PERSON~三重の人物紹介

三重大学学長 / 内田淳正

内田淳正

自信を持って信じられるかどうか

– これまで学長の歩んでこられた人生の中で、「良かった点」について、お聞かせください。

内田学長 良かった点というのは、まあ、人生には色んな岐路があるわね。何の道に進むか、進んだ時に…、私でいえば医学部に行くのか?どこいくのか?それから医学部を卒業した後に何科に行くのか?何科に行って、その次に大学内の教員になるのか、一般の病院で臨床医として過ごすのか?・・・という、そういう岐路がいくつかある中で、自分が選択したことが間違いでなかったという風に思えるのが一番良かったことだと思います。

– 学長ご自身は今まで歩んでこられたこと、その選択に間違いはなかったと思えることが良かったということですね

内田学長 そうです。自分としてはそんなに大きな間違いをすることなく、道を進むことができたのが人生で一番良かった事ではあると…。

– では、こうすればよかったということ(後悔のようなもの)は無いでしょうか?

内田学長 後悔するということは、逆に言えば、いっぱいあるんやけどね。ある意味では全部選んだことがほんとに良かったと思うかどうかの裏返しが後悔なんやね。私はそういう意味ではあんまり後悔はしたくない。後悔したくないというとおかしいんやけど、自分が選んだ道が良かったんだ!という思いを持ち続けたいと思うから、自分がこういう道を選んで「しまったなぁ~」と思うと、これはほんとに「しまったなぁ~」ちゅうか、つまらんことになるんでね…。

– 学長が今まで、様々な改善を行ってきたと思いますが、その具体例をあげて頂けますか?

内田学長 医学的なところではやはり改善はどんどん進められてきたかなぁと…。あの時のことがあるから今改善されているよという言うところは・・・あるわね。中小企業の経営者も大変であるとは思うんやで。だけど世界の目で見ると日本はそんなに悪くないと思う。マクロの段階で例えばどこをベンチマークにするかによって全然違うと思うんやね。それは世界でトップを走っている企業と比べると反省も後悔もいっぱいあるやろうけど、でも全体の標準からすると私は日本の企業と言うのは決して、どこにも劣っているわけではないし、中小企業はすばらしい技術を持っとるし、生き残っていくには十分な力はある。それを自信を持って信じるかどうかやと思う。今は日本の社会も我々も含めて物事をネガティブに考える傾向が強いんで、そうやなくてポジティブに考えてほしいんやね。下見たらきりがないで~と。私もこないだアフリカ行ってたんやけど、アフリカも、その前のフィジー、南太平洋、あと東南アジア、アメリカ行ってもそやと思う。 日本という国は素晴らしい国やと思うんやね。だからその素晴らしさをもっともっと自覚して自信を持ってほしい。 そりゃ~、人生どんな人でも順風満帆で上昇気流に乗ってる人って、まぁ無いと思うんやね。みんな浮き沈みがあってね、ええときもあるし悪いときもある。そういうことで平均したら、まぁええときが多かったちゅう事だと思うんやね。私だって浮き沈みがいっぱいあった中で今がある。そういう風に見ると~まぁこれは長い人生帳尻合うよ~というぐらいのつもりで考えて頂いたらと思うんやね。やっぱり、ちょっと日本全体が自信喪失してるところがあるんと違うかな? そういう意味で中小企業の経営者っていうのはドンドン世界に出ていって観てきたらいいと思う。そしたら自分達のところがそんなに世界レベルと劣っているわけでも無いってことがわかる。だけど、どうしてもみんな大成功した人と比較するしてしまうんやな。

斬新な発想は心の余裕から

– では学長は、色々な国へ行かれて、日本の違いを持ち帰って、それをヒントに改善や改革に繋げた経験はありますか?

内田学長 海外で気付いて日本に無いところを補充したみたいなことはあるわな。日本に無いような海外の自由奔放な考え方なんかは、その一つやな。オーストラリアに留学しているとき、心に余裕ができたというか、余裕があったんやね。時間的な余裕もあるし、当然そうするとですね、いろんな発想というか、新しいアイディアがどんどん湧いてくる。日本に帰ってくるとどうしても勤勉であるのは素晴らしい事なんだけど、仕事に追われる。それから日常の中での生活でも、いっぱい、いっぱいっていう中で、新しい発想というのは生まれにくい。そういう意味ではもっともっと、心に余裕を持っていただいて、仕事は仕事なんだけど、それ以外の趣味にも目を向けるとかね、そういう風に考えて仕事一辺倒であるのは立派な事なんだけれども、もっと人間としての楽しみ方と言うのも考えると、またそれは逆に仕事の方にも良い方に向かうじゃないかなという風には思うわね。

組織をまとめた学長的発想

– 2009年に学長に就任され、来年の3月末で任期を終えるわけですが、印象に残る出来事をお聞かせください

内田学長 それは二つあります。私が学長になって気がついたことというのは、やっぱり、人財…、教育と言う事がいかに大切であるか…、ということに気がついたっていうことやね。私は今まで医師として、専門家として頑張ればよかった。企業で言うと技術者として最高の力を発揮するということが自分の役割やと思って、ずっとやってきた中で、ある時に学長になった。病院長になって学長になったということは、自分の専門技術だけでは生きていかれへんですよ…、トップとして大学病院全体、大学全体を経営していく役割を持ったんですよということのなかで、経営全体を考えると一番最初に神宮司さんがおっしゃったように人の意識改革…、職員・教職員の意識改革をどうするかというのを考える中、やっぱり教育というのが一番大切であるという事に気がついた。教育というのを一つの木の幹…、芯に置くことによって、意識改革の実現の助けになるということが、一つ感じた事ですね それからもう一つはね、私らはまぁどっちかというと理系の学科で育ってきたわけだけど、その中であんまり、文系の人と話をする機会が少なかった。文系って三重大学で言えば、人文学部とか教育学部になるけれども、その人達と話をしてる時に文系の学問体系というのは物事の裏を見るというか、一つの事実をいろんな方面から見るっていうのが文系の学問体系であるというのに気がついたんやね。理系っていうのは出てきたエビデンスっていうか、一つの事実をただただ信じて、そこから理論構築していくんだけども、文系っていうのは、やっぱり、今ここにこういうメッセージが発せられた裏には何があるんやと…。例えば新聞記事にこういう記事が出たと、この時期にこの記事が出てくるっていうのは必ず何か別のメッセージがあると考えるのが文系の学問体系であると気がついた。それはどういうことか言うと、私が学長としてある提案をするわけです。こういうことをやりますって。理系の人はそうか、そんなことやるんやから一緒にやろかとなるけれども、文系はちょっとまてよ、学長があんなこと言うというのは何か裏があって自分たちに影響が及ぶんではないかな~というところから発想がスタートするところがあるわけです。これはまぁ文系の学問体系やから仕方がないと思うし、これはでも、世の中が動いていくのに、ものすごく大切なことやと気がついた。ここに出てる事実をつなぎ合わせていったら、何か正解が出るかっちゅうと、そうではない。ここにある事実にこの裏からどんなものが存在してるか?という事を考えながら繋ぎ合わせていかんと、これはなかなか正解に結びつかないなぁという風に思ったわけです。中小企業の人も色んなメッセージが出てくるわね。新聞とかジャーナルとかテレビでね。だけどそれはほんとにそうなんか?その裏に何が進められているんかっていうのを考えるっていうのは大切じゃないかなと言う風に感じたのが学長になってね、そういう事を知ることが出来たっちゅうのが、自分なりに人間的に成長できたなと思ったわけやね。文系と理系の体系の違いに気付かれ、そこから成果というか、何か学長なりに知ることが出来たっちゅうのが、自分なりに人間的に成長できたなと思ったわけやね。

– 文系と理系の体系の違いに気付かれ、そこから成果というか、何か学長なりに組み立てられたことってありますか?

内田学長 それはあんまり物事をストレートっちゅうかな…?それで押し進めるという事だけではいかんと…。直球もいいけど時にはネゴシエーションしながら根回しをして、進めていくことが成果に結びつくということには気がついたわね。

– 学長が就任される以前に比べて変化が起こったというわけですね

内田学長 そら変化起こったよ。自分が学長になる前は、自分の考えを押し進めるためには自分がリーダーシップを取って、トップダウンで行ったらいい。ついてこれん奴は「しゃ~ない」でと…、そういう考えでやってきてたんだけども、実際はそういう状況、文系の考え方とか教育の大事さという事を考えると、やっぱり切り捨て論理ではあかんと、自分の考えに必ずしも賛同してない人にも賛同を得られたりするような努力とかね…、下支えをするっていうことが大事であるという風には、考え方は変えたというか変わっていったね。

成功=愚直な努力と信じること

– これまでの内容ともリンクしますが、日々努力、切磋琢磨している読者の方々に、人生において果たせなかった夢や事柄を通して、もう一度メッセージ的なものをいただければと思うんですけど…。

内田学長 まぁその~、努力するもとにね、棚ボタはないと…、これをやっぱり自分の中に考えられるかどうか、だれでも幸運は望みたいし、何にもせんとどっかから幸運がポロっと降ってくるとかね、誰かが助けてくれるとか…、そうあってほしいとか、誰でも持つんやけど、私でもそうあったらいいなぁとは思うけど、そんなことは基本的にはないだろうと。やっぱり自分が努力するっちゅうか、まじめに物事に向き合うということがないと成果が得られない。だから、ただただ人生を真面目に生きられるかどうか?不真面目に生きて幸運が得られるようなことっちゅうのも無いことは無いと思うけど、基本的に長続きしない。やっぱりまじめにコツコツ生きていくということが前提にあって、それを続ける事によって成果も得られるし、逆に新しい発想力も出てくるんやな。 そら、なんでもそやと思うけど、勉強せんと素晴らしい発想が出てくるかと言うとそれは私は無理やと思う。それは勉強していろんな基礎知識を身につけて、はじめて誰も考えなかった新しい発想が出てくると…。スティーブ・ジョブスだってね、何もしてない時にああいう独創的な発想が出るかというとそうやなくて、彼は彼なりに一生懸命いろんな知識を蓄積していった上に、それが出来上がっているということを、我々は是非理解しなければならないと。

– 愚直にしてはいるが、落とし所に苦しんでいる人達もいると思うのですが…。

内田学長]そうかもしれんけど、ただね…、それは要するに人間は全ての事を経験できたらベストなんやね、経験出来てそこから導き出せる…、そこから方向付けができたら間違いなく正しい方向に行けるんだけども、残念ながら我々は全てを経験出来ないわけよ。そうすると、その経験を何で補うかと言うと、それはもう知識しか無いと思うんですよ。本を読んだり、人の話を聞いたりして、そういう経験を自分の中にどうやって取り込んで、自分の経験したことと総合して方向付けて、落とし所をどう考えるか?これはそうせないかんし、その方向付けができて落とし所が決まったら、あとは自分が正しいんだと信じて突き進む以外無いと…、そう思いますね~。

もし生まれ変わるなら…?

– もし生まれ変わるなら、どのような人生を送りたいですか?

内田学長]もし生まれ変わるとしたらねぇ。やっぱり自分は女性に生まれてきたいなぁという風には思うな~。自分のなかった、経験したことない事でしょ?女性に生まれてきたいなぁと思うよ。

– かなり大胆で、奇抜な発想ですけど…。なぜ、女性なんですか?

内田学長 知らんしね。私は生物の中で、人間の中でね、男性は奇形やと思ってるんやね、基本的に。子供よう産まんもんね(男は)。子供産めるのは女性で、やっぱり生物っていうのは子孫を繁栄できるっていうのが本来の生物で、男は強い遺伝子を注ぐってだけやもん。だからこの世の科学が進歩したら、男性は精子だけ保存しとったらおらんでええわけです。生物学的にもやっぱり女性の方が完成した体を持っとるわけやね。だから女性に生まれてきて、女性として、どう物事を考えるかっていうのは、いっぺん経験してみたいなぁとは思うんやね。

内田淳正氏プロフィール

徳島県の旧三縄村出身。父親は当時、村内唯一の開業医で、夜間・休日を問わず住民を診療するなど、医療を通じて地域社会に貢献する姿勢に共感し、医師を目指し、大阪大医学部に進学。卒業後は病院勤務を経て防衛医科大講師、大阪大助教授などを歴任。整形外科医として阪神タイガースなどプロ野球のチームドクターも務める。三重大医学部教授、三重大学付属病院長を経て、2009年4月1日、県内唯一の国立大で、5学部と大学院などを擁する三重大学学長に就任。

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