三重の企業人たち

三重綜合警備保障株式会社会長 / 竹内裕

三重綜合警備保障 竹内裕

住民の安心・安全を見守る三重綜合警備保障株式会社。常に時代のニーズに合わせたセキュリティシステムときめ細かなサービスを提供している。これからの警備会社に必要なのは、現場への急行だけではなく、見回りや子供達への防犯意識の植え付けなど、『地域献身的サービス』をモットーに、身近で頼れる存在として親しまれる企業を目指している。

1968年、ALSOKの加盟社第一号として創立

 レスリング金メダリスト吉田沙保里選手出演のCMでお馴染みの綜合警備保障株式会社 (本社東京、資本金167億円、平成2002年10月東証一部上場)。ALSOKと言えばピンとくる人も多いのではないだろうか。その加盟社第一号として1968年4月に三重綜合警備保障株式会社は誕生した。
 同社は竹内鉄雄が1968年4月に創立。四日市競輪、松阪競輪、第三相互銀行などの常駐警備5件と岡田屋などの巡回警備14件を綜合警備から引き継いでスタートし、今年で創業46年を迎えた。創立の翌年には警備先を中南勢まで拡大し、1970年からはホームセキュリティの先駆けともなる機械警備をスタートさせる。その後、四日市市内のビルに本社を移転。1975年には機械警備の需要に備え、四日市ガードセンターを分室として設置。時代のニーズに合わせ、右肩上がりで契約件数を伸ばしていた。
 鉄雄が三重綜合警備保障株式会社を立ち上げた1968年、現・会長の裕は大学を卒業し体育の教員として勤務していた。裕の明るく、人を引き付ける性格を見込み、鉄雄はいずれこの裕を会社の後継者にしようと決心。

父の思いを受け、三重綜合警備保障株式会社入社

 裕も父の思いを受け入れ27歳の時、同社に入社する。教師と警備会社では全くの畑違いだが、裕にはある思いがあった。それは、自分が歳をとった時に体育の教師を続けられるかという事だった。身体が資本の体育教師も年齢による体力衰退には勝てない。好きな現場の仕事にもいつか限界が来ると、将来を見越して父の意思を受け入れたのだ。入社当初は現場を経験。裕にはその時の忘れられない思い出がある。
 「入社研修時、無人になった金融機関の営業室に入室した瞬間、警備システムが反応し、ライトが点灯、ベルが大きく鳴動したんです。その不意の眩しさと大きな音にびっくりして気が動転し、その場から逃げ出したくなる衝動に駆られましたね。もう42年前のことですが鮮明に覚えています。『これが警備なのだ!』と思った瞬間でしたね」
 入社して、各部署を一通り回った裕は、いずれも現場は大変だと実感。やはり現場主義でいかなければと思った。その思いを貫き、入社から8年目を迎えた11月。裕は35歳で社長に就任。その後も三重綜合警備保障は躍進を続ける。翌年、同社は四日市市鵜の森に本社社屋を完成させたが、2002年には手狭になったため旧本社の2倍の建坪の新本社ビルを竣工させた。2004年には愛知万博のアメリカパビリオンの警備と通訳を担当し、会場の安全確保に貢献。地域に根差した企業として知名度を上げていった。  

時代を見据えたシステム開発と防犯アイテムの提案

 社長就任から32年、裕は2012年、代表取締役会長に就任した。
 その間、三重綜合警備保障は警備会社の先駆け的存在として、飛躍的に発展を遂げてきた。その発展の元となるのが時代を見据えた事業内容だ。車・金庫のセキュリティをはじめ、防犯・火災対策と関連商品の取り扱い。法人向けには画像センサーとインターネットを組み合わせたオンラインセキュリティーをはじめ、事務所や店舗などの施設警備、ビル管理サービス、監視カメラシステム、常駐警備ロボット、警備輸送、駐車監視員、防犯対策、防災・減災のコンサルティングなど様々な事業を展開している。
 2006年より開始されたホームセキュリティは主力となるサービス。一般家庭はもちろん、女性の一人暮らし、高齢者施設などへの設置率は高まっており、契約数は年々増加している。近年ではホームセキュリティシステム全室完備をセールスポイントにしているマンションやアパートも激増。今や女性の一人暮らしにホームセキュリティシステムは不可欠といっても過言ではない。
 そうした現状を見て裕は今後の警備のあり方についてこう考える。
 「一昔前にはなかったネット犯罪やストーカー犯罪などが近年では日常的に頻発しています。そこでネット犯罪については24時間PC監視やホームページ改ざん監視、そして社会問題であるストーカー犯罪についても、モバイルを利用した常時監視に『駆けつけサポート』をプラスして安全対策を提案して、常に新しい対策が求められる中、すぐさま対応していかなければなりません」
 近年は、セールスや宅配業者を装った不審者の訪問や侵入、強盗、なども多く住民は安全に対する意識が高まっている。呼び出し強盗やピッキング、サムターン回しなど不正侵入など巧妙な手口の犯罪も多く、住居に施錠さえしておけば大丈夫という時代ではなくなった。しかも狙われるのは住居だけではなく、通勤通学の路上、職場、学校、ネット上など犯罪現場は年々多様になっている。
 こうした事件などを未然に防ぐため、三重綜合警備保障株式会社では万が一、何かが起こった時のために備えておくべきアイテムの開発、提案にも力を入れている。
ガラス破壊を防止するガラス強化フィルムや補助錠、不審者威嚇のためのセンサーライトや防犯ブザーはもちろん、数年前から防犯カメラやAEDなどの販売も行っている。
 同社では2006年からAEDのサービスを開始。その直後から市町村などが導入しはじめ、公共施設や商業施設が一気に導入。同じく防犯カメラもニュースなどで犯罪解明の手掛かりとして紹介されるや、店舗、オフィスなどに軒並み導入され、売れ行きを伸ばした。今後は震災伝言板や安否確認サービスにも取り組んで普及させていく考えだ。

小さな不安も解決できる、身近で頼れる存在に

「警備とは人々の生活を守り、安心して暮らしてもらう事。それが我々の仕事であり、誇りです」と裕は言う。
 予期せぬ状況で発生する事件・事故。それらを想定し、未然に防ぐのが警備会社の業務ではあるが、事例のないことに対して人はなかなか動かないのも事実だ。
 「東北の震災以降、沿岸部の水害や避難について警告対策を提案してみても、いつ起こるかわからないことに対して、なかなか市町村は動かない。確かに起こるかどうかもわからないことへの準備に手間や時間、お金はかけられないという気持ちもわかりますが、動かないからと放っておくわけにもいかない。災害が起こってからでは遅いんです。市町村、住民がどうしたら積極的に対策に乗り出すか。それを考えるのも我々の仕事。災害による損失の大きさを具体的に示し、防災・防犯の必要性をわかりやすく伝えていかなければなりません」
 災害が起こってからの素早い対応も大切だが、なにより災害を未然に防ぐ対策、システムの構築が三重綜合警備保障の仕事なのである。その一環として2006年からはボランティアで、県内小学校を対象に「ALSOKあんしん教室」を開催。このあんしん教室は各クラス単位で授業を行い、子どもたちに普段の生活に潜んでいる危険に気づかせ、安心して暮らしていけるためのアドバイスを行うというもの。これまで7年余続いており、約4000人の小学生が授業を受けている。
 こうした地域に根差した活動を続けて、46年を迎えた三重綜合警備保障。長年警備の仕事に携わった裕が一番のやりがいと感じるのは、やはりお客様に喜んでもらったときだという。
 「救急呼び出しで現場に駆けつけたとき、素早い対応に喜ばれることがなにより嬉しいですね。何か起こった時にすぐさま駆けつけてくれる身近で、頼れる存在でありたいと常に願っています」
 身近で頼れる存在。そうなるべく、同社では地域貢献的なサービスにも力を入れている。その一つが「見守り」である。近年増加傾向にある独居老人の見守り、過疎化の進んだ町や村に増えつつある空き家や墓の見守り鳥獣被害対策など事業の柱にこそならないが見逃してはおけない小さな案件にもきちんと対応していくことが大切だと考える。
 「鳥獣被害や空き家などの見守りは警察に頼むこともできず、自治会や団体ごとで対策を考えるというところもあります。しかし、そうした被害対策や見守りのノウハウがなく、結局どうしたらいいか、だれに頼んだらいいか、明確な解決法が見つからないケースがほとんど。そうした小さな需要にも我々のノウハウを生かし、地域住民の力になることができればと、住民のみなさまの要望に応えています」

これからの警備業界に望む。スマートな業態、力強い組織力

ている弱小企業を警備業界としてはどうやって救うか。それにはやはり統合を図るべきではないかと裕は考える。
 「経営不振の弱小企業を統合すればそれぞれの設備やシステムのレベルを上げることもでき、さらには、業界全体の単価を上げていけるのではないかと考えています。弊社の親会社ともいえる綜合警備保障株式会社もM&Aに熱心でサブゼネコンや設備会社などを引き入れ、営業しやすい体制を作っています」
 規模の小さい同業会社を救い、業界全体のレベルを上げる。それができれば警備業界はもっと活躍の場を広げ、住民の安全をきめ細かく見守ることができるのではないか。
 裕は次期社長となる息子の俊介にこの思いを託し、三重綜合警備保障の未来を想う。

竹内裕氏プロフィール

1945年5月13日 三重県四日市生まれ
1972年 三重綜合警備保障株式会社入社
1980年11月 社長就任
2012年06月 会長就任

三重綜合警備保障株式会社

〒510-0074
三重県四日市市鵜の森2丁目6-3
http://www.mie-alsok.co.jp

    

(Visited 1,701 times, 2 visits today)







-三重の企業人たち

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


関連記事

佐野鉄工 佐野明郎

株式会社佐野テック社長 / 佐野明郎

【取材/2013年】 創業から2代目まで  佐野鉄工(2016年、株式会社佐野テックに名称変更)の創業は昭和7年、佐野喜一が始めた船鍛冶屋がスタートだった。2代目の息子・健一が橋梁のジョイントを頼まれ …

株式会社 シー・ティー・ワイ / 塩冶憲司社長

四日市市本町に本社を置くケーブルテレビ局「シー・ティー・ワイ」は今年1月31日、開局25周年を迎えた。地上デジタル放送、多チャンネル放送(CS・BS)、インターネット、緊急地震速報サービスを提供してい …

株式会社伊賀の里モクモク手づくりファーム / 松尾尚之社長

食と農業の正しいあり方を学ぶ「食農学習の場」 かつて農業は命を育てる営みであった。働く人は、生物の命を育て、育った命に育てられながら大きな循環の中に生きていた。しかし、いつからかその意義が薄れ、今や労 …

オススメ本 その1

マイクロキャビン創業者 大矢知直登さんのオススメ本 永遠の0(ゼロ) 百田尚樹 著  人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。元戦友たちの証 …

中外医薬生産株式会社 田山社長

中外医薬品生産株式会社社長 / 田山雅敏

「奉私奉公(ほうしほうこう)」の精神で仕事を充実したものに 会社内で居場所は自身で努力して勝ち得るもの。働く意欲を高く保ち、改善を繰り返しながら会社に貢献。そして、仕事を通して人間形成。それが、日本型 …