首長インタビュー

尾鷲市長 / 岩田昭人

岩田昭人

四日市看護医療大学学長 丸山康人がホストを務める「プラス対談」。今回は岩田昭人尾鷲市長を訪ねた。地元をこよなく愛する岩田尾鷲市長は、平成21年に市長に就任して以来、豊かな地域資源を活用した施策を展開。中でも「食は一つの大きな魅力」と海の幸に着目し、〝魚のブランド化〟での全国発信に挑戦している。昨年開通した紀勢自動車道、世界遺産・熊野古道人気を背景に、今後も地域活性化を推し進める尾鷲市。岩田市長に「食を通じ、小さくても支え合うまちづくり」を目指す尾鷲の魅力を存分に語ってもらった。

毎日ブログで尾鷲の魚を紹介

丸山 本日はよろしくお願いします。岩田市長のお生まれは尾鷲なんですね。お子さん時代はどのように過ごされたのですか。

岩田 高校は伊勢へ行きましたが、中学までは尾鷲でした。海、山、川の自然の恩恵を存分に受けながら育ちました。このあたりは地域のコミュニティーが強いのでいろんな人に育ててもらいました。それがこの地の魅力だと思っています。父親はサラリーマンでしたが、母親が農業をしていました。大学は信州大学経済学部に進みました。

丸山 大学時代から公務員になろうと決めていたのですか。職員時代の思い出も含めて聞かせてください。

岩田 地元に戻りたいと思っていましたので県庁に入庁しました。
 尾鷲はやはり「魚」だと思いましたので、平成13年1月から毎朝市場に行って尾鷲の魚を写真に撮り、「一日一魚」としてコメントを付けてブログで紹介するようにしました。尾鷲の魚を全国に発信したいという思いです。今も3日に1回ほど「三日に一魚」として発信しています。尾鷲には水深300㍍くらいを曳く沖合底曳網の漁業があるのですが、三重県での水揚げは尾鷲だけなんです。(職員時代の)後半は尾鷲市にある県民局の任務を自ら希望しました。当時「東紀州地域活性化事業推進協議会」が発足されまして、平成11年に開催された「東紀州体験フェスタ」を担当させていただきました。春から秋まで長く続くイベントで大変でした。

丸山 東紀州のプロジェクトも大きく変更されましたね。

岩田 東紀州地域活性化事業推進協議会が一番最初に取り組んだのが、東紀州の共通の財産である「熊野古道」です。私も当初から関わらせていただいたのですが、まさか、(平成16年に)世界遺産になるとは思いませんでした。熊野古道世界遺産登録に合せて、(平成19年)三重県が県立熊野古道センターを整備しましたが、熊野古道のビジターセンター的な機能が中心だったため、尾鷲市と尾鷲商工会議所が中心となり公設民営の形で、(平成19年~20年)郷土料理と海洋深層水の入浴が楽しめる観光集客施設「夢古道おわせ」を整備しました。

丸山 両施設の来場者の状況はどうですか。

岩田 昨年、紀勢自動車道が尾鷲まで全線開通しましたので都市部からも順調にきていただいているようです。

丸山 尾鷲と言えば魚ですが、食というものをずっと大切にされているんですよね。

岩田 私は県職を54歳で退職し、その後4年間野菜作りをしていたのです。あらゆる所から種を入手して、日本の伝統野菜からイタリア野菜まで育てました。自分で食べたり皆さんに配ったり。朝は市場で魚を見て、その後畑で野菜を育てて、天国のような4年間で忘れられません。そのときに〝トラノオ〟という青唐辛子を見つけたんです。漁から上がった漁師さんたちが刺身を食べるのに、わさびの代わりにトラノオをつけていて。尾鷲のある地区で細々と作っていたものなんですが、県の農林水産資源を発掘する「バイオトレジャー」事業に応募して認定してもらったのです。ぴりっと辛く、香りがいいのでやみつきになります。今、認知されてきています。

アオリイカ、マグロ、マハタ のブランド化に着手

丸山 いろいろな食の創造をされているのですね。その後、平成21年に市長選に出られました。改めて政治家になるきっかけを教えてください。

岩田 私は県職員を辞めた時、二度と背広を着る仕事には就かないと思っていました。ところが、市政が混乱して市長選になり、これでいいのか?今尾鷲を元気にしないと、という思いが湧いてきたのです。自分では最も政治に遠い存在だと思っていましたが、結局は皆さんに請われるかたちで、考えた末決断しました。

丸山 政治家としての生活はいかがですか。

岩田 尾鷲市の行財政上、大変厳しい状況ではありますが、それだけにやりがいはあります。

丸山 達成感があるでしょう。まだお若いですし。政策の話を聞かせてください。高速道路が開通して随分変わってきたでしょうか。

岩田 高速道路の効果だと思いますが、コンビニなどのチェーン店が増えましたね。土、日になると来訪者が随分増え、国道42号の飲食店は結構にぎわっています。来訪者をどうやって町中へ誘客するかが課題です。

丸山 市長就任後も一貫して食を通じたまちづくりという施策を打ってきたように見ていますが、これからも進めていこうということですね。

岩田 尾鷲には貴重な食があることを来訪者に知ってもらうと同時に、地元の人には豊かな地域資源に誇りを持ってもらいたいのです。どんどん紹介するためには「魚のブランド化」が必要だと思っています。アオリイカについては、尾鷲ヒノキの間伐材を活用した産卵床づくりを進めており、漁獲量が増えつつあります。マグロについては、近海と遠洋の二船の新船ができました。近海は船上ですぐ処理、遠洋は特殊な冷凍技術処理が可能で、どちらもおいしいマグロです。そのほか、県の力を借りて高級魚マハタの養殖もやっています。この「アオリイカ」「マグロ」「マハタ」の3つをブランド化していこうということです。また、外へのブランド化だけでは駄目なので、小学生の子どもたちの食育にもつなげようと、一緒にアオリイカの産卵床を作ってふ化の様子を見たり、アオリイカ料理教室も開いたりしています。それと、尾鷲で育った以上は丸魚を調理できるようになってもらいたいのです。

「尾鷲ものづくり塾」で若者の人材育成とものづくりをタイアップ

岩田 もう一つは、付加価値を付けて商品化する六次産業化による産業活性化です。現在は、特産品講座の「尾鷲ものづくり塾」を開催しており、既存の事業者や外部専門家などを招き、若い後継者たちに新しい商品、付加価値のある商品を考えてもらっています。販路拡大の一環として「夢古道おわせ」で販売できるようにしました。また、まちおこし通販として、年に4回、季節の特産品に地域の旬な情報も添えて送る「尾鷲まるごとヤーヤ便」も人気を集めています。平成26年度には2,200件を超える申し込みをいただき、約8,000万円の売り上げがありました。リピーターが5割ほどあるようです。加えてもう一つは、世界遺産熊野古道ウォークの『運動』に、「夢古道おわせ」での海洋深層水温浴施設の『休養』と地元食材を生かした『栄養』を組み合わせた観光です。また、地元産の魚介類にこだわった飲食店を巡る「尾鷲よいとこ定食」のスタンプラリー、市内に24駅ある「尾鷲まちの駅」で、オリジナルフードを食べ歩く〝おわせ棒〟や商工会議所と連携し〝尾鷲旬のコツまみバル〟なども進めているのです。一般的な観光だけでは太刀打ちできないので、そういうことをやりながら尾鷲を「食のまち」として独自に表現していきたい。商品化にしても作るだけでなく、パッケージにも力を入れる。これからはブランド化、デザイン化、そしてプロモーションかなと思っているのです。

丸山 随分進化してきたのですね。人材はどうされていますか。

岩田 若い人が出始めています。平成24年から始まった「尾鷲ものづくり塾」は、商品づくりと人材育成の両面でやっていこうというものです。

丸山 新しい物づくりを人材育成とタイアップしているのは素晴らしいですね。

岩田 時代を担う人づくり、地域を担う人づくり、産業を支える人づくりを第6次尾鷲市総合計画で掲げています。その産業を支える人づくりとして、ものづくり塾ができたのです。仲間の意見を聞き、連携しながらやっていくのは大きいと思います。

丸山 食を通じたまちづくりが分かりやすい形になってきましたね。市民と一緒になって地域を再生させていこうという気持ちが伝わります。

岩田 東紀州全体で食をめぐって競争し、地域を盛り上げていくことは大切だと思いますね。

丸山 10数年前までは中部電力の関連会社等の仕事の関係で宿泊する方も大勢いましたが、今は泊まるところが少なくなりましたね。

岩田 観光面で言いますと、宿泊施設が弱いですね。今後、どんなかたちで宿泊施設を整備するかが課題です。経済効果としては宿泊は大きいことですから。

丸山 「地域おこし協力隊」は県の中で2番目に多いですが、その活用については。

岩田 尾鷲は集落が散在しています。それぞれの集落がまちづくりを進めようと頑張ってくれていますが、限界があるので、地域おこし協力隊に活動してもらうことにしました。1回目の応募では、様々な課題もありましたが、2回目は商工会議所の協力もあって意欲のある若い人が来てくれ、地域と一体となって活動し地域も元気になりました。若い人の力は大きい。喫茶店を改装して土日開催の食堂をオープンした地区があります。空き家バンクに住んで対策を考えてくれている女性もいます。今は4人いて、さらに3人募集中です。

小さくても皆が支え合いながら暮らせるまちづくりを

丸山 これからの尾鷲市の将来の姿、今後のビジョンはどのように考えていますか。

岩田 尾鷲市はここ50年来人口減少が続いています。なかなか少子高齢化、過疎化を止めるのは至難の業ですので、小さくても皆が支え合いながら暮らせるまちづくりを進めていきたいです。ものづくり、人づくり、場づくり、ファンづくり、仕組みづくりに『食』を絡ませて。また、尾鷲の魅力の一つに「おせっかい」があります。子育てのためにも尾鷲おせっかい隊を作って、いいお節介を焼きながら元気に暮らせる街にしていきたいですね。

丸山 人口減少する中でも、自治体が独自の事業を展開することによって、活路を見出すことは可能だと思います。尾鷲には港があり、人の出入りがあった歴史があります。人を受け入れる地盤ができており、懐の深い地域だと思います。ぜひ、そこも活かせるといいですね。それでは最後に、個人としての将来設計を教えてください。

岩田 野菜作りをしたいのと、魚の本を出したいですね。もう800種類くらい地魚を紹介しました。尾鷲の魚を売るために、「招き猫」ならぬ『招き魚介類』とか、「七福神」ならぬ『七福魚』を考案してみたいですね。

丸山 尾鷲の魅力を活かした一貫したまちづくりのお話、とても興味深く、大変勉強になりました。今日は長時間にわたり、本当にありがとうございました。

岩田昭人氏プロフィール

昭和25(1950)年尾鷲市生まれ。
信州大学経済学部を卒業後、三重県庁に入庁。土木部港湾課、紀北県民局、尾鷲農林水産事務所などを経て東紀州地域活性化事業推進協議会事務局長を最後に54歳で早期退職。平成21(2009)年に市長に就任し、現在2期目。

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