明治の日本戦史に於いて、立見直文ほどの名将はいなかったと思う。北越戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争に於ける彼の戦功は、めざましいものだった。しかし、乃木希典など他の有名な軍人たちと比べ、立見はさほど名が知られていない。その理由は、彼が桑名藩という「賊軍」出身だからだ。薩長閥でなければ出世できなかった明治政府に於いて、彼はその能力のみで陸軍大将にまで登りつめた。もっと評価されるべき人物のひとりだろう。
立見尚文(通称・勧三郎)は1845年、桑名藩士・町田伝大夫の三男として桑名藩の江戸藩邸で生まれ、その後、立見作十郎の養子となる。少年期より風伝流の槍術、柳生新陰流の剣術の使い手であった。長じてからは藩校立教館、湯島の昌平坂学問所に学び、藩命で幕府陸軍に出向した時は歩兵第三連隊に籍を置きフランス式用兵術を学んでいる。
やがて薩長がその野望を露にし始め、桑名藩も幕府方の先鋒として奴らと戦うも錦の御旗にびびった徳川慶喜は情けなくも白旗を挙げてしまう。桑名藩内にも薩長への降伏論が強くなる中、尚文は徹底抗戦を主張、藩主の定敬に従い宇都宮、そして長岡と転戦する。
特に長岡での戦いでは雷神隊隊長としてゲリラ戦を展開し、朝日山の戦いにおいては奇兵隊参謀時山直八を討ち取る殊勲を挙げるなど、度々西軍を打ち破った。しかし、長岡藩敗北後は会津・庄内とさらに転戦するが、庄内藩もついに西軍に屈した為、尚文も泣く泣く降伏した。
敗戦後しばらくは、「賊軍」出身でしかも西軍相手に大活躍した尚文に仕官の口など有ろうはずも無く、在野での雌伏を余儀なくされた。しかし、時代は彼ほどの名将を放って置かなかった。と言うより薩長政権もそんな事を言ってる場合ではなくなったと言うべきか。士族の反乱が相次いで起きるとかつて西軍を相手に見せた指揮能力を評価され、請われて陸軍入りする。西南戦争では陸軍少佐として新撰旅団一個大隊を指揮し、私学校軍の拠点となった城山に突入するなど奮戦している。
その後も昇進を重ねていった彼は、日露戦争に第二軍団所属で出征する(ちなみに第二軍団長は以前にも紹介した奥保鞏である)。そして、彼の名を高らしめたのが、黒溝台の戦いである。
沙河会戦後、日露両軍は数ヶ月に渡る対陣状態が続き、戦線は膠着状態に陥っていた。その状況を打破しようと、ロシア第二軍司令官グリッペンベルグは約10万の大軍で日本軍左翼への総攻撃を決行。秋山好古率いる秋山支隊が守備する日本軍左翼に攻めかかった。いち早く敵の動きを掴んだ好古は援軍を要請するが、偵察部隊だろうとたかをくくった本部は好古の要請を黙殺してしまう。結果、秋山支隊は8千の兵で10万のロシア軍に立ち向かわなければならなくなった。
一方、敵襲の報告を受けた満州軍装司令部だが、敵兵力を過小評価し第八師団しか援軍をよこさなかった(この件は名将、児玉源太郎には珍しいポカである)。出撃を命じられた立見軍2万はマイナス30度の極寒の中を夜間においても寝ずの強行軍を敢行し、黒溝台へ到着する。十倍以上のロシア軍の猛攻に晒された黒溝台は陥落寸前であった。尚文の到着で陥落はとりあえず免れた黒溝台だが、それでも戦力差は約四倍である。そして、さらなる援軍到着までの間、尚文と好古はよくロシア軍の猛攻に耐え、持ちこたえた。その激戦は2万の立見師団の半数以上を失うほどであったと言う。そんな中、尚文は敵弾が飛び交う最前線で指揮をとり、味方を鼓舞し続けたのである。
立見師団、秋山支隊が露軍を食い止めている間に日本側は第一軍、第二軍より兵力を裂いて黒溝台方面を増員、そうこうしている間にロシア軍は戦況を読み違え撤退命令を下す。かくして尚文、好古らは辛くも黒溝台を守りきったのである。この戦いを契機に勢いは日本軍に傾き、ロシア国内での厭戦気分はより高まる事となった。この流れは後の奉天会戦へと続き、終戦へと至ったのである。
そして、これらの功が認められた尚文は明治39年、陸軍大将に昇進する。これは薩長藩閥政治の中、しかも「賊軍」出身者としては破格の扱いと言っていい。その一年後、尚文はその波乱を生涯を閉じるのだが、戊辰から日露戦争に至るまでの戦歴は軍内でも一目置かれ続け、薩摩の出で元帥まで昇った野津道貫をして「東洋一の用兵家」と言わしめている。
その一方で、戊辰において西軍を散々に痛めつけた経歴から、山県有朋を筆頭に煙たがる者も多かったようである。日露戦争の時に薩長の士官が北越戦争の話をしていた(おそらく戦功を挙げたなどと偉そうに言ってたのだろう)のを横で聞いた尚文は「お前はあの時私の目の前から逃げ出した」とからかい、士官達はぐうの音も出なかったという。
その葬儀の際には、大山巌や山県有朋らも参列し遺影に頭を下げたと言う。薩長相手に、その戦功をして実力を認めさせた、まさに名将と言っていいだろう。【文 / 鶴ヶ魂)】
この記事を書いた、鶴ヶ魂さんのブログ
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「脱・薩長史観」を基本テーマに、歴史や人物を自由奔放に語る。独特の視点と秀逸な文章は一読の価値あり。