから後を継ぐのは嫌だったんですけど、母親がどうしてもというので、跡を継ぐことにしたんです」。
誠一は外回りばかりして、料理はほとんどやらなかった。父親と同じ厨房に立つのが嫌だった。
昭和62年3月、魚長支店は『海の幸 魚長』という名前でリニューアルすることになった。収容人員200名の現在の店舗が建てられた。しかしリニューアルオープンの20日前、茂雄が急死してしまったったのだ。頼んでいた料理人にも「茂雄さんがいないなら行かない」と断られた。誠一(以下・赤須)は困り果ててしまった。急遽、違う料理人を頼んだが、先代の味を知る常連さんたちには評判は今ひとつ。母親が父親の味をなんとか再現しようと頑張ったが、それも限界があった。新しい「自分の味」を作らなければ~赤須にとって試行錯誤の日々が始まった。
アナゴ専門店として再スタート
転機になったのは「地元のアナゴを使ったらどうか?」というお客さんのひと言だった。当時、伊勢湾はいいアナゴが取れ、毎日のようにセリが立っていた。赤須は東京・銀座に美味しいアナゴの刺身を出す店があると聞き、銀座まで食べに行った。「アナゴもなかなか美味しいなぁ」と思うようになり、徐々にアナゴ料理を増やしていった。しかし当時はまだ「アナゴ専門店」とうたってはいなかった。
そんなある日、中京テレビの『ズームイン朝』で、魚長のアナゴ料理が紹介された。放送直後から電話が鳴りっ放しになった。アナゴを求めて三重はおろか全国からお客さんがやってきた。
「灯台元暗しですよね。アナゴなんていつも食べてるから、そんなにウケるなんて思いもしませんでした」。
平成7年、魚長はアナゴ専門店として再スタートした。使用するアナゴは100%伊勢湾であがったもの。梅雨時が一番水揚げが多く脂も乗っているため、その時期に獲れたものを窒素冷凍して1年間出した。アナゴ料理専門店への転進は大成功だった。アナゴの魚長の名は広く知られるようになっていった。
アナゴの不漁と養殖の成功
平成10年ぐらいから、次第に伊勢湾でのアナゴの水揚げが減ってきた。原因は乱獲と温暖化、そしてノレソレというアナゴの稚魚を食べる習慣が広まったからだった。
赤須はアナゴを求めて東奔西走した。まず知多半島に買い付けに行ったが、ここのアナゴは外海に近いため硬く、とろけるようなアナゴは少なかった。次に淡路島にトラックで買い付けに行った。しかし淡路島でも次第に獲れなくなってきた。淡路島だけではなく、日本中でアナゴが獲れなくなっていたのだ。韓国から生きたアナゴを輸入したこともあった。養殖にもチャレンジした。池を作り海水を引いてアナゴを育てたが、1年と経たないうちに全部死んでしまった。当時、アナゴの養殖に成功した例はなかった。アナゴ専門店がアナゴを仕入れることができない。死活問題だった。
平成18年、赤須は再度アナゴの養殖に挑戦する。森光と知り合ったのがきっかけだった。森光は沖縄でマグロの養殖にチャレンジしたが失敗、伊勢で魚の養殖と販売を行っていた。魚の専門家だった。赤須は森光に「ウチでアナゴの養殖をやってみないか」と持ちかけた。森光は言った。
「伊勢の有滝町の沖合いでいい地下海水が出る。その水を使えばうまくいくかもしれない」。
幸い有滝町で生簀を貸してくれるという人が現れた。生簀に地下海水を引き込み、さっそくアナゴの養殖がスタートした。当初、円形の水槽を作って水を海流させた。餌の残りカス等が水槽の中心に集まり水槽を奇麗に保てるからだ。しかしアナゴが泳ぎ疲れて痩せてしまった。アナゴは通常は止まっていて餌を食べる時しか泳がない。これはダメだということで、筒を沈めてアナゴがその中でじっとしていられるようにした。こうした試行錯誤の末、赤須と森光はついにアナゴの養殖に成功した。
「成功した一番の理由は、やはり地下海水を利用したことですね。この水の中にいるアナゴは、軽井沢の避暑地にいるみたいな気分でしょう(笑)。ストレスのないアナゴが育つようになりました」。
アナゴは水温が25度以上になると死んでしまうし、5度以下になると餌を食べなくなり成長もしない。夏でも冬でも水温が一定の地下海水は温度管理には最適だった。また地下海水は雑菌が少なく浮遊物も少なかった。
後に続く漁業を
この10数年、赤須はアナゴを求めて奔走してきた。
「ウナギも同じですけど、こんな急激にアナゴが獲れなくなるとは思いませんでした。今、伊勢湾で豊富に獲れる魚は、水産研究所が種苗を作って放流しているものだけなんです」。
魚が獲れなくなった原因は乱獲だと赤須は言う。
「漁師は魚が大きくなるまで待とうとしない。根こそぎ獲ってしまいます。例えば貝。春になれば大きくなって美味しくなるのに、冬の間に小さいものを獲ってしまう。ワタリガニは外子といって卵を体の外に持つんですが、それも獲ってしまう。獲らなければ何十万という子供が産まれるのに。対策としては、禁漁期間を設ければいいと思うんです。東京湾でも水質が悪いということで何年か魚を獲らなかったら、魚が戻ってきましたから。目先の利益だけじゃなく、もっと後に続く漁業をやらないとダメだと強く思います」。
海の幸、魚長
鈴鹿市北若松町362(塩浜街道沿い)
TEL 059-385-3311
WebSite http://www.anago-uocho.com/