三重の企業人たち

有限会社ささき観光 / 佐々木社長

佐々木観光 菰野

いつかバス会社をやりたい。その夢を着実に実現してきた男の、実直で確かな歩み。

バス好きな少年の夢

 佐々木は子供の頃からバスが好きだった。家族で行くバス旅行は何よりの楽しみだった。大人になったらバスの運転手になる、というのが彼の夢だった。どこにでもいる、バスが好きな少年だった。しかしそんな佐々木少年の夢は、大人になっても変わらなかった。
 短大を卒業した佐々木は、すぐにでもバスの運転手になりたかった。しかしバスの運転手になるには2種免許が必要で、2種免許は普通免許を取って3年経たないと受験できない。佐々木は仕方なく生コン車の運転手として働いた。21歳になり受験資格を得ると、佐々木はすぐ2種免許を取りに行った。有料の練習施設で何回か練習した後、試験場に行って合格。2種免許が取れるとすぐ三重交通に「採用して欲しい」と電話し、運転手として採用された。
 三重交通では路線バスの運転手として働いた。同世代の仲間も多く、仕事はそれなりに楽しかった。しかし大きな組織の一員としての窮屈さも感じていた。
「自分で好きなようにカスタマイズできる自分のバスが持ちたい。自分でバス会社をやりたい」と強く思うようになってきた。
 そんな佐々木の興味を引く仕事がもうひとつできた。葬儀の仕事だった。葬儀場の送迎などで葬儀を見る機会が多かった佐々木は「これなら自分でもできそうだ」と思うようになった。バス会社をやりたいという夢に、もうひとつ葬儀屋をやりたいという夢が加わった。
「夢はだんだんふくらんでいきますよね。その頃にはバス会社と葬儀社をやりたいという気持ちを抑えられなくなってきたんです」。
 26歳で三重交通を退社した佐々木は、独立の準備のため知り合いの葬儀社の社長に頼み込んで働かせてもらうことにした。同時にアルバイトでトラックの運転手をやり収入の足しにした。
 平成6年、佐々木32歳の時、小泉内閣の規制緩和により、バス会社を設立するための規制が緩和された。バス3台揃えれば、誰でもバス会社が設立できるようになったのだ。佐々木は「チャンスだ」と思った。すぐに奥さんの実家に「バス会社と葬儀社をやりたいからお金を貸して欲しい」と頼んだ。義父は快く開業資金1千万を貸してくれた。

バス会社と葬儀社を同時に立ち上げる

 
 佐々木はバスでの旅客運送と葬儀を行う「有限会社ささき観光」を設立。中古のバスを3台買って事業をスタートさせた。しかしバス事業の方は最初はほとんど仕事がなかった。仕事がなくても運転手には給料を払わなくてはいけない。完全に赤字だった。逆に葬儀の仕事はすぐに入った。
「両親は菰野に80年住んでいるましたから『あそこの息子さんが葬儀屋を始めたらしい』ということがクチコミで広がって、近所の人が利用してくれたんです。あと、看板を菰野のいたる所に建てたんですが、それで知名度が上がりました。3年間は女房と2人でやってたんですが、忙しかったですね」。
 二つの事業を同時にスタートさせるケースは珍しいが、ささき観光の場合、これが功を奏した。設立当初の苦しい時期を葬儀事業の収入が支えたのだ。葬儀の際の送迎ももちろん請け負った。葬儀の仕事が入ればバスの仕事も入った。
 3年目ぐらいから、バスの仕事が増えていった。従業員の送迎等、いくつかの企業と専属契約することができたからだ。ホテルや飲食店、ゴルフ場の送迎の他、なんと競合する他の葬儀社のからも送迎の仕事をもらった。法人契約が増えたおかげで売り上げは順調に増えていった。バスの台数も年を追う毎に増え、大型バス4台を含め、現在は16台を数えるようになっている。
 葬儀事業も順調で、菰野に密着した葬儀社としてコンスタントに仕事は入っている。平成20年には自宅での葬儀が難しいお客さんのために、大羽根の駅の横に家族葬ホールを作った。

運転手の負担を軽くすることが社長の仕事

 成功した秘訣は何ですか?という質問に、佐々木は「まだまだ成功なんてしてないですよ。もっと頑張らないと」と言いつつも、「仕事が順調な最大の理由は、バスが好きだからでしょうね。バス事業が好きなんではなく、バスが好きなんです」と答えた。
「お客様のところに朝7時に行くためには朝4時、5時に点呼しなければならないし、バスが帰ってくるのは夜の8時9時です。早朝から夜まで、盆・正月もなく働いてます。会社設立以来15年、病気以外で一日休んだことはないです。でも全然嫌じゃないんです。帰ってくるバスの姿が見えると『今日もありがとう』って思いますね」。
 佐々木はバスが帰って来ると運転手さんと一緒にバスの掃除をするという。少しでも早く掃除を終えて、次の日も元気に出勤して欲しいからだ。
「その時に運転手さんと話すんですよ、今日のお客さんはどうだった?とかね。ま、運転手さんは社長と一緒に掃除するのは嫌かもしれませんけど(笑)。どうしても長時間労働になるバス運転手のために、少しでも運転以外の負担を減らしたいんです」。
 そのために佐々木は、会社にスタンドと洗車機を作った。費用は1700万だった。
「お金はかかりましたけど、日割りにしたら安いし、ガソリンを入れにいったり洗車したりする時間が節約できるのは大きいです。機械は何もいわずに働いてくれるけど、運転手さんはお願いしなければ働いてくれませんからね。運転手さんは宝です。『あの運転手さんが良かった』という理由でリピートしてくれるお客さまは多いですからね。彼らが無理なく楽しく働いてくれるようにすることが、私の仕事だと思っています」。

有限会社ささき観光

ささき観光バス
三重郡菰野町菰野9711番地1
tel.059-393-1233
http://www.ssk-kanko.co.jp/
ささき葬祭
三重郡菰野町菰野3290番地1
tel.059-393-1414
http://kazokusou-mie.com/
                     

(Visited 1,947 times, 1 visits today)







-三重の企業人たち
-

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


関連記事

株式会社伊賀越 / 本城和寿社長

国産原料と天然醸造が生み出す?本物の味で消費者の強いナチュラル志向に応え、また、ハラール対応や子どものアレルギー対応にも目を配る。細やかな視点で社会のニーズを捉え、グローカルに事業を広げて行く。 貴 …

山口典宏

有限会社山口陶器社長 / 山口典宏

ラグビー一筋だった男が父親の会社を継いで目指したのは、「家業」を「企業」にすること。地場産業の新しいカタチを実現させるため、未来へのビジョンを掲げてそれにつき進む山口氏。その半生と今後について話を伺っ …

株式会社 シー・ティー・ワイ / 塩冶憲司社長

四日市市本町に本社を置くケーブルテレビ局「シー・ティー・ワイ」は今年1月31日、開局25周年を迎えた。地上デジタル放送、多チャンネル放送(CS・BS)、インターネット、緊急地震速報サービスを提供してい …

山中重治

オキツモ株式会社社長 / 山中重治

社員をどこまで放置して、どこから手を差し伸べるか、その塩梅が難しい。経営者にとって、永遠のテーマである。 ― オキツモ様の現在までの企業沿革について、教えてください。 山中 祖父が大阪で丁稚奉公をした …

銀峯陶器 熊本哲弥

銀峯陶器株式会社社長 / 熊本哲弥

冬の団らんに欠かせない鍋料理。親しい人が傍にいて、声をかけ合い、気持ちを分かつことのできる幸せ。このあたりまえの幸せがあたりまえでなくなり、目の前のあたりまえの幸せに感謝することが必要と反省を促される …