今から40年前、リウマチは有効な治療法もなく、患者たちは肉体的にも、精神的にも、苦しんでいた。そんな患者さんたちの苦しみを少しでも減らすことはできないか?そんな想いから、整形外科医、真鈴川寛さんは、リウマチ患者の会を立ち上げた。
本格的にリウマチに取り組むもうと決意
真鈴川医師がリウマチ患者と接することになったきっかけは、塩浜病院に勤務していた時のこと。関節液の研究をしていた彼は、リウマチで関節が腫れた患者さんから関節液を採取していた。そうしてリウマチ患者に接するうちに、リウマチという病気の深刻さを知るようになる。「本格的にリウマチに取り組むもう」そう決意した真鈴川医師は、昭和45年、塩浜病院に「リウマチ外来」を新設し担当医となった。三重県初のリウマチ外来の誕生だった。
「たくさんのリウマチ患者さんを知る度に~これは大変な病気だ~という思いを強くしました。リウマチは女性に多い病気です。当時は効果的な薬もなく、患者は大変な苦しみを味わっていました。肉体的な痛みと共に精神的な痛みにも耐えなければならなかったんです。病気になったばかりに離婚された方もいました。まさに業病といえるものでした」。
治療を受けてもうまくいかない患者さんは、鍼、マッサージ、温泉などあらゆることを試すようになる。中には怪しい宗教家の言葉を信じて大金を遣う人もいた。最初は優しかった家族も、そのうちに「また痛いのか」という顔をするようになる。そんな苦しさが続くと、患者さんは「もう生きていても仕方ないのでは?」という所まで追い詰められてしまうのだ。
リウマチ患者の会『北勢リウマチ友の会』を発足
患者さんの苦しみを和らげるにはどうすればいいんだろう? 悩んだ真鈴川医師は、患者さん同士の交流の場を作ろうと思い立つ。そして昭和46年、リウマチ患者の会『北勢リウマチ友の会』を発足させた。
「他の患者さんと話すと~リウマチで苦しんでいるのは自分だけじゃないんだ。もっと重症の方もいて頑張っているんだ~と知り、生きる勇気がわくようになるんです。患者さんや家族の方にリウマチについての正しい知識を持ってもらうことも目的でした」。
設立時のメンバーは60名。会合があると患者さんたちは互いに自分の苦しみを正直に語り合った。今まで誰にも言えずにいた想い、そんな想いを語る場所ができたのだ。会員たちは会食や会長さんの主宰する華道教室などを通じて知り合い、同じ病気を持つ仲間同士、友情が生まれた。
また「友の会」では『銀河』という機関誌も発行した。真鈴川医師は『銀河』に「リウマチの知識」という一文を書き、リウマチとはどういう病気かを詳しく解説した。築港病院の大澤院長や元厚生労働大臣の坂口氏らも講演や寄稿といった形で「友の会」をサポートした。しかし「友の会」の会費は年額500円。そこから発行費用を捻出するのは大変だった。時に真鈴川医師は自腹も切ったが、後に製薬会社から広告をもらうようになり、なんとか赤字を解消することができた。
こうして40年。「北勢リウマチ友の会」は現在に至っている。今でも患者さんたちの心の支えとして、活動は続けられている。
長期間の治療を通じて生まれる、人間的な親しみ
現在ではリウマチは良く知られる病気になり、三重県下でもリウマチ外来がある医療機関は80件を超えるようになった。治療に関しても、この10年ほどで画期的に進歩した。生物学的製剤が開発され、重症化させない治療が可能になった。ただしこの薬は適合しない人もいるし、副作用も強い。値段が高いのも患者さんにとっては負担だ。まだまだリウマチは大変な病気なのだ。
「治療は20年、30年の長さになります。でも長く付き合ううちに、患者と医者という立場を超えて人間的に親しみがわいてくるんですよ。長く付き合ってきたということは、治療がうまくいっている証拠ですしね(※リウマチの患者さんは、統計的にみると一般の人より若干短命である)。主治医を信じて通ってきてくれる患者さんが、病気が悪化せずに元気に生活されている姿を見るのが一番嬉しいですね。それが、医者としての生きがいです」。
患者さんINTERVIEW 佐藤 年恵さん(仮名)
インタビューした佐藤さん(仮名・83歳)は「北勢リウマチ友の会」設立当初からの会員さん。小柄で明るい女性だ。一見、大病をしているようには思えない。しかし病気に苦しんだ一人であることは間違いない。
佐藤さんがリウマチを発症したのは40代前半の頃。手が痛くて布団の上げ下ろしもできない、フライパンも持てない。近くの病院へいくとリウマチと診断され、治療を開始した。しかしそこで処方された薬が合わなかったのか、次第に顔が腫れてきた。怖くなった佐藤さんは治療を中断し、鍼を頼った。
「鍼を打ったすぐは痛みが取れるんですけどね、帰りの電車に乗る頃にはもう痛みはじめるんですわ」。
それでも鍼には2年ほど通った。でも痛みは増すばかり。
「しんぼうできないほど痛いんです。これから娘も息子も片づけなきゃならんのに、どうなることやらと途方に暮れました」。
そんな時、良い先生がいるという話を聞いた佐藤さんは、真鈴川先生のもとへ。そして治療が始まった。治療の効果はすぐ出た。痛みは徐々に消えていった。患者の会「リウマチ友の会」が発足すると、迷わず会員になった。
「このまま治らんと一生痛みが続くのかなぁ?と思ってたんですけど、みなさんの元気になったお話とか聞いて、楽になれました」。
また佐藤さんは「友の会」の会員で「銀河」の表紙の絵を描いていた野村さんが、真鈴川整形外科の一室で始めた絵画教室にも通うようになった。なんとその教室では、真鈴川先生も生徒として一緒に絵筆を取った。
「『友の会』の総会ではカラオケや舞踊や色々やって楽しかったです。バスで花博にも行きました。会長の中村さんや野村さんにも仲良くしてもらいました。あと真鈴川先生と娘さんとみんなでお寺にお参りに行ったのも楽しい思いでです」。
「友の会」のことを語る時の佐藤さんは本当に楽しそうだ。
真鈴川医師について聞いてみると、
「とにかく優しい先生です。だから何でも言いやすいんです」。
今は病気のことはあまり考えないと言う。趣味は大正琴で、なんとグランドゴルフもするそうだ。
「同窓会へ行くと『お前が一番元気そうやないか』って言われます(笑)。私が一番先かな?と思ってましたけど、先生のお陰でここまで長生きさせてもらって、ありがたいことですわ」。
真鈴川寛氏略歴
昭和10年、鈴鹿市にお寺の長男として生まれる。三重大学医学部卒。三重県立大学医学部付属塩浜病院、県立志摩病院、県立草の実病院、四日市港湾福利厚生協会築港病院勤務を経て、昭和48年真鈴川整形外科開業。社団法人日本整形外科学会認定医。日本リウマチ学会リウマチ登録医。日本整形外科学会リウマチ認定医。三重県保健医協会会長。三重県北勢リウマチ友の会顧問。三重県四日市医師会議長。趣味はゴルフ、社交ダンス、海外旅行、カラオケ。
真鈴川整形外科
TEL.0593-97-2401
四日市市楠町南五味塚160-4