オーナーの小澤幸子(さちこ)さんがジャズ喫茶「どじはうす」をオープンさせたのは80年のこと。平田駅近くの9坪という小さな店だった。
「喫茶店がやりたいという弟のために主人が借りたんですけど、弟さんが『こんな小さな店は嫌だ』って言うんです。でも、もう借りてしまって返せない。主人は仕方なく『お前やれ』って(笑)」。
しかし普通の主婦だった幸子さんは、喫茶店の経営どころかコーヒーのたて方さえわからない。
「どうせわからないんだったら、一日中好きなジャズが流れてるお店にしよう!」。
この偶然のようなきっかけで、ジャズ喫茶・初代「どじはうす」は誕生した。
わからないなりに必死でやっているうちに常連のお客さんも増え、コーヒーのたて方もうまくなった。
お店の方が軌道に乗ってくると、幸子さんは-ライブがやりたい-と思うようになってきた。
「東京でも京都でもジャズのライブをやるお店はたくさんあるのに、三重にはないじゃないですか。それが悔しくて」。
ライブをやる!と決意した幸子さんは、会場を探しはじめた。幸い、使っていない関西電波の倉庫と、平安閣を使わせてもらえることになった。ただし平安閣が借りられるのは仏滅の日だけ。
「でもライブって、うまい具合に仏滅に入ってくれませんよね(笑)。特に外国のミュージシャンだと、お話があったら即答しなきゃダメなんです。でも会場を押さえてからじゃないと返事ができない。そんなジレンマがあって、ライブができる広いお店を持ちたい、と思うようになったんです」。
そして平成元年、幸子さんは現在の場所に2代目「どじはうす」をオープンさせる。開業資金は銀行から借りた。多額の借金だった。
たいへんな想いをしてスタートさせた「どじはうす」だったが、スタッフにも恵まれ経営は順調だった。新たにお酒を扱うことにしたのだが、幸子さんはお酒のことなどさっぱりわからない。お客さんに教えてもらうことも多かった。
「私が好きなのはジャズだけ。他のことは何も知らないんです(笑)」。
念願のライブも定期的に開催できるようになった。国内外の有名なアーティストが来演した。「どじはうす」は三重のジャズファンで知らぬ者はない有名店となっていった。
しかし3年後、幸子さんはくも膜下出血で倒れてしまう。入院とリハビリの日々。そんな幸子さんを支えたのは、ライブを手伝ってくれていたスタッフの人たちだった。その人たちのおかげで、幸子さんは再び「どじはうす」に復帰することができた。
ご主人が東京に転勤することが決まった時、幸子さんは持病のある御主人の身体を気遣って、東京についていくことにした。こうして「どじはうす」は休業することになった。
幸子さんにとって7年間の東京生活は楽しかった。ライブはもちろん、歌舞伎、演劇、バレエなどを観てまわった。武蔵大学の聴講生になって若い学生たちと一緒に勉強もした。
「この際だから、三重では観れないものをいっぱい観て、いろんな経験をしてやろうって思ってました」。
ご主人の東京勤務も終わり、三重へ帰ってきた幸子さんは、さっそく「どじはうす」を再開させる。常連だった人たちが再開を知ってお店にかけつけた。誰もが「どじはうす」が変わってないことを喜んだ。
最後に「どじはうす」をどんなお店にしていきたいか聞いてみた。
「若い人にレコードの音を聴いて頂きたいですね。特に50~60年代のレコード。アナログの音って、心に沁みてくる音なんですよ」。
オーナーの小澤幸子さん
彼女のJAZZとの出会いは中学1年のとき。洋画にハマっていた彼女は、映画の中で使われるJAZZの名曲にも夢中になった。「私にとってJAZZを聴くのは自然なことで、特別な音楽とは思いませんでした。プレスリーを初めて聴いた時も新鮮で素敵だと思いました。音楽にしろ、映画にしろ、とにかくハイカラなものに憧れましたね。当時は、みんなの気持ちが外へ外へと向っていたような気がします」。
※店内の石造りのパーテーションには、来演ミュージシャンのサインが。ルー・タバキン、デビィット・マレー、ルー・ドナルドソン、マル・ウォルドロン、山下洋輔、日野皓正、渡辺香津美、綾戸智恵、秋吉敏子など、早々たる顔ぶれ。
ジャズ喫茶 どじはうす
鈴鹿市南玉垣町5536-3
電話 059-383-5454
営業 14:00 – 23:00
定休日 月曜・火曜
※ときどき臨時休業するかも?