最近、いじめについて考えることがあって、そこで思ったことをちょっと書いてみます。
僕らの子供の頃は、いじめはなかった。一人が一人をいじめることはあったけど、複数で一人の子をいじめるようなことはなかった。だから最近のいじめ問題の話を聞いていると「なぜそんなことが蔓延しているんだろう?」って素直に思ってしまう。
でも「当時、なぜいじめがなかったのか?」については、思うことがある。もし誰かが誰かをいじめていたら、他の子が「そんなことはやめろ」と必ず言ったと思う。「大勢でひとりをいじめることは卑怯なことだ」ってコンセンサスを、皆が持っていたと思う。
いじめはなくならない。人間が生きている限り、いじめは絶対になくならない。だから「いじめはある」という前提で、大人はそれに対処していかなければならないと思う。
「いじめられている子は強くならなければいけない」という意見があるけど、やっぱそれは無理な話だ。でも、いじめっ子が怖くて、自分に矛先が来るのが怖くて、いじめに加担してしまう子たちがいる。本当はいじめなんかしたくない、心優しい子たちだ。そういう子たちに「いじめに立ち向かうために強くなれ」と指導することは、可能だと思う。
【図1】これがいじめの構造だとしたら、
【図2】Cの人たちを、こういう状態にすればいい。
もちろん口で言うのは簡単だし、僕は教師の経験もないから、こんな意見は絵空事なのかもしれないけど…。