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日本の脱獄王「五寸釘の寅吉」こと西川寅吉

西川寅吉(にしかわ とらきち)
1854年~1941年 三重県度会郡明和町出身

 西川寅吉は、日本において脱獄を最も多く行った(6回)脱獄魔。刑務所から脱獄する際、五寸釘の刺さった板を足で踏んだが、そのまま捕まるまで約十二キロを逃げきったという伝説が生まれ、五寸釘の寅吉と呼ばれるようになった。
 寅吉は安政元年(1854年)、伊勢国多気郡御糸郷佐田村(現・明和町)で被差別部落の貧農の次男として生まれた。生まれながらに人並み外れた運動能力を持っていたらしい。19歳のときに結婚し、男の子を授かる。
 寅吉が最初に罪を犯し牢獄に入ることとなったのは28歳の時である。自分をかわいがっていた叔父が博打の揉め事でヤクザに殺され、その仇討ちとしてヤクザに刀で襲いかかり、さらに家に火を放った。放火は重罪で、寅吉は無期懲役の刑を受け明治15年(1882年)、三重監獄に投獄される。叔父のかたき打ちをしたのに自分だけが捕まったことに不満を持った寅吉は、看守の鍵を盗んで牢から出ると肥桶に身を潜め、農民が肥桶を引き取りにきたのに乗じて脱獄に成功する。しかし空き巣に入って金を盗み博打をやっていたところを取り締まりに来た警官に捕まり、明治17年(1884年)、秋田の集治監に収監される。
 翌明治18年、寅吉は囚人たちのケンカに乗じて集治監を脱獄。この時は2日後に追ってきた警官に捕まってしまう。
 同年、今度は東京の小菅監獄に収監される。寅吉は屋外作業中に鎖で繋がれていた相方を説得して脱獄を図るが、刑務所から3キロの地点であっけなく捕まってしまう。
 明治19年、寅吉は北海道の空知集治監に収監される。この頃には寅吉は「脱獄の神様」として仲間の囚人たちから尊敬されるようになっていた。寅吉はここでも別の囚人が看守を羽交い絞めにしている間に脱獄に成功。しかしまたしても博打に熱中し、取り締まりの警官に捕まってしまう。
 明治20年、寅吉は北海道の樺戸監獄に収監される。この極寒の刑務所で、寅吉は前例のないやり方で脱獄に成功する。彼は自分や他の囚人の服を集めてそれに小便をかけ、壁にたたきつけた。服は一瞬で凍り壁に張り付き、寅吉はそれを足がかりに5メートルの塀を乗り越えた。しかしまたしても、盗んだ金で博打をしていたところを御用となり、樺戸監獄に戻されてしまう。
 寅吉は樺戸監獄で、脱獄防止のため二倍の重さの鉄球を足につけれられてしまう。寅吉は野外作業中、柔らかい土を持ち帰り、看守の鍵を土に入れて鋳型を取ると、和紙を固めて鍵を作り、強度を出すためその鍵を何度も米粒で塗り固めていった。この鍵を使い脱獄に成功。娑婆に出た寅吉は資産家の家から金を盗み、その金を博打で湯水のように使う一方、貧しい人々の家に金を投げ込んだりしたため、義賊として一躍ヒーローになっていった。しかし警察の威信をかけた捜索の結果、寅吉は熊本で捕まってしまう。
 明治23年(1890年)3月、寅吉はできたばかりの網走刑務所に収監される。最初の殺人未遂や放火、脱獄や窃盗などの罪により無期懲役が言い渡されていた。しかしここで良い看守に当たったこともあり改心し、寅吉は模範囚となる。大正13年(1924年)、71歳という高齢を理由に、ついに網走刑務所を仮出所するに至った。
 出所してからの西川は興行師に声をかけられ「五寸釘寅吉劇団」を結成、脱獄の話や獄中の話などを講演してまわり、ブロマイドが発売されるほどの人気を誇った。その後、故郷・三重県多気郡の息子に引き取られ、昭和16年(1941年)、87歳で波乱万丈の生涯を閉じた。

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