マイクロキャビン創業者・大矢知直登がホストを務めるプラス対談。第二回に登場して頂くのは、石原正敬菰野町長。そのスマートな外見からはイメージできないが、理論より実践をモットーに、信念を持って政治に取り組むタフガイだ。
大矢知 今日はお忙しいところありがとうございます。よろしくお願いします。
石原 昨夜、この対談に対して何を話せばいいか家族会議を開きまして(笑)、やはりサッカーのことを話さなければということで、写真(左下)を持ってきました。中2の冬ですね。三重県の選抜チームに入ってたんですが、そのチームが14年振りに静岡選抜に勝ったんです。みんな驚きましたよ。翌日のスポーツ新聞に『静岡、三重に不覚の一敗』って見出しが出たぐらいです。
大矢知 サッカー少年だったんですね。
石原 小学校2年生から高校までサッカー一筋でした。小学生の時は菰野FCというチームで県で準優勝しましたし、菰野中学の時も県で準優勝だったんですよ。でもその大会、準決勝には出てないんです。サッカー部のキャプテンやってたんですが、準決勝の前にチームメイトとケンカしまして…。大事な試合の前なのに、みんな練習しないんですよ。で、怒って『俺はもう明日、試合に出ない!』ってキレてしまったんです。そしたら僕がいないのに準決勝に勝っちゃいましてね。バツが悪かったです(笑)。
大矢知 そんなにサッカーがうまかったなんて、全然知らなかったです。マラソンしてるイメージしかないですね(笑)。
石原 それは社会人になってからの話なんですが‥。高校でも県で準優勝してます。四中工には勝てなかったですけど。
大矢知 凄いですね。サッカーも勉強も!っていう子供だったんですか?
石原 勉強はちょっと‥(笑)。ムラがありましたね。国語は嫌いだったし。
大矢知 名古屋大学を出られて、先生になられたんですか?
石原 大学を出て、大学院も出て、そのまま大学の助手になったんです。当時は珍しい期限付きの助手でした。それで期限が来て『そのまま続けるか?』って聞かれたんですけど『区切りだからやめます』と言って辞めました。研究はあんまりやってなかったですね(笑)。
大矢知 政治家に目覚めたのはいつ頃なんですか?今の話だと政治家の『せ』の字も出てきませんが。
石原 いつ頃なんでしょう? 正直、若い頃は政治家になろうとは思ってなかったですね。
大矢知 そうなんですか。僕も体力、気力が持つんだったら、政治家をやってみたいですねぇ。そう思うのはJC(青年会議所)に所属してたのが原因だと思います。政治家ってJC出身の人が多いんですよ。参議院議員だった斉藤先生、田中四日市市長、岡田克也さんはJCで僕と同期ですし、現役の市会議員も何名かいます。JC運動をやると目覚めるんですよ、『俺たちの街を良くしなければ』って。
石原 私は何になりたいって強い意志はなかったですね。昔から夢のないタイプでしたから。
大矢知 僕もそうなんです。行き当たりばったりで生きてきましたから(笑)。
石原 いえいえ、私は大矢知さんみたいに成功とかしてないですから、そんなカッコ良くないですけど(笑)。その場その場で100%の事をやっていれば、いい方向に進んで行くんじゃないかって思ってました。今もそうです。
大矢知 その考え、すごくわかります。それで、100%で頑張ってたら町長になっちゃった、という感じですか?
石原 私が政治家になろうと思った一番の理由は、批判してても仕方ないんじゃないか?と思ったからです。マスコミや評論家って政治に対して批判ばかりしてますよね。でも彼らにも被選挙権があるんだから、そんなに立派なこと言うんだったら政治家になればいいのにと思うんです。
大矢知 なるほど。ごもっともです。
石原 だから自分は政治家になって、実際にやってやろうと思ったんです。もちろん落選したらなれませんけど『チャレンジしたんだから批判してるだけじゃない』って、自分の中でケリはつけれますよね。で、立候補したら皆様方のご支援のおかげで通ってしまいまして。だから今でも政治にどっぷりという感じではないんです。
大矢知 石原さんって、あんまり政治家の匂いがしないですよね。
石原 サバサバしているように見られますね。かといって政治をなめてるって事ではないんですけど。
大矢知 政治家の人って『俺凄いやろ』っていう雰囲気の人、多いんですよ。実際は全然凄くなかったりしますけどね(笑)。石原さんはいい意味でそういうとこがないんです。だから政治家っぽくないんですよ。
石原 いやいや、世間では嫌う人も多いですよ(笑)。
大矢知 政治家って迎合する人多いじゃないですか。皆にいい顔して結局にっちもさっちも行かなくなる。そういうのは昔のスタイルだと思うんです。だから石原さんのやり方はいいと僕は思いますよ。
石原 ありがとうございます。迎合するのは自分のキャラに合わないんですよね。利害が相反するにもかかわらず、あっちにいいこと言って、こっちにもいいこと言って‥。嘘言ったらダメですよねぇ。
大矢知 そうですね。社員に対してもいいことばかり言っててもダメですね。お客さんにも。
石原 結局どこかで破綻してしまう。
大矢知 マイクロキャビンはパチンコの液晶の映像も作ってまして、プロデューサーが予算の管理や外注先の管管理をするんです。で、外注先はウチよりはるかに大きい会社を使ったりするんですけど、そういうとこって高いんです。だからお客さんにも外注先にもいい顔するプロデューサーは、潰れてしまうんですよね。
石原 民間のご商売でもそうなんですから、行政なんてもっと嫌われることも言わなければならないですよ。
大矢知 万人が幸せになる政治ってないですからね。
石原 セーフティネットを張るにしても、皆がハッピーになるなんて無理です。究極の目標ではあるけれど‥。小学生の医療費無料化も私は反対なんです。今、プライマリーバランスをめいっぱい取ってるのに、そこから出すってことは何かを削らなければならない。でもそんな簡単には削れないですよ。
大矢知 では次に、菰野町についての話をお伺いします。菰野って隣の四日市から見てると『めっちゃ田舎やな』って思ってたんですけど、最近は『菰野町いいな』って思うようになりました。
石原 それは大矢知さん、歳とったからじゃないですか?(笑)。
大矢知 そうかもしれませんね(笑)。でもほんと、菰野町いいですよ。緑もあるし、温泉もある。
石原 地元にいるからありがたみが分からないんですかね(笑)。
大矢知 菰野って町にしては大きいですよね。
石原 大きいですよ。今の人口が約4万人。5万人いれば市になりますから。それに菰野町は財政が堅実なんです。住民税が約21億、固定資産税が同じぐらい。法人税が5億弱。だから景気の影響を受けにくいんですよ。
大矢知 それは知らなかった。固定収入が多いんですねぇ。僕は10年ぐらい前から四日市市の行財政委員会の委員をしてるんですけど、四日市市は高度成長期以降、たくさんの建物を作りました。しょせん箱物行政です。例えば地区市民センターが多すぎるんですね。
石原 中学校区にひとつですよね。
大矢知 そうです。例えば明石市って四日市市と同程度の人口なんですけど、市民センターと名の付く施設は3箇所です。それが四日市は23箇所もあるんです。もう作ってしまったから仕方がないですけど。
石原 さっきの話はそういうことですよね。予算をどこで切るか、どこにつけるか。どこかで割り切らなければならない。
大矢知 そうですね。で、行財政委員会で『会社の感覚で物を言って下さい』って言われるんですが、なかなか会社の様にはいかない(笑)。でもいつも言ってるのは、四日市の人口が増えるような事をやりましょうって。人口を増やせば良くなることってあるじゃないですか。だから『四日市って素敵な街ですよ。住んでみませんか?』ってアピールしましょうって。そういう意味で菰野町っていいですよね。まだまだ空いてるところがいっぱいある。
石原 大羽根なんかまだ空いてますから、開発したところはきちっと埋めていかないとね。あと、電車が通ってるラインを開発したいですね。新たな土地を開発するには上下水道を整備しなきゃならないから大変なんです。
大矢知 都会の人でリタイアして田舎に暮らす人って多いじゃないですか。そういう人に菰野もっと来て欲しいなぁって思いますね。
石原 それなんですけど、ポイントは女性なんです。リタイアして『どこ住もう?』って時、奥さんの権限が大きいんです。旦那さんは奥さんに従うだけ。だから男目線で考えてもダメなんです。男性向け情報誌の対談でこんなこと言うのまずいかな(笑)。
大矢知 なるほど、そうですよね。
石原 それで、女性は友だちと離れるのは嫌うんで、友だちが気軽に遊びに来れるような距離がいいみたいです。だから菰野の場合、名古屋がターゲットかな?と。東京じゃないですね。
大矢知 日曜日の四日市インターから湯の山までって、名古屋ナンバー多いですからね。
石原 そうですね。湯の山街道の渋滞の解消は近々やります。
大矢知 ぜひお願いします(笑)。
石原 菰野にどんなものがあったら、女性にPRできるでしょうか?
大矢知 会社で菰野にログキャビン持ってたんですけど、全然使ってないんです。グリーンホテルの近くなんですけど。カフェでもしようか?って思ったことあります。排水の問題があって諦めましたけど。千坪ぐらいあったかな。
石原 もったいないですね。菰野ってカフェが静かなブームなんですよ。
大矢知 そうなんですか。
石原 大矢知さん、ワイン通ですよね。菰野でワイン作って下さいよ。
大矢知 ワインは難しいんですよ。瓦礫みたいな土地しかダメなんです。四日市みたいな粘土質とかは全然ダメです。
石原 土が痩せてないとダメなんですか?
大矢知 そういう土地って、探せばないことはないと思うんですけどね。新潟潟にはあるんですよ。そこにはワイナリーが3つあって、その弟子たちが近くに住んで、ワインで街起こししてますね。
大矢知 では最後に、石原さんの政治に対する想いのようなものを聞かせてもらえますか?
石原 今、政治をやる人間って、長いスパンで物を見れる人間って少ないですよね。1年後、3年後どうなってるか?ということに汲々としてる。でも行政ってロングスパンで考えないとダメですよね。この土地をどう活用するかを10年20年のスパンで考えて税金を投入していく必要があるんです。だから、今の瞬間だけを捉えて批判したり足を引っ張ったりするような政治ではダメだと私は思ってます。それと、行政は開き直った方がいいと思うんです。今まではずっと右肩上がりだったから、みんなパイを広げることしか計画じゃないと思ってる。でも実は現状を維持することも凄く重要なんですよ。
大矢知 こないだのトンネルの崩落事故でみんな気づきましたよね。そういえばメンテしてないなぁって。
石原 そうなんです。インフラを維持管理していくのって大変なんです。私は行政で一番重要なのは、家へ帰って蛇口をひねったら飲める水が出る。トイレを流したら流れていく。子供が一定の年齢になったら保育園へ入れる、小学校へ入れる。これって凄いことだし、維持していくのは大変なんです。みんなそれを当たり前と思ってる。その当たり前からさらに上乗せしろと要求します。でも経済が成長しない現状で、次から次へと新しいことは無理なんです。かといって夢のない社会では面白くない。そういう部分は、先ほどのワインの話のように、行政と民間がうまく連携してやっていけたらいいと思っています。
石原正敬氏プロフィール
1971年、菰野町生まれ。1990年、三重県立四日市南高等学校卒業。1994年、名古屋大学教育学部卒業。1999年、名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期課程を満期退学。その後名古屋大学で助手をしながら教育発達科学を研究。非常勤講師として複数の大学にて教壇に立つ。2003年、三重県議会議員選挙に初当選。2007年、菰野町長選挙に初当選した(町長としては全国最年少)。2011年、菰野町長に再選される。