三重の歴史

名水「智積養水」を巡る水争い

寄稿 / 稲垣勝義氏

環境省の名水百選に選ばれた「智積養水」は菰野町神森地内にある「蟹池」からの豊富な湧水が水源となり、下流域の四日市智積町へと流れている。この地域を流れる川は鈴鹿の山を水源とする伏流水であり、渇水期になると菰野地域の川は川床下を水が流れるようになる。一方で洪水が起きると、川の水が氾濫して田畑に水が入り込んで水の引きが遅く、水腐れになって作物に悪影響を及ぼした。
 水は飲料や調理、洗濯、田畑の灌漑など、人々の生活にとって欠くことが出来ないものであり、江戸時代には村々で大切に維持管理されてきた。干ばつが起きるたびに近隣の村々と水に関わる争いを繰り返し起こし、両村でも水を巡る争いが江戸時代半ば以降に頻発した。その初発が安永6年(1777)の水争いである。その状況を書き記した古文書が菰野町図書館内の郷土資料コーナーに保管されている。智積地域にも、嘉永年代の水争いの文書類が自治会の倉庫に保管されていたそうであるが、現在では所在が不明である。残念ながら廃棄されてしまたのかもしれない。
 そこで、郷土史料コーナーの文書を読みながら、当時の争いの様子がどんなであったのかをみてみよう。

安永6年(1777)の水争い

騒動の発端

「智積養水」から流れ出る水量は「井堰」(水量調節のため水をせき止めた施設)を砂を盛り上げて作り、両村で互いに気を付けながら水の配分を行っていた。だが、この年は干ばつに襲われ、渇水期の水量の確保に不安を覚えた智積村は、少しでも多くの水を自村に流れ込ませるために、森村(現在の神森地内)の「前川原」という場所へ土俵を積み上げ、杭を打って勝手に井堰を作った。もともとこの場所は、洪水のときに森村の本田へ水があふれ出るのを防ぐため、砂を盛り上げただけの井堰であり、土俵や杭で井堰を作る事は避けられていた。その井堰の土俵を森村の吉助という者が勝手に跳ねのけた事が発端となり騒動が勃発した。水量調節の影響が川の上流域と下流域とでは異なることが原因であった。

騒動の様子

 この後、互いの村で井堰に見張り番を付けたりして水の管理を行っていたが、互いの立場からの主張を言い張った。それが更にヒートアップして、智積村の者たちは大勢で太鼓を打ち鳴らし、法螺貝を吹き、松明を持って森村のほうへ集まってきた。史料には「合図の鐘をつき、夥敷松明を燈し…太鼓を打、早貝を吹立…松明を一所へ寄篝火となし、鯨波声をあけ…」とあり、緊迫した様子が書かれている。その後、井堰は元の状態に戻されてひとまず騒ぎは収まるが、再び智積村の村役人たちが大勢の村人を引き連れて、斧、鋸、鉈、鎌などを持って森村の近くへ集まり、大声をあげ、竹木を切り散らし、青田を鍬で打ち倒したりした。「早貝ヲ吹立、太鼓を打、智積村御役人中大勢を召連、斧、鋸、なた、鎌等を持…」「鯨声上ヶ、生茂り候青田を鍬にて打ちたおし申され候…」などと記されるようにあまりにも不法なやり方だったので、森村の者がその場所へ行き、智積村の役人に抗議をするが聞き入れてもらえず、なすすべもなく帰って来ている。
 智積村側が、「前川原井の下」の地を境の場所だと言っているが、森村側は受け容れてはいない。自分たちが井料(智積養水の水の使用料)を貰っている場所であり、智積村が自由にしてよい場所ではないと反論している。

神森村吉助の訴え

 次の日に智積村から、森村の吉助を村内で預かっているとの連絡があった。この吉助という人物は、最初に井堰を壊した張本人であり、吉助本人が、自分の意志で家族の者たちと共に智積村に赴き、村役人に直接事情を話そうとしたと記されている。
あいにく智積村役人は不在だったため吉助は面会できず、家族は吉助1人を残して帰って来た。その夜、真夜中の12時頃になって、神森村の者が吉助の事が心配になり様子を見に行ったところ、吉助はその日の昼頃からほぼ半日の間、見張り番を付けられ、茶・煙草・食事も与えられずに放置されていた。史料には「若き衆中、おんど浄瑠璃などにて存外之儀…甚空腹ニ候得共是非なく…止む事を得ず一飯を数度乞候得共、一向取り敢い申さず候…」と書かれており、智積村の見張り番の若者たちは、浄瑠璃に興じたりして吉助に食事も与えず捨て置いている事が伝わってくる。迎えの者はそのままにしておく事も出来ず、吉助をなだめて村へ連れ帰った。
 森村側はこの吉助の件については、騒動の発端は吉助の一存で行った事であり、村役人に直接事情を話そうとしたのであり、森村とは関わりがないと弁解している。

内済への働きかけ

 森村の村役人達は、智積村の村役人に直接訴えようとして手紙を遣わした。だがその意がうまく伝わらず、神森村の役人達は直接、智積村へ出向いて庄屋たちに話そうとしたが、あいにく不在で面会が出来なかった。そこに居合わせた年寄衆から、「既に領主役所へ申し上げてしまってあるので手遅れである」と伝えられ、けんか腰の対応でどうしようもなく村へ帰ってきた。
 次の日には、智積村の年寄2人と百姓1人が森村の庄屋宅へやってきて、前日の話を訪ねられたが、森村側は「直接会って申し上げたいことはあったが、すでに手遅れだと言われてので、もはや他に言う事はない。そちらから何か話があれば聞く」と伝えたところ、智積村の者たちはそのまま帰ってしまっている。
 だが、両村ともこのままで良いことはなく、次の打開策を模索し始める。そこで考え出されたのが両村の内縁の者達による内済への働きかけであった。両村は隣同士の村であり血縁や地縁でつながっている家が多かった。その関係筋を頼って仲介させ、内済へと取り扱えるように働きかける事であった。両村の縁者たちの間で何回か熟談がなされて書付も取り交わすまでになったが、当初に取り決めた口上の文言の内容について対立が起き、内済は不成立に終わった。
 隣接する村同士の関係もあり、争いがこれ以上大きくならないように両村とも、落としどころを模索するが双方の利害が衝突して、内済は簡単には成立しなかったようである。

結末

 その後、智積村に於いて話し合いを持ち、当初に取り決めた「口上」が間違ってはいないことを確認し合い、ようやく内済の手続きが整う。だが森村側は「智積村が森村より水を一滴も貰えないので難渋していると申し立てているが、今の時期は渇水期ではあるけれども水は絶えず流れており、森村から水を妨げるような事はしていない」とし、「「金田」(森村地内の分水地点)という所は昔から井堰が立てられていたが、智積村が切り落としたままにしてあり」、さらに「水の流れ具合は先頃、役人様方が検分されて明白な事であるのに、智積村が今年に限って新規のことを行った。いかなる意図があるのか不明だが、理不尽なことであった。これまでも森村が用水を妨げたために智積村が干ばつになったという事実はなく、智積村がこれまで通り規則を守り、用水を滞らせず引き入れるようにされたい」と訴えている。
 上流域で水源のある森村からは下流域の智積村へ絶えず分水してやっており、干ばつの時でも智積村の水が不足して支障が出ないように配慮してきていた。それにもかかわらず智積村の水が不足しているかの主張は事実とは異なり、これまで互いに守って来た規則を智積村が破ったために今回の争論が起こったのであると主張し、智積村への善処を訴えている。

領主の違いが問題を複雑化?

当時の森村(当時は神田村、森村と別れていた)は菰野藩領だが、智積村は長島藩領と吹上藩領の相給領(複数の領主が統治する村)であり、領主の違いが問題をより複雑にしていた。森村が智積村の狼藉を非難し、長島藩領主の増山河内守(正賢)とその役所、吹上藩領主の有馬恕吉とその役所に対し、それぞれ善処を求めて提出した古文書である。

著者 / 稲垣勝義氏プロフィール

1950年生まれ。元高校教師。退職後、古文書が読みたくて、三重大学人文学部で近世日本史を学びながら、古文書の奥に広がる世界を楽しんでいる。趣味 / 低山歩き、テニス

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