三重の企業人たち

アイサン物流株式会社社長 / 服部功

服部功

創業当初はトラックもなくスタートしたアイサン物流株式会社。現在は、物流一本ではなく、旅行業、人材派遣会社、倉庫を設立するまでに至った。「運ぶだけではだめです。荷役作業から出庫作業まで、総合的にやらなくては差別化は図れません」と服部社長は語った。

お客様の要望にこたえつづけて20年

 服部がアイサン物流株式会社を立ち上げたのは平成5年7月。最初はトラックも買わず、取扱事業のみのスタートだった。取扱事業とは営業行為だけを行い、受注したら運送会社に依頼して荷物を運んでもらうというものだ。
 その業務を2年ほどした後、平成11年1月に自社でトラックを5台買い正式に運送業務を始めた。資金は借入でまかなった。もともとあった白ナンバーのトラックが2台で、合計7台になった。
「トラックを買うきっかけになったのは、やはり仕事がだんだん増えてきてお客様からの要望が多くなってきたからですね。始めたからには自分のところで車を持ってやりたい、という気持ちもありましたし」
 独立したのが平成5年。それから約20年が経った。

お客様とは一期一会

 服部はひとつひとつの出会いを大事にしてきた。だから知り合いは多い。今のお客様は独立前に勤めていた会社のお客様などではなく、自ら新たに開拓していったお客様ばかりだ。
「取った取られたっていうのが嫌だったので自分で開拓していったのですが、結構時間はかかりましたよ」
 独立当初の社員は4人。トラックが7台になってからは自分も運転に出た。約2年くらい乗っていた。そのころから派遣や倉庫の仕事もやりだし、現在は3社をまとめるまでになった。
 当初は物流の中の人材部と倉庫部だったが、仕事が増えると別に人材派遣会社と倉庫会社を作っった。その後、旅行業も本体の事業部でやりだした。人材派遣会社を設立したのは平成10年、倉庫を設立したのは平成15年。現在の従業員は全体で約60名程にまで増えた。

従業員の協力があってこその会社

 2年程前に名鉄運輸グループで合併があり、余剰となったトラック15台と従業員15名を引き受けてくれないか?という話があった。名鉄トラックとは10年以上の取引がある。服部は快く受け入れた。会社は順調に大きくなっていった。
 しかし、時には失敗もあった。栃木にあったアイサン物流関東営業所を赤字で売却したのだ。関東での業務は経費がかさんでばかりだったし、下がると思っていた燃料が高騰。トラックを買うのに2900万円程の出資をしていたが、その年の6月に2750万円で全てを売却した。
「今は走って稼げる時代じゃなくなってきたんです。だから、付加価値のつく作業などをしっかりする必要があります。要するに、倉庫での詰め替えをするなど、負担業務をして出荷するんです。うちのトラックは運ぶだけじゃなくて、倉庫に運んで荷役作業もするし出庫作業もします。今の時代はそういうこともしていかないと無理ですよ。そうやって臨機応変にしてきたので、関東営業所のこと以外では、特に大変だったこともなく、割と順調にやってこれたと思います」
 関東営業所のことは金銭的な損は大きくなかったが、目に見えない損失は大きかった。それまでが良かったのは、強いて言うなら功自身がたくさん会社の為に働き、営業だけでなく夜遅くまで働いていたからだ。何よりお客様が良くしてくれたのもある。
「全然儲からなくて潰れていく会社とうまくいく会社の違いは、やはり自分を取り巻く環境なんだと思います」
 服部は「迷ったらしない」という考えを会社設立当初から持っていた。それは今でも変わらない。仕事を請けるときに迷ったらやめておく。その基準は儲かる儲からないではないという。
 「損する仕事も得する仕事もミックスでいかないと、言いことばかりじゃうまくいかないんです。損する仕事もやってきて今があるんです」
 会社を始めて、苦に感じたことは一度もない。開業資金に500万円借りたり借金したこともあったが、4年で完済した。倉庫を買ったりして資産も増やしてきた。
 リーマンショックの時も売上は落ちずにやってきた。このご時世、どこも楽して稼いでることはない。順調と言うものの細かいことは話してたらキリがない程ある。人生波乱万丈だ。
 人を減らして、1人1人の生産性をあげていくのが大事だ。一時期は従業員が80人以上いた。仕事を取れなければ「仕事を取れるまで帰ってくるな」とも言う時もある。人間その気になれば出来るのはわかっているからだ。服部自身そうやって育てられてきた。
 日本運送で働いている時は、色んなところに応援に行き1日1件仕事を取らないと帰してもらえない。仕事を取ってくるといってもちゃんと契約を結んで、次の日から集配に行けるようにするまでだから、いい加減にはしてはいられなかった。結果が出なくてボロクソに言われる事もあった。「どんな話のつけ方してるんだ」とか「何してるんだ」とか色々言われてきた。
「営業で仕事が取れなければ運転手としての生活もかかっていますから必死でした。それに、その日だけじゃなくて1週間2週間先のとこを見越して仕事をしていましたね。そこまでしないと本社に呼び出されて叱られる。けど、それでも苦にはならなかったですね」

中途半端なのが一番嫌い

 自分が運転して営業もしてというのには限界がある。アイサン物流は営業なら営業、運転手なら運転手というように徹するようにしている。コツコツ動いているといずれかはモノになる。
 「不可能は絶対にないと思ってます。僕はずっと夜の12時まで働いていました。24時間働くくらいの気持ちじゃないと、会社を繁栄させていくのは難しいと思う。やることだけはきっちりやる。中途半端なら最初からやるな!と従業員にも日々言っています。みんながよく働くから扱っている仕事も大きい。『こんなに少人数でやっているんですか?』と驚かれることも多いですよ。

アイサン物流株式会社

代表取締役 服部 功
〒510-1223 三重県三重郡菰野町諏訪1939
TEL / 059-393-2233
FAX / 059-393-3777

(Visited 2,158 times, 1 visits today)







-三重の企業人たち

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


関連記事

伊藤 裕司

有限会社角屋社長 / 伊藤裕司

理系の大学で培った科学的・合理的な手法でハム、ウインナー、ベーコンを作るという、従来の「職人」さんとは一線を画する「角屋」の伊藤裕司社長。大手企業のサラリーマンだった彼の、肉屋としてのチャレンジの軌跡 …

山添卓也 中村製作所

株式会社中村製作所社長 / 山添卓也

「空気以外何でも削ります」父親の残したその言葉と時に葛藤しながらも、メーカーとして会社の新しい道を切り開きたい、という夢を模索し続けた若き経営者、山添卓也。彼の強い想いが、ベストポットという画期的な商 …

株式会社伊賀の里モクモク手づくりファーム / 松尾尚之社長

食と農業の正しいあり方を学ぶ「食農学習の場」 かつて農業は命を育てる営みであった。働く人は、生物の命を育て、育った命に育てられながら大きな循環の中に生きていた。しかし、いつからかその意義が薄れ、今や労 …

株式会社伊賀越 / 本城和寿社長

国産原料と天然醸造が生み出す?本物の味で消費者の強いナチュラル志向に応え、また、ハラール対応や子どものアレルギー対応にも目を配る。細やかな視点で社会のニーズを捉え、グローカルに事業を広げて行く。 貴 …

佐野鉄工 佐野明郎

株式会社佐野テック社長 / 佐野明郎

【取材/2013年】 創業から2代目まで  佐野鉄工(2016年、株式会社佐野テックに名称変更)の創業は昭和7年、佐野喜一が始めた船鍛冶屋がスタートだった。2代目の息子・健一が橋梁のジョイントを頼まれ …