「アコギ」という言葉がある。「アコギな商売」といった感じで使われていて、あくどいとか強欲とかいった意味なのだが、その語源は津市の阿漕浦からきている。ここはかつて伊勢神宮に供える魚を捕る漁場で、一般の人が魚を獲ることは禁止されていた。しかし実際は頻繁に密漁が行われていたらしく、平安時代の『古今和歌六帖』や鎌倉時代の『源平盛衰記』などにも密漁のことが記載されている。
阿漕浦で有名なのが「平治せんべい」の名の由来となった平治の話だが、平安時代の大歌人・西行にも、この阿漕に関する逸話がある。西行は18才の頃、佐藤義清(のりきよ)と名のる武士で、院の御所を警護していた。まだ若い義清は、御所の御簾越しに垣間見る身分の高い女性に恋してしまう。義清は彼女にひたすらラブレター(和歌)を書き続けた。女性は義清の一途な恋の情にほだされ、一夜の契りを結ぶ。別れ際、義清が「またの逢瀬は?」と聞くと、彼女は「あこぎであろう」と言い、帰っていった。「アコギ?」義清はその言葉の意味がわからなかった。
23歳のとき義清は出家。西行と称し、歌修行のため各地を旅する生活をはじめる。伊勢の旅の途中、西行は馬子が馬に「お前はアコギなヤツだ」と言うのを耳にする。馬子に「アコギ」の意味を聞くと、馬子は「さんざん前の宿場で豆を食っておきながら、二宿も行かぬうちにまた食いたがるのです」と言った。そこで西行は悟った。「アコギとは、二度目は図々しいということなのだ!」と。
西行(1118年~1190年)
平安時代の歌人。旅の歌人として有名で、その足跡は日本全国に至る。鎌倉時代に作られた『新古今和歌集』には、西行の歌が個人の歌としては一番多い94首選ばれている。