東日本大震災の津波により福島第一原子力発電所は制御不能となった。東日本が壊滅する~そんな日本の危機を救おうと、三重のとある会社が名乗りを上げた。四日市の中央建設株式会社だ。
原子炉への注水を志願
3月17日、自衛隊によるヘリコプターでの福島第一原発3号機への注水が行われた。しかしヘリコプターから投下された水は霧状になり、炉心にほとんど届いていないように見えた。テレビ映像を見た多くの人が「あれで本当に効果があるのか?」と疑問に思った。中央建設社長の長谷川もその時、テレビを観ていた。彼は思った。「あれではダメだ。うちのコンクリートポンプ車を使えばもっと効率よく水を入れられる」。
コンクリートポンプ車は、ビルやマンションなどの高層階に生コンクリートを送り込む特殊車両。中央建設が保有するドイツ・プツマイスター社製コンクリートポンプ車の車載アームは最長52メートル。52メートルのアームを持つポンプ車は日本に3台しかなく、中央建設が2台、岐阜の丸河商事が1台保有していた。下から水をかける消防車と違い、上から水をかけることができるポンプ車なら的確に目標に注水することができる。
「機械があってやり方もわかってるのに、手を挙げないのは卑怯だろ。仙台の同業者たちも電話で『頼むから水かけてくれ。こっちは危ないんだ』って必死で頼まれたし」。
さっそく長谷川は民主党の議員を通して「ウチのポンプ車を注水に使って欲しい」と東京電力に申し出た。すぐ東京電力から感謝の連絡が入った。しかし、なぜか18日になっても、19日になっても、出動要請はなかった(※①)。長谷川は今度は公明党の樋口四日市市議を通してポンプ車の提供を申し出た。すると20日の夕方、やっと敦賀の原子力安全保安員から電話が入った。
「すぐ福島へ出発して下さい」。
(※①)ネット上では、長谷川がポンプ車の提供を申し出てから3日間待たされたことについて「政府は当初、横浜港にあったブツマイスター社のものを使おうとした。しかし故障して現地に到着できるかどうか読めなくなり、中央建設に依頼した」と噂されている。
キリン作戦開始
長谷川は社員に福島行きの志願者を募った。皆が尻込みする中、30代の社員が3人名乗り出た。「誰かがやらなければいけない」。3人の思いは同じだった。大急ぎで水やコンロ、作業着を積むと、2台のポンプ車はその日の夜11時過ぎ、福島に向けて出発した。行き先は小名浜の東京電力の連絡所だった。
このミッションは「キリン作戦」と名付けられた。ポンプ車は警察の許可証を貼って高速をひた走った。途中、警察官たちが「頑張って下さい」と声をかけた。その様子は「民間からの決死隊」としてインターネットの掲示板で速報され、「今、○○を通過した」「がんばれ」といった書き込みが掲示板に並んだ。
21日の昼、2台は小名浜に到着した。小名浜には自衛隊や消防署員や東京電力の下請けの社員が集まっていた。丸川商事のポンプ車と、ブツマイスター社所有のアームが58メートルのポンプ車もほぼ同時に到着した。このポンプ車は、プツマイスター社が東南アジアへ輸出するため横浜港に保管していたもの。政府の要請で急遽福島に向かうことになったが、途中、車両トラブルで立ち往生していた。しかし、なんとか修理を済ませ、やっと現地に到着したのだった。
現地は大混乱だった
いざ到着してみると、現地は大混乱だった。集合した小名浜の公民館は電気もないしトイレも流れない。真っ暗な中にたくさんの人が集まっていた。東京電力の社員は1人しかいなかった。しかも、現地を詳しく知る者は皆無だった。どっちへ行ったら福島原発なのか?それすら誰もわからない。先発隊が途中で迷子になった。そんな現地の混乱をよそに、東京電力からは指示のファックスが次々と送られてきた。
「最初の話ではポンプ車の使い方を教えるだけという話だったのに、現地に行く作業員名簿の中にうちの社員の名前が入っていた。話が違うと思った。でも誰に文句を言っていいかもわからない。それほど現場は混乱していました」。
中央建設の社員3人は作業員たちにポンプ車の使い方をレクチャーしたが、一朝一夕で覚えられるものではない。3人のリーダーのAさんは仕方なく「これではどうにもならない。現地まで行こう」と決意した。しかし、なんと防護服がなかった。
「他人の脱いだやつを着ていけと言われたんです。それはいくらなんでも嫌でした」。
一方、四日市の中央建設に待機している長谷川の元には、東京電力から射能量の測定結果のファックスが刻々と送られていた。見ると、北西と南向きが濃かった。社員たちがいる小名浜は、濃かった。
「福島の人は新潟に向って逃げたんですよね。後から知ったのですが、そのデータが全然活用されてなかったんですよ。国が早くそのデータを公表すれば、どこへ逃げればいいかわかったのに」。
使われなかったポンプ車
22日、注水作業が始まった。使われたのはブツマイスター社所有のポンプ車だった。中央建設の3人はポンプ車を小名浜に残したまま、とりあえず埼玉県の川越に避難し、そこで待機することになった。丸川商事のポンプ車も川越にやって来た。ポンプ車での注水作業をするため、全国から15人の作業員が川越に集められた。Aさんたちは丸川商事のポンプ車を使って彼らに使い方を教えた。しかし翌日、作業員全員が逃げていなくなった。
27日には、中国・三一重工社製のアーム長62Mのポンプ車が福島に到着、注水作業を開始。29日、ポンプ車を小名浜に残したまま、3人は四日市に戻ってきた。結局、中央建設と丸川商事のポンプ車は使われることはなかった。
小名浜の2台のポンプ車は被爆していることから、東京電力が買い取ることになった。6月、長谷川は新しいポンプ車を購入した。中古2台を売ったお金では新車の購入には全然足らなかった。
苦い思い出として残る
長谷川や現地に行った社員たちにとって、今回の一件は苦い思い出になった。3人は精神的にダメージを受けて帰ってきたし、子供が学校で「放射能がうつる」といじめられたこともあった。長谷川はしばらくの間、取材を一切受けなかった。
「なんか全てが秘密のベールに包まれて物事が進んでいたような嫌な感じだった。不可解なことも多かった。でも、ま、自分で決めてやったことだから、仕方ないな」。
福島へ向う中央建設のコンクリートポンプ車
福島へ出発する直前に撮った写真。このコンクリートポンプ車は全長約15メートル。生コンのほか真水や海水も使用可能で、1時間に150立方メートルの液体を注入することができる。車載アームの長さは52メートル。リモコンで100メートル離れた場所から操縦ができる。1986年のチェルノブイリ原発事故では、同じドイツ・ブツマイスター社のポンプ車が8台持ち込まれ、原子炉をコンクリートで固める作業に使われた。
福島から戻ったA氏は、小名浜での体験をこう語る
「最初は『俺がやってやる!!』って感じで意気に感じて福島へ入りました。自分の想像では、燃えてるものに水をかけたら終りって、そんな風に考えていました。でも、そんな簡単な代物ではないってことが分かってきたんです」。
さらに、目に見えない放射能の恐怖が彼らの心を蝕んでいった。
「例えば、カップラーメンを食べようとすると、『ここでものを食べたらやばい』と言う人がいる。でも『それぐらいだいじょうぶさ』と言う人もいる。もう何が本当なのかわからなくなってくる。そのうちに、食べ物が喉を通らなくなってくるんです」。
放射能という目に見えない恐怖は、じわじわと、しかし確実に人の心を蝕んでいったのだ。
中央建設株式会社
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