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平安時代版『ローマの休日』? 斎王の一夜の恋

 斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに未婚の内親王(または女王)の中から占いの儀式で選ばれ、都から伊勢に派遣された。
 制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)。斎王は制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間、記録には60人余りの斎王の名が残されている。
 斎王は就任が決まると1年間、身を清め、翌年9月、伊勢神宮の神嘗祭に合わせて伊勢へと旅立った。群行と呼ばれるこの旅は総勢5百人を越える壮麗なものだった。一行は、近江国の勢多(せた)・甲賀(こうか)・垂水(たるみ)、伊勢国の鈴鹿(すずか)・一志(いちし)に設けられた仮設の宮、頓宮に宿泊し、5泊6日の行程で斎宮に辿り着いた。
 斎王の住む斎宮は、碁盤の目状に道路が走り、伊勢神宮の社殿と同じく清楚な建物が百棟以上も建ち並ぶ整然とした都市だった。そこには斎宮を運営する官人や斎王に仕える女官、雑用係などあわせて5百人以上もの人々が起居し、当時の地方都市としては九州の太宰府に次ぐ規模を持っていた。また、斎王を中心とした都市であることから、斎宮では貝合わせや和歌など都ぶりな遊びが催された。都との往来もあり、近隣の国からさまざまな物資が集まる斎宮は、この地方の文化の拠点でもあったと考えられる。

伊勢物語で描かれた斎王の一夜の恋

「伊勢物語」は平安時代の歌物語で、名前ははっきりと書かれていないものの、在原業平が主人公だと言われている。その「伊勢物語」の中に、主人公が斎王と一夜の逢瀬をする話がある。

都から使者が斎宮にやってきた。「今度の使者は大切な方だから手厚くもてなすように」と言われていた斎王は、それはそれは親切に使者をもてなした。2日目の夜、使者から斎王に「ぜひ逢いたい」と手紙が来る。斎王は夜中、皆が寝静まった後、使者の部屋に忍んでいき、一夜を供にする。

翌日、斎王から使者の許にこんな歌が届く。

君や来し我や行きけむおもほえず 夢かうつつか寝てかさめてか
私がそちらに忍んでいった昨夜の出来事は夢なのでしょうか?それとも現実なのでしょうか?

使者はその歌にこう返した。

かきくらす心の闇にまどひにき 夢うつつとはこよひ定めよ
昨夜のことが夢だったのか現実だったのかは、今夜また逢って確かめればよい。

ところがその夜、斎宮の長官が都からの使者を一晩中、酒宴を開いてもてなしたため、使者は斎王に逢いに行くことができなかった。使者は夜が明けると尾張国に旅立たなければならなかった。

夜が明ける頃、斎王から使者のもとに別れの杯の皿と一緒に上の句だけの歌が届けられた。

かち人の渡れどぬれぬえにしあれば
かち人(徒歩の人)が渡る浅瀬のように、あなたとの縁は浅い縁だったのです。

使者はその句に下の句をつけて返した。

また逢坂の関は越えなむ
いつか逢坂の関をこえてまた逢いましょう。

この話のモデルとなった斎王は清和天皇御代の斎王・恬子内親王で、都からの使者は在原業平と言われている。「伊勢物語」はフィクションの体裁を取っているため、この話が本当かどうかはわからない。しかしもし本当だったとしたら、処女でなければならない斎王が男と密通したことは、当時としては大スキャンダルだったに違いない。さらに、2人の間には子供が生まれていたという後日談も伝えられている。

斎宮歴史博物館


三重県多気郡明和町竹川503
TEL 0596-52-3800 FAX 0596-52-3724
料金 一般 340円、大学生 230円、高校生以下 無料
開館時間 午前 9時30分~午後 5時(入館は 4時30分まで)
休館日 月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土曜日、日曜日を除く)、年末年始

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