首長インタビュー

四日市市長 / 田中俊行

田中俊行

真面目で実行力のある政治家として定評がある田中俊行四日市市長。東大卒のインテリというイメージがあるが、そんな彼の素顔は、強い信念と庶民的な感覚の持ち主だった。

大矢知 本日はお忙しい中、ありがとうございます。

田中 こちらこそ。大矢知さんには行革の委員などやって頂いていまして、ありがとうございます。

大矢知 いえいえ、楽しんでやってます。ではまず市長の子供の頃のお話を聞かせて下さい。

田中 住んでいたのは楠です。合併前の三重郡楠町。学校まで片道1時間かかりました。性格は大人しい方で、先生の言うことをよく聞く典型的な普通の子でした。

大矢知 学級委員とかはやってたんですか?

田中 3年か4年の時やったと思います。当時は先生が決めたんです。自分で言うのもなんですが、かなり可愛かったので、女性の先生にひいきされていたかもしれません(笑)。中学時代で思い出深いのはクラブ活動ですね。テニス部でした。中学3年の時には三泗地区の大会で個人優勝しました。 

大矢知 個人戦で優勝なんて凄いですね。

田中 運動神経はそれほど良くない方だと思ってたんですけど、テニスで優勝したのがきっかけで運動も好きになりました。でも「優勝した」と学校に報告に行ったら、先生は誰も信用しなかったです(笑)。

大矢知 学業の方は?やはり優秀だったんですよね。

田中 勉強は、夏休みにクラブを引退してから集中してやりました。誰も集中して勉強する時期がありますよね。私の場合は中3から高2にかけてかな。高3の時、勉強に対するやる気が少しなくなって、おかげで浪人してしまいましたけど。四日市高校は実力テストで百番まで廊下に張り出されるんです。嫌だったけど、あれが励みになりましたね。

大矢知 それで東大の経済学部に入学されたんですよね。その頃はもう「こんな職業に就きたい」とか考えていたんですか?

田中 全然考えていなかったです。大学時代は合ハイばかりやってました。合ハイって知ってますよね。昼間女子大生とハイキングに行くんです。健全ですよね(笑)。夜は今でいう合コンみたいなのもよくやりました。結構、勝率良かったんですよ(笑)。

大矢知 美少年時代の名残りがあったんですね(笑)。合コン以外では‥?

田中 映画はよく観ました。今は忙しくてほとんど観てないですけど。東京はロードショーがすぐ封切になるから早く観れたんです。また、渋谷の地下の場末の映画館で、オールナイトの古い映画5本建てとかもよく観ました。さすがに8時間座ってると疲れましたけど。

大矢知 映画って言えば、子供の頃、家の一部を中日新聞の販売店に貸してたんで、映画の無料券がもらえたんです。それでよく家族で富田の映画館へ行ったんですけど、主人公が馬に乗って走り出すと観客が総立ちで拍手するんですよ(笑)。

田中 そうでしたね。主人公が登場すると観客が拍手してましたね。

大矢知 市長って、ほんと普通の大学生だったんですね。すごい勉強家みたいなイメージありましたけど。

  ※   ※   ※   ※

大矢知 大学を卒業してからの話に移りますけど、なぜ政治家を志したんですか? 東大経済なら一流企業に行くのが普通だと思うんですけど。

田中 きっかけは何だったかな?と考えると、薄い親戚にあたる田中覚先生の存在でしょうね。知事を辞めてから衆議院議員になられたんですけど、それがちょうど僕が学生の時で、よく議員会館に出入りしてたんです。ある日、遊びに行った時、地元から年輩の女性が陳情に来てました。田中先生は話を聞くとすぐ厚生省に電話して即断即決で問題を解決したんです。その女性は「来て良かった」って感激してました。その姿を見て「政治というのは、いろいろな問題を解決し、人の役に立つ仕事なんだな」と思いました。

大矢知 学生でそういう場面に遭遇することってまずないから、貴重な経験でしたね。

田中 はい。それで「政治家になりたい」って田中覚先生に相談したんです。そうしたら「努力しても報われないかもしれないのが政治の世界だ。サラリーマンになって定年まで働いた方がいい」と言われました。それで、結局はサラリーマンとして就職しました。メーカーの営業企画部に就職して6年ぐらい働いたんですけど、あまりしっくりこなかったですね。営業部なら良かったかも知れないけど、営業企画部だったんで。あまり外に出ない仕事でした。銀行とか商社に行っていろんな情報を仕入れてきて、データをまとめて営業に流すといった仕事でした。自分のやりたい仕事とは違ってました。そのうちに、また政治の世界への思いが強くなってきたんです。で、上司や家族に相談したら、全員大反対しました。政治家の家系でもないのに無理だって。しいていえば田中覚先生がいるけど、親ではないですからね。

大矢知 地盤、看板、カバンが必要ですからね。

田中 でも説得されればされるほど、やりたいという気持ちが強くなってきたんです。

大矢知 僕もそうですね。やるなと言われるとやりたくなってくる(笑)。

田中 それで、2~3ヶ月悩んだ末、意を決して会社を辞め、いとこの紹介で名古屋の水平豊彦代議士の秘書になったんです。衆議院議員を4期やった人です。愛知6区は民社党・公明党のトップがいた厳しい選挙区だったんで、選挙はいつも大変だったみたいですけど。水平先生はちょうど秘書が辞めて後任を探していたところでした。あまり怒られるのでノイローゼ気味になって辞めたらしいです。

大矢知 それ聞いて躊躇しなかったんですか?

田中 その時は全く知らなかったんです。確かに非常に短気で厳しい先生でした。苦労したけど、今思うとその苦労が自分の身になってると思います。優しい人の秘書は楽ですけど、勉強にはならなかっただろうなと。

大矢知 でも地元選出の代議士ではないですよね。この人の秘書やってても一生政治家にはなれないなとか考えたりはしなかったんですか?

田中 そうですね。自分の地元じゃないから選挙に出るときには役に立たないですね。でも東京の秘書だから国政の勉強になるかなと思いました。最初は第二秘書だったんですけど、第一秘書が辞めたので、2年目から第一秘書でした。そりゃ忙しかったですよ。ちょうど水平先生が内閣官房副長官になったんです。当時は内閣官房副長官っていうと総理になるステップで、竹下さんも、海部さんもなってました。

大矢知 仕事の内容はどんなものでした?

田中 本当に大変でした。朝は自民党の政務調査会の勉強会。終わるとその内容をレポートにして報告するんです。昼はお客さんの応対や、事務所に陳情に来た方たちの要望を解決するため中央官庁回り。あと、後援会バス旅行や修学旅行の手配もやりました。

大矢知 地元からたくさん東京へ来ますからね。

田中 夜は夜で総理官邸の執務室へ行って昼間指示されたことの報告をするんですけど、そこでまた新しい指示をされる。水平先生は一回しか言わないんです。おまけに機関銃のように喋る。それを必死でメモして、こういうことかなと推測して処理していくんです。毎日、多忙という言葉では表現できないほど忙しかったですね。先生は土日は地元へ帰るんで、土曜の昼からと日曜は休めたんですけど。でも、国政の中枢の部分を、直接ではないけど秘書として観ることができましたから、その経験は大きかったです。

大矢知 その後、斎藤十朗先生の秘書になったんですよね。

田中 水平先生は54歳の時、若くして病気で亡くなられたんです。私は田中覚先生の紹介で斎藤先生の秘書になりました。

大矢知 僕が市長を知ったのは「よっかいち号(※1)」でしたよね。JC(四日市青年会議所)に入ったきっかけは?

田中 チャンスがあれば四日市市議会議員に出たいと思っていたんです。斎藤先生は地元なのでその点は良かったんですけど、私は四日市の担当じゃなかったんです。それで人脈を拡げるためにJCに入りました。JCでは四日市の知り合いがたくさんできました。今思うとJCに入会して良かったと思います。秘書をやってるだけでは人脈は拡がらなかったですね。

大矢知 その後、四日市市議会議員の補欠選挙に出て圧勝されましたよね。

田中 たまたま永田先生が県会議員に出るということで欠員が出まして、運が良かったですね。当時は地元出身でない人が通常の選挙で出るのは大変だったんです。市議会には縄張りがあって、地元から誰かが出てれば出にくいし、出ても当選は難しいですから。

大矢知 その後の統一選は日永から出て当選したんですよね。それまで日永は誰でしたっけ?

田中 山口孝先生です。その時に引退されたんです。

大矢知 うまく禅譲されたということですね。

田中「そうですね。ですから山口先生と同じ会派に入りました。もしかすると山口先生は『後継者ができたから辞めよう』と思われたのかもしれません。当時72歳でしたし」。

大矢知 市長に立候補したきっかけは?

田中 市会議員を3期つとめて、県会議員を2期つとめて、平成20年のクリスマスイブに市長に就任しました。政治家生活を続けていく中で、市長になるというのが目標でした。なぜ市長を志したかというと、キザな言い方ですけど『郷土愛』なんです。県外へ出ると『四日市イコール公害の街』というイメージがありますよね。未だにそのイメージを克服できる状態にはなってない。四日市のイメージを明るいものに転換しようとするには、産業都市の強みを生かしながらも、産業以外で四日市のシンボルになるようなものを作って全国に発信していく必要があります。新しい四日市の魅力を作りたいんです。

大矢知 四日市を憂う気持ちになったわけですね。。

田中 そうです。市民全員が四日市に誇りを持っているという状態にしたいんです。

大矢知 転勤で四日市に来て、気に入って家建てて住み着く人、凄く多いんですよ。四日市大学の教授だった渡辺明さんとか『四日市いいとこだよ~』って力説してました。

田中 いい街なのに発信がうまくいってないんですよ。

大矢知 『宿場町四日市』っていうアプローチいいですよね。

田中 ありがとうございます。市民のいろんな立場の人の力を借りて、四日市の新しい価値を創造する。そんな仕事がやれたらいいなと思ってます。

大矢知 それはウルっときますね(笑)。確かに僕もJCの頃からずっと街作りやってて、今でもやってます。ノーギャラなんですよ(笑)。

田中「お金あり余っているからいいんじゃないですか?(笑)

大矢知 四日市って、そういう気持ちにさせてくれる街なんです。嫌なら引っ越したらいいんです。僕は50代の頃、石垣島に住むって公言してたんです。今になって『あれどうなったの?』って聞かれるんですけど…。石垣島はたまに行くのはいいけど住むならやはり四日市がいいなって、この歳になると思います。

  ※  ※  ※  ※

大矢知 では、いろいろと質問していきたいと思います。まず政治家にならなかったら何になっていたと思いますか?

田中「普通のサラリーマンになっていたでしょうね。ただ、

大矢知さんのように起業してみたいという気持ちもありました。

大矢知 市長も経営という意味では同じですからね。では次、趣味は何ですか?

田中 スポーツはテニスですね。あとたまにするゴルフ。年に2回ぐらいかな。絵の鑑賞も好きなんです。日本の原風景とかヨーロッパの中世の町並みを描いた絵が好きで、そういう絵が来るとよく美術館に行ってましたね。あとは、先ほども言いましたが映画です。

大矢知 どんなジャンルの映画がお好きなんですか?

田中 アクション物ですね。007とかダーティーハリーとか。

大矢知 意外とミーハーなんですね(笑)。

田中 最近は忙しくて全然観てないんですけど、唯一『ひまわりと子犬の7日間』を観ました。保健所のに収容された犬の親子の話なんですが、殺処分まで1週間のタイムリミットで飼い主を探すっていうストーリーで、最近、歳のせいか涙腺がゆるくなって(笑)。

大矢知 わかりますわかります。僕もそうです(笑)。では、一日オフがあったら何をしたいですか?

田中 ゆっくり寝ていたいですね。今は1日平均4時間睡眠で土日も仕事なんですよ。60歳になるとさすがにきついです。1ヵ月休みがあったら温泉へ行って小説を書いたりしたですね。そういうスローライフも憧れます。

大矢知 好きな食べ物は?。

田中 カレーライス、納豆、玉ねぎの天ぷら。この3つがあればご機嫌です。寿司屋でも、安い子供が食べるようなネタが好きなんです(笑)。

大矢知 そうなんですか。奥さん楽ですね(笑)。では、座右の銘は何ですか?。

田中 至誠通天。誠を尽くせば願いは天に通じるという意味です。何か書いて欲しいと頼まれるとこれを書いてました。あと決断と実行ですね。結局、政治っていくつか政策の選択肢の中から一つを選ぶということで、言い換えれば他の選択肢を切るということなんです。決断力は切断力だと思っています。

大矢知 必ず誰かが不満を言いますね。。

田中 全員が賛成なんて政策は有り得ないですからね。進む時も、引く時も、厳しい選択を強いられます。最終決定権者ですけど、非常に孤独です。でも、市の将来を見据えて正しい決断力と実行力を持ちたいと常に思っています。。

大矢知 都市経営っていうのも、会社の経営と全く同じですね。この事業を辞めるという時は本当に大変です。

田中 そうでしょうね。
  ※  ※  ※  ※

大矢知 では最後に、田中流の成功の法則みたいな話を教えて下さい。

田中 私が言うより大矢知さんが言った方が説得力がある話ですけど(笑)。田中流成功の法則を、というなら『男子、志を抱いたら絶対あきらめない』ということですね。とことんまでやる。志を実現するために段階的な目標を立てて、その目標を実現するために全力を投入する。それが自分の哲学です。ただ、勝負を賭けるタイミングを間違えないようにしないと失敗しますけど。

大矢知 一度も失敗されてないような気がしますけど。

田中 そんなことないですよ。失敗も多いです。やはりチャンスを粘り強く待つということが大切ですね。人生の中で大きな勝負をしようと思ったら、それが自分にとって本当のチャンスかどうか見極めて、『今でしょ』っていう感じで勝負を賭ける(笑)。織田信長みたいにガンガンやっていく経営者もいますけど、私は虎視眈々とチャンスを待つという、どちらかというと徳川家康タイプですね。あと、僕が言うのもおこがましいんですけど、謙虚じゃないとダメですよね。何をするにも自分一人の力では絶対無理なんで、他人の力が必要ですよね。だから常に感謝の気持ちを持つことが大切だと思います。

大矢知 そうですね。成功に奇策はないんですよね。皆さん、同じことを言われるんですけど、本当にそうだと思います。

※1)日中友好青年の船 よっかいち号/1988年4月28日から10日間、平田耕一理事長以下四日市青年会議所メンバーと一般団員の合計254名で中国の天津、北京を訪問し、往復船上での研修と現地での国際交流を行った四日市青年会議所の事業。

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