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さあ絵を描こう、そして展覧会を開こう

木村 哲美

木村哲美

この2枚の絵は、2016年8月に三重混声合唱団としてオーストリア・ウィーンへ演奏旅行に出かけた時の絵です。ウィーン国立歌劇場とシュテファン大聖堂で歌い上げ、万雷の拍手をいただきました。旅先でのスケッチは思い出を呼び起こす素晴らしいツールです。立ち止まって描いた場所の空気感やざわめきの音、そのほとんどを覚えています。

人類が絵を描いた意味

 人間が初めて絵を描いた場所、それは暗闇が支配する洞窟でした。岩肌に描かれたおびただしい数の壁画!バイソンやシカ、馬などおよそ六百頭がダイナミックにあらわされています。一万七千年前に描かれました。「ラスコー洞窟壁画」を描いたのは旧石器時代のクロマニヨン人。日本はまだ縄文時代以前です。
 人は大昔から絵を描いてきた。記録のためか、儀式のためか、楽しみのためか、意志伝達のためか。権威を象徴するため、メッセージを訴えるため、人を感動させるため、広告のため、お金のため、暇つぶしの道楽。目的はさまざまで、とてもひとつに割り切れるものではありません。
 しかしその根源に、多くの人間が抱える何かを造りだしたいという欲求、一種の表現欲のようなものがあるのではないかと思います。先史時代の人びとは、第一要求として野獣の収穫を願うと同時に、岩肌のしみや割れ目の中に野獣の形を連想し、願いや祈りを込めたイメージを絵画で表現したのではないでしょうか。

子どもはなぜ絵を描くのか

 子どもは言葉を習得するとき、大人の言葉をオウム返ししながら覚えます。それとほぼ同時期に自然な本能的行為として絵も描き始めます。そして言葉と絵が相互に補完しながらひとつの世界を構築していくと思われます。
 子供にとって絵を描くということは自分自身が経験した事を外へと表現する、自己表現のひとつなのだそうです。
 子どもは描いた形を指さして「これは車」などと命名します。そのうち「車が走っている」と意味づけをしはじめます。自分がイメージしたことを絵に再現するという芸術行為の始まりです。
 このように子どもの絵画は1本の線を引くことからスタートします。1本の線が引かれることで画面は一転、空間をはらみ、線は単なる線ではなく対象そのものとなります。そしてまた単なる用紙が、見立てることによって空間となり、その空間が1本の線を引かれることによって森や木や人物や動物の表象を得られるのです。子どもは言葉だけでなく、絵を描くことによって知能を育てていきます。

人はなぜ絵を描くのか

 大人になると、絵を描く行為自体を楽しんだり、自分を表現するということよりも、目で見たものを実写的にとらえる事が優先してしまうのです。私たちが絵を描くときには、バナナを写生しようとして、そっくりに描けたらうれしい。昔話に出てきた鬼の姿を想像通り紙に描けたとき、「うまくいった!」と素直に喜ぶ。自分の目に見えるものをいかに上手に描くかという事を考えてしまい、それを「うまく描くことが出来ない事」と思い、「絵が描けない」につながっていくのです。

木村哲美

 でも大人になったからといって、必ずしも目の前にあるものを上手に描かなくてはいけないという決まりはありません。自分が描ける線で、そして自分が塗りたいと思う色で好きなように描いてみることの方が楽しいものです。ものを写す歓びとはちょっと別のものかも知れません。自分の絵が、思いもよらなかったものを生み出したときこそ、いちばんおもしろいのです。
 子供の絵なんかは、ハッ!とさせられるほどに力強かったり、目を奪われる色彩だったり、センスのあるものだったりで本当に魅力いっぱいです。
 大人の「絵が描けないんだよ」と言う人の絵も、その人にしか出せない線で描かれているので「うわ~!この線ヤバイ(いい意味です)」と心の中で思うくらい、ステキだなと思っています。
 「絵を描く」ということは、歌をうたったり、踊ったりすることと同じくらいに、やってみると自分の中のモヤモヤがスッキリしたり楽しかったりで心の解放につながっていくこと間違いなしです。
 絵画とは「なんらかの支持材、場所の上に、各種の顔料などによって物の形や姿を平面上に表現したもの」と定義づけられます。
 絵画とは視覚芸術であり、目に見える色や形からなる図像と、その図像が表現しようとする意味内容の二面から成り立ちます。そしてその表現によって鑑賞者は方向付けされ、世界を新しい相貌(そうぼう)のもとに見始めることになります。
 そこに何が描かれているのか、絵の中の色やかたちが外界の見知ったものとどれほど似ているかどうかなんて、まったく気にしません。

わたしたちは、何を目的として絵を描いているのでしょうか

 だれかに絵を見てもらいたい、評価されたいがために「見せること」を目的として描いているのでしょうか。それとも、ただ描きたいがために、つまり描くことが楽しいという気持ちから「描くこと」を目的として描いているのでしょうか。
 わたしたちは、だれでも最初は、「描くこと」を目的として描きはじめます。子どものとき、人に「見せること」は考えていません。
 しかし、だんだんとそうではなくなります。人間同士の交流を求めるようになり、絵をだれかに見てもらいたい、評価してもらいたいという欲求が生まれます。
 言葉を人に聞かせ、返事をもらえば会話になる。絵を見せて誰かが共感してくれれば、それもやはり一種のコミュニケーションの始まりです。
 よく現代アートは理解できないなどと言われますが、それは、自分の描きたいものを描いて自己満足し、個人的な趣味嗜好を突き詰めているのに、人に評価してもらいたいという欲求もあるので、意味の分からない作品が美術館に飾られることになってしまうのです。自己満足の現代アートは評価してもらわなくて良いのです。作家自身の中で完結しているのですから・・・鑑賞者は対象物をただ観て、理解しようとせずに何かを感じるだけでいいのです。
 ではなぜ人に見せるのか?「褒められたいから絵を人に見せるのだろう」という人もいるかもしれない。しかし、それでは上手な(少なくとも本人はそのつもりの)人以外、絵を人に見せることはなくなってしまいます。おそらく、絵を見せたくなるのは、それが自己満足の上に立つ自己表現だからです。

私はなぜ絵を描き始めたのか

 今から15年ほど前、津市で開かれたある会合のテーブルで、私の似顔絵を描く人物と出会った。この人物との出会いが始まりの始まりであった。
 私の横顔を描いた人物は、中国人の水墨画家で、流ちょうな日本語で水墨画教室の詳細を語り始めた。「四日市市と鈴鹿市と大阪市で水墨画を教えています。一度遊びに来てください。」それから約四年間、彼が中国へ帰る時まで水墨画を描くことになる。
 筆を水で湿らせ、墨を含ませ、真っ白な画仙紙に一気に、太く細い、濃く薄い線を描いていく。このダイナミックさに魅了された。
 決して描き直すことのできない、緊張感と決断力。画仙紙に滲み行く自然の滲みの魅力。強と弱!粗と密!濃と淡!時には筆を素早く、時には兎に角ゆっくりと!・・陰と陽の魅力が水墨画には求められます。
 小学校の絵画授業以外で絵を描いたことの無かった私が、60歳手前で水墨画という絵画に出会ったのです。
 そして2007年秋中国桂林への旅行に出かけた。中国のお札に描かれている、あの水墨画風の山々を見ることが目的であった。漓江という大きな川を陽朔という町まで6時間ほど川を下りながら、両岸の景色(山々)を船の上から眺めるのである。
 その川下りの間、船の上で絵を描いている人物がいた。彼の描いている絵を見るために、自然と観光客が彼の周りに集まる。その様子を見ていて「ああいいなあ!写真を撮るだけではなく、あんなふうに描を描けたら旅行が何倍も楽しくなる」素直にそう思った。
 楽しい桂林旅行から帰った私は、早速小さなスケッチブックとボールペンを揃えた。そして身の回りにあるものを見よう見まねで描き始めました。
 スケッチブックの30ページくらいを描いた頃に、四日市大学で日展画家に出会った。またまた、人生は出会いの旅である。木村さん四日市大学で絵を描いているから描きに来ませんか!この一言で一緒に絵を描き始めたのです。
 水墨画を少し描いていたので、画材は水に関係する透明水彩絵具(ホルベイン12色)と金属製パレット、水彩は道具も小さくて旅行スケッチにはうってつけでる。あとは輪郭線を描く鉛筆なのだが、水墨画をやっていた事で、消しゴムで修正できる鉛筆を使わないことに決めて、ゲルインクのボールペンやフエルトペンを揃えた。水彩筆はホルベインの初心者用平筆と丸筆を数本、スケッチブックはSМ、F2号、F4号の大きさを、水差しは百均で購入。これで絵を描くことができる。
 四日市大学の教室で絵を描き始めて半年が立ったころ、木村さん個展をやりなさい!と声をかけていただいた。絵を描き始めて半年の素人が個展なんておこがましく、すぐに断ったのだが・・・木村さん、11月に亀山市にある喫茶店での個展を決めてきました・・・これが第一回個展の顛末であります。
 亀山のカフェは先生の教え子が経営するカフェで、カウンターの客席後ろの壁に絵画が十枚ほど展示できるようになっていて、誰かの絵が一か月単位で委託展示できるようになっています。ここに2008年11月から一か月間10枚のつたない絵を展示しました。 中国旅行での風景を描いた絵を中心に、ファッションショーや花の静物画を展示。とにかく見に来ていただき、良いね!ちょっとここが!と言って頂くことに無上の喜びを感じ、来店いただいたことに感謝したのを忘れません。そしてなんとびっくり仰天、ファッションショーの絵が一枚お嫁さんにもらわれていったのです。
 それから十二年間で17回の個展を開いてきました。個展を開くことで、自分の良いところも悪いところも全部お見せすることができます。会場にお越しいただいたお客様の声を直接間接にお聞きすることが、次の絵を描く原動力となっています。

自分の描き方に名前を付ける

 多くの人がいろんな描き方で絵を描いています。僕の場合は、スケッチこそが絵の原点であり、その場で実物を見て、その場の空気感を感じ、一気呵成に線を走らせて描くのを信条としています。もちろん鉛筆は使いません。鉛筆を使うと必ず消しゴムで線を訂正したくなります。訂正した線よりも最初に描いた勢いのある線の方が、絵にとっては楽しく生き生きとした線になることの方が多いのです。直線も定規を使ったような線より、手書きの少し揺らいだ線の方が生きています。
 鉛筆は使わずに、ゲルインクのボールペン、フエルトペン、顔料インクの筆ペン、美工筆という万年筆とカーボンインク、竹ペンと墨汁など、面白い線が描ける道具を使って線を描きます。
 そこで、輪郭線を引いてから彩色するので、自分の描き方を「線・彩画」(せん・さいが)と名付けました。水墨画で学んだ生きた線と浮世絵に見られる輪郭線、線画に透明水彩絵の具で明るく透明な彩色をする。これが木村哲美の線・彩画なのです。

これから絵でも描いてみたいと思っているあなたへ

 「見るまえに跳べ」これは大江健三郎の小説の題ですが、絵は三歳児でも描けるのですから、思い立ったが吉日!筆と絵の具と紙で、とにかく描いてみることです。
 僕は自分が趣味で描いているので、絵の描き方を教えてほしい、と言われても、こちらが教えてもらう立場なので・・と言ってずっと断って来ました。しかし、昨年あるお客様から六人集まったので絵を教えてほしい、何月何日お願いできますか?と強引ともいえるお誘いを受けた。断ろうと思ったが、僕も先生ではなく一緒に描くのなら良いですよ!と会費を取らずに一緒に描くことにしました。いまはお花屋さんとカフェが一緒のお店で6人ほどが集まって、コーヒーを飲みながら楽しく水彩画を描いています。
 教室で重要なのは、実物を見て描く、描き方に法則はない、自分の知っていることは秘密にしない、褒めてポイントだけを伝える、こんなことを心掛けて楽しんでいます。
 幸いなことに、カフェの隣にはたくさんの花が売られています。これらの花々がとても素敵なモチーフになります。時々花の絵は、線→彩ではなく、彩→線と逆の描き方をしています。線・彩画ではなく彩・線画!逆もまた真なりでしょうか!なんでもありが楽しくて面白い。
 教育とは共育だとおもっています。教えることは共に育つこと!無料の絵画教室ですから嫌ならどんどん人数は減っていきます。幸いなことに今のところ6人をキープしながら絵画教室が月一回開かれるのは、みんなが共に育つことを願っているからだと確信しています。
 近い将来このカフェで絵画教室展を開きたいものです。その日はすぐ目の前に来ています、私が絵を描き始めて半年で個展を開いたように・・さあ絵を描こうそして展覧会を開こう。

木村哲美氏プロフィール

1948年4月6日生まれ
2004年 水墨画家と出会い水墨画を描き始める
2008年 日展画家と出会い水彩画を描き始める
2009年 書道家と出会い毛筆で書き始める
2011年 すべての仕事を辞めて年金生活に入る
2015年 音楽家と出会い合唱団で歌い始める
2017年 篆刻作家と出会い篆刻を彫り始める

人生は出会いの旅である、出会いが私を育ててくれた、
出会えた人々に感謝です。

木村哲美

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  1. 児玉 由布子 より:

    はじめまして!
    三重県四日市市下さざらい町に住んでいます。
    51歳です。
    娘時代 両親のおかげで名古屋造形短大でビジュアルデザイン科を学びました。

    娘時代は ただ絵の学校にいきたい
    だけで 何もわからず短大も先生にいわれた短大で学びましたが
    卒業してから年々自分はビジュアルデザイン科とかでなく
    自分の習いたいのはまた、他、日本画や水彩画や立体的な彫刻とかガラスアートやなどなど
    今、また日常の忙しい合間に絵を描きたいです
    あなた様は今もどちらでみなさんと絵描きをされてらっしゃるのですか
    今は

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