What’s New 三重の歴史

三重を散策する – 多気

神宮寺(丹生太師)

佐奈は現在の多気町の南東部、紀勢本線・佐奈駅の周辺にあたる地域で、その名は古事記にも登場する由緒ある地だ。佐奈を収めた日小坐王は大和朝廷の基礎を作り上げたとされている崇神天皇の弟で、身分の高い有力豪族であった。この地が早くから開け、高度の文化をもち、政治経済にも極めて重要な地であったことの証拠といえる。そんな佐奈には、千年以上の歴史を持つ「近長谷寺」「普賢寺」「金剛座寺」の三寺院が建つ。そのため、地元の人たちは、親しみを込めてここを「多気のチベット」と呼んでいる。

近長谷寺(きんちょうこくじ)

 近長谷寺は、仁和元年(885年)伊勢の国の豪族「飯高宿禰諸氏」により建立された。飯高氏は奈良時代、天皇に仕えた妥女「飯高諸高」を送り出した豪族で、諸高は多気郡勢和村丹生から産出する「水銀」で富を築き上げた。
 御本尊十一面観音は、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに「日本三観音(三体の仏像を一本の樟から造られたものと伝えられている)」のひとつとして広く知られている。
 本堂は、中興の祖「真海上人」が、天正末年に再建したもの。その後、大雨洪水にて破損するが、元禄七年(1694年)に再建される。伊勢の皇大神宮に近いということで近の字を加え「近長谷寺」と改称されたのもこの頃である。五穀豊穣・開運・家内安全の守り仏として多数の信者を有している。
 現在では、毎年二月十八日を例大祭として開帳し、厄除け祈祷、護摩法要などを行い、交通安全・学業・開運などの祈願所として、近郊近在の老若男女の崇拝の的となっている。

金剛座寺(こんごうざじ)

 金剛座寺は、旧寺名を穴師(子)寺といい、白鳳二年(673年)藤原鎌足の縁のある人物が建立したという説と、白鳳九年(680年)に鎌足の子、不比等が開山したという二つの説がある。いずれにせよ相当古い寺社なのは確かだろう。
永享四年の地震による損壊、天正年中の織田の兵による放火等により、すべての古文書等を失ってしまう。現在の本堂は、寛永十七年(1640年) に、度会郡國束寺の僧・良珠上人が入山して復興。その費用は、当時江戸の貿易で莫大な資産を築いた相可の大和屋が寄進をした。その後、紀州徳川家の菩提寺としての庇護を受けるようになる。江戸後期には伊勢観音巡礼の第十番札所の霊場として栄え、八月八日の縁日『夜観音』には大変な賑わいだったという。特に女性に縁ある仏から、本尊真下の本堂の『お砂』をお守りとして身に付けると、婦人病・子授かりにご利益ありと信仰を集めました。

普賢寺(ふげんじ)

 普賢寺は金剛座寺の子院のひとつであったと伝えられている。かつて神坂地内には七カ寺があり、織田信長の焼き討ちによって消失したと伝えられている。古地図には「普賢寺観音堂」の名が見え、古くから観音信仰の盛んな土地柄であったことが偲ばれます。
 本尊は普賢寺の名前のとおり、普賢菩薩坐像(国指定重要文化財)。像高92㎝クスノキの一木造りで、平安前期のもの。大正5年、国宝(旧国宝)に指定、戦後、国の重要文化財に指定された。普賢菩薩の彫像としては我が国でも最古級の作例と言われている。特徴は京都の東寺の梵天像に似ており、作者は同じ弟子筋に当たる渡来人ではなかったかと推定されている。普通、普賢菩薩はお釈迦様の脇侍として文殊菩薩と共に祀られている事が多く、単体で祀られているのは珍しい。全身が護摩の煙でいぶされて黒く、男性的で神秘的な雰囲気の像である。

神宮寺(丹生太師)

 弘法大師の師匠である勤操大徳が宝亀五(774)年に開山。弘仁四年(813年)弘法大師様が伊勢神宮御参拝の途中、この地を訪れ、自分の師の開創された寺である事を知り、七堂伽藍を建立した。大師堂には御本尊「弘法大師像(四十二歳の自画像)」のほか、「十一面観音」「不動明王」「薬師如来」「大日如来」などが祀られている。正式には「女人高野丹生山神宮寺成就院」と言い、地元の人びとからは「丹生大師」として親しまれていた。真言宗の総本山・高野山が女人禁制であったのに対し、神宮寺は女性の参詣を許されていたため「女人高野」と呼ばれ、多くの信者を集めてきた。

水銀の産地だった丹生

丹生は古代より水銀の産地として知られていた。その頃日本で使われていた水銀のほとんどが丹生で採掘されたものと考えられている。水銀は仏像や調度品の金具などのメッキ、白粉に代表される顔料の材料としてたいへん重宝され、奈良東大寺の大仏にも丹生水銀が使われていた。中世には全国唯一の水銀座(同業者組合)が存在、全国から商人や鉱夫が集まり「丹生千軒」と呼ばれるほどの繁栄をみせたと伝えられている。しかし中世以降は次第に産出量も減り、衰退していった。

五桂池ふるさと村

高校生レストランまごの店やドッグパーク、ロッジ、ミニ動物園(入園料1000円)、いちご狩り&みかん狩りなど多彩な施設が揃う。
R紀勢本線「佐奈駅」から徒歩で約30分 JR・近鉄「松阪駅」から「三瀬谷」行きバスに乗車し「五桂口」下車、徒歩30分
伊勢自動車道「勢和多気IC」から車で約15分

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