What’s New 首長インタビュー

菰野町長 / 柴田孝之

柴田孝之 菰野町長

東大も司法試験も一発合格。予備校の人気講師から菰野町長に転身したというユニークな経歴を持つ柴田孝之・菰野町長。損得や忖度より「正しいかどうか?」で政治をしてくれるかも?そんな期待を抱かせてくれる人だった。

― 子どもの頃はどんな少年でしたか?

柴田 マイペースで空気が読めない子どもでしたね。幼稚園の頃は友達と遊ばないで絵本を読んだり粘土で遊んでました。人づきあいは得意ではなかった、というか、しなければいけないという発想がなかったみたいです(笑)。小学生になると、図書館にばかり行ってました。家庭の教育方針でなかなかおもちゃを買ってもらえなかったので、友だちのうちにゲームをしに遊びに行くことはありました。お小遣いをもらっても「なんのためのお小遣いなんだろう?」って子ども心に思ってました(笑)。

― お母さんが厳しかったんですね。

柴田 そうですね。変わった子になってしまったけども、他人に迷惑をかけない、人に喜んでもらうことが自分の楽しみ、という精神を教えられました。母の名前が房子なので『房子教育』と私は呼んでいます(笑)。

― お父さんはどんな方だったんですか?

柴田 父親は左官で、祖父が作った柴田工務店を継いでいました。性格は明るくて話好きで、外面がよかったかな。

― お父さんは菰野の町議会議員だったんですよね。

柴田 よく間違えられるんですが、町議会議員をやっていたのは祖父です。

― 子どもの頃は、もちろん成績は良かったんですよね。

柴田 小学校の頃は勉強してなかったし、特に勉強ができたわけでもなかったです。でも中学生になって、いとこがいい学校に入ったし、兄も勉強ができたので、勉強しないとまずいとは思い始めました。それなりに勉強して、成績が上がると親がやさしくしてくれるので、さらに勉強しました。私の学生時代の成績は尻上がりなんです。小学生の時はそれほど成績はよくなくて、高校3年生のときがピークでしたね。

― 部活動はされていたんですか?

柴田 陸上部で中距離を専門にしていました。がんばってたので、800メートル走は三泗で1位になることができました。800メートル走は参加者が少ないので狙い目だったんです(笑)。でも県大会では中勢以南の人には全然勝てなかった。今も県南の皆さんなどは陸上競技の成績が優秀だと聞いています。

― 菰野中学から暁高校に進学されましたよね。なぜ暁を選んだんですか?

柴田 定期テストはそれほど成績は良くなかったんですが、業者テストではまあまあいい成績を取っていたので、暁高校に授業料無料の特待生としてスカウトされたんです。高校の時はもう勉強漬けでした。授業料が無料だったので、成績が悪いと申し訳ないと思ってました(笑)。

― なぜ東大を受けようと思ったんですか?

柴田 東京に行きたかったのが大きいですね。好きな女の子が東京に行くって言ったから(笑)。あと「行くからには一番難しいところへ」ということで、東大にしました。

― タイプ的には理系のようなイメージがあるんですが、文系だったんですね。

柴田  今、考えると理系だったかな?と思うんですけど、高校生の時は「理系は科目が多いから大変だ」と思ってました。文系なら暗記でなんとかなりますよね。「安定して点が
稼げるのは社会かな」と考えて文系にしました。私は見込みがなければ先に進まないタイプなんで、やるからには最短で目的に到達できる道を選ぶことが多いみたいです。

― 大学生活はどんなでしたか?

柴田 塾の講師をしたり、サークルでバンドをやったりしてました。授業はあんまり行かなかったですね。当時は「授業は行かなくていい」と思い込んでいました。出席も取らない講義が多かったですし。たぶんマスメディアに偏った大学生像を植えつけられてたんでしょうね(笑)。今はもっと勉強すればよかったと思います。

― 弁護士になろうと思ったのはいつ頃ですか?

柴田 実は教師になりたかったんです。高校の時、女の子に勉強を教えたら「すごーい」と言われて(笑)。それで「人にものを教えて感謝される仕事っていいな」と思うようになりました。それに当時は受験が華やかな時代で、予備校の先生とかがスター扱いされていました。だからもともと予備校の講師になりたいと思ってました。

― 驚きました。司法試験に合格しても弁護士にならずに予備校の講師になられたので、不思議だなぁと思ってました。

柴田 そうなんですよ。司法試験は受けたけど、弁護士になりたいと思ってなかったんです。もともとモメ事が嫌いですし。弁護士の扱うことはモメ事ばっかりじゃないですか(笑)。

― 教師になりたかった理由はなんですか?

柴田 生徒さんに喜んでもらいたかったんでしょうね。東大受験も司法試験も、終わってみたら「なんだこんなんでいいのか」って思いました。でも、そこに到達するのは大変だったし苦労もしました。だから「こうすればいいんですよ」ってみんなに教えて、楽をしてもらいたいと思ったんです。学校の先生に対しては「なんでこんな単純なことをズバっと教えてくれなかったんだ?」って思いがあります。難しいことを難しく教えるんですよ。たとえば古文の助動詞の活用表を丸暗記させられたんですけど、「り」で終わるのはほとんど同じだから覚えなくていいんです。形容動詞の「なり」さえ覚えれば「たり」だろうが「あり」だろうがほとんど同じ。そういう楽な方法があるのに教えてくれなかった。

― 司法試験は一発で合格して、念願の司法試験予備校の講師になったんですよね。

柴田 はい。とにかく「司法試験の合格法を広めたい」って思いました。みんな何を勉強しなきゃいけないかを理解してないんです。私に言わせると、滝に打たれてるだけ(笑)。それで辰巳法律研究所というところに入りました。司法試験の予備校の元祖みたいなところで、専務がすごく面白い人でした。頭がやわらかい人で、面白そうなことはやらせてくれるし、バックアップもしっかりやってくれるんです。本も書かせてくれました。『司法試験機械的合格法』っていう本なんですけど、5万部売れたんですよ。本の単価が高いので印税もたくさん入りました。

― 辰巳法律事務所を辞めて東京リーガルマインドに移りましたよね。その理由は?

柴田 辰巳をやめた理由は、専務がやめたからです。で、その専務の紹介で東京リーガルマインド(通称LEC)に入りました。結局、そこで20年以上、講師をやりました。町長選の間も講師をやってたんですよ。

― LECはどうでしたか?

柴田 最初はひどい目にあいました(笑)。LECは無理やり押し込まれた感があったので、元々いる職員や講師からの当たりがきつかったです。受付の人が受講生に僕の講座を取らないように指導するとか、そんなこともされました。でもその時は何冊か本を出してたので、受講生が来るんです。だから「なんでこんなに売り上げを上げてるのにひどい目にあうんだ!」って思ってました。きっと私が人生舐めてるように見えたのかもしれませんね。それなりに苦労してるんですけど(笑)。でも長く勤めるうちに、私をいじめる人はだんだん少なくなってきて、居心地がよくなりました。

― アディーレ法律事務所に移って弁護士になられましたよね。その理由は?

柴田 結婚を機に弁護士になったんです。今の奥さんに「もったいないから早く弁護士になれ」って何度も言われまして。予備校講師は収入は良かったんですが、奥さんは医者なので、私の収入には興味なかったみたいです。

― 弁護士になってみて、どうでしたか?

柴田 良いところと悪いところがありました。良いところは、弁護士にならないと見えない世界があるって知ったことです。本当のことを言っても証拠がないと負けてしまう。それがどうにも嫌でしたね。それに、裁判官は目の前の人を助けるとかほとんど考えてない。論理的に突っ込まれないかどうか?しか考えない。裁判の数が多すぎて麻痺してるのかもしれませんけど。昔の裁判官はそうじゃなかったみたいですね。いろいろ武勇伝を聞きましたから。とにかく「法曹の世界で正義を貫くのは無理」と痛感しました。ちょっと悪魔に魂を売ればすごく儲かるんですけどね(笑)。

― 菰野町の町議会議員になったのはなぜですか?

柴田 きっかけは、依頼を受けて菰野町相手に裁判をしたことです。2回やりました。1回は「農地を宅地にするのを認めるかどうか」という裁判。2回目は「商品として作られた『菰野清水』総額300万円分をなんの決裁もなくただで配ってしまった」という裁判。決裁なしで町の財産が処分されるのは問題ですよね。でもそれをやった職員は「口頭で決裁を得た」と裁判で主張したんです。結局「口頭決裁」が認められて一審は負けてしまいました。判決には未だに納得いかないですけど、控訴はしませんでした。でもそれらの裁判がきっかけで、菰野町の政治の疑問点についていろいろ考えるようになったんです。子どもの医療費の無料化ができていない、中学校給食がいつになっても実現しない、水道料金が一気に値上げされる…。にもかかわらず、基金の10億円を使って駐車場を作ろうとしている。それで、弁護士という立場ではなく議員になって直接、町長さんにそのあたりの疑問をぶつけようと思ったんです。町議会議員になっても講師の仕事は続けられますから、収入は減りませんし。あと、父の体調が悪くなったので、介護の手伝いをしたいということもありました。

― 町長になろうと思ったきっかけは?

柴田 一昨年の町議会で「水道料金がいっきに1.5倍になるのはなぜか?段階的に上げるのではダメなのか?」という質問をしたんです。でも、まともに答えてもらえませんでした。それで悔しくて「町長選に出よう!」と決意しました。でも、町長になった後「なぜ段階的に上げるのはダメか」を説明してもらって、理解できました。企業債を極力借りない方が、金利負担の面からも得なんですよね。だからその時、そうやってちゃんと説明してくれればよかったんですけど、その時は全く相手にしてもらえませんでした。

― 町長選に出るにあたって、バックとかはあったんですか?

柴田 全くなかったです。応援してくれる人はいましたけど、組織立って応援してくれる人はいませんでした。だからどんな活動をしたかというと、チラシを作ってそれを菰野町中に一軒一軒配り歩きました。おかげで菰野町の道にはくわしくなりました。

― 当選すると思っていましたか?

柴田 奥さんとシミュレーションを重ねたんですが、そのとおりになれば当選も可能だと思ってました。政治に関心があっていろいろ発言する人って、実はそんなに数が多くないんです。大部分の人は政治に関心がない。だからそういう層に徹底的に私の主張を浸透させようと考えました。集会はしませんでした。集会に来る人って、もともと自分に投票してくれる人ですから、集会をやっても票は増えません。ただの動員です。逆に集会をやって人がたくさん集まると相手側は緊張します。だから相手を油断させるためにも、集会はやりませんでした。とにかく「駐車場より中学校給食を実施したほうがいいんじゃないか?」という私の思いを町民の皆様に伝えられたらそれでいいと思ってました。

― 町長になってみて、どうでしたか?

柴田 下積みしないでいきなり社長ですよ、こんなすごいことありません(笑)。当選して初めてわかったんですけどね。議員もいい仕事です。議員をやりながら弁護士も予備校講師もできますし。でもやりがいという点では、町長はどの仕事よりやりがいがあります。

― お話を伺ってて思うんですけど、岐路に立ったとき、損得ではなく「面白そうだから」「やりがいがあるから」といった視点で進路を選んでいますよね。

柴田 そうですね。私は豪邸に住みたいとかフェラーリに乗りたいとかいった欲求はありません。目先の損得よりやりがいの方が大切なんです。自分がやりたいことをやったら結果的にお金になった、という感じですね。

― 公約である「中学校給食の実施」「水道料金の値上げ見直し」「子どもの医療費の無料化」について、財源は確保できているんでしょうか?

柴田 実は水道料金はあまり下げてないんです。上げすぎたものを少し安くした程度です。昨年9月から順次実施の未就学児の窓口無料化と中学生の対象範囲の拡大による医療費無料化は、年間約2千万円です。給食は年間5千万円ぐらいかかるんですけど、その予算は、先ほど言った10億円の駐車場や5億円の菰野富士の公園整備、その他いろいろな事業を見直すことで捻出しようと考えています。中学校給食もデリバリーならそれほど予算はかからないんですけど、「食育」として実施するには、やはり自校方式もしくはセンター方式による給食が必要になってきます。どちらの方式を採用するのかを含めて、いろんな方法を考えていくつもりです。

― MaaS(※)を使った『おでかけこもの』 を導入されますよね。それについて町長のお考えを教えて下さい。

柴田 まだまだ課題も多いのですが、育てていけば良いものになると思います。使ってみるまではハードルが高いんですよね。でも使うとすごく便利です。200円でのりあいタクシーに乗れて、乗り換えもスムーズにできるんですから。

― 高齢者の方がアプリを使うのは難しいように思いますが?

柴田 電話を受けるオペレーターが楽できるんですよ。乗り継ぎは瞬時に表示されるので、電話された方に「何時にどこそこへ来て下さい」と伝えるだけで済みますから。

― 今年1月から実証実験が行われましたが、その結果はどうでしたか?

柴田 さすがに3月に利用者が減ったんですが、1月2月に関してはアクセス数はかなり多かったです。でも利用者は少なかった。やはり最初に使ってもらうまでのハードルが高いんですよね。今後はもっと使いやすくなるように改善していきます。

― 予算はどれぐらいかかるんですか?

柴田 年間3千万円ぐらいですね。2年目からは維持管理費だけになりますが、タクシー会社へ払うお金も含めると年間5千万円ぐらいかな。あと今年はバス1台と、タクシーも増やします。その予算が年間1億円ぐらいを予定しています。

― では最後に…。今後、どのような町政をしていこうとお考えですか?

柴田 公約で掲げたことはある程度やったので、今後は住みよい町にするために町民の意識改革をしたいと思っています。例えば誰かが倒れた時、どうがんばっても救急車は5分かかります。でも、そばにいた人がAEDが使えれば、助かる確率は高くなります。行政は大きいことは得意ですが、そういう細かいことは苦手なんです。ですから地域の皆様ひとりひとりが「住みよい町にするためにはどうすればいいか?」を考え、実行して頂く。一方、地域ではできない大きなことを行政が担当する。こういう考え方が浸透していけば、菰野町は素晴らしい町になると思います。それに、そうやって地域の皆様と行政がお互いに理解しあえれば、不満もたまらないと思うんです。私もそうですが、みんな目の前のことしか見えません。なぜこれをするのか?しないのか?ということを、理解して頂けるまでしっかり説明する必要がありますし、また逆に行政側も、地域の皆様のご要望が正しく理解できるよう、真摯に耳を傾けることが大切だと思っています。

(※)MaaS(マース)
バス、電車、タクシーといったあらゆる公共交通機関をITを用いて結びつけ、人々が効率よく便利に使えるようにするシステム。ヨーロッパでは本格的な取り組みがスタートし、日本でも鉄道会社や自動車会社などが中心となって研究が始まっている。
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