有限会社夢菓子工房ことよ


海外でも注目が集まる和菓子。僕は職人として、技を磨き、技を伝える。

 四日市市西日野町に店舗を構える「夢菓子工房・ことよ」。店内には花や植物を模した繊細な練り切りや、こげ目も香ばしいみたらし団子、さらには新しい味を追求した新感覚の和菓子などが色とりどりに並ぶ。
 次々に新しい和菓子を創作し、三重県のお菓子業界をけん引している夢菓子工房「ことよ」代表・岡本伸治に和菓子への思い、これからの和菓子作りについて聞いた。

この国のお菓子「和菓子」を次世代に伝えるために…。

 子供たちのおやつタイムや、家族だんらんに欠かせないお菓子。平成24年度菓子業界全体での生産額は和・洋・スナック菓子含めて2兆3千億円。そのうち洋生菓子が3千4百億円で和菓子は3千8百億円と、実は日本で一番多く食べられているお菓子は、おはぎやお饅頭のような生和菓子なのだ。現代っ子には和菓子より洋菓子好きなイメージがあり、洋菓子人気が先行しているかと思われているが、和菓子はこの国のお菓子として健在している。
 四日市市西日野町に店舗を構える「夢菓子工房・ことよ」は伝統の和菓子から現代風にアレンジした新感覚の和菓子までを取り揃えた創業60余年の老舗和菓子店だ。代表取締役の岡本伸治は、様々な受賞歴を持ち、テレビをはじめ数々のメディアにも登場。和菓子を地元の活性化に結びつける活動にも取り組んでいる。
 和食が世界遺産に認定されて以来、今や海外でも注目を浴びている和菓子だが、伸治がその人気の高さを目の当たりにしたのはフランスで行った講習会での事だった。
 「フランスで和菓子の講習会を行ったとき、参加者の目の前で和菓子を完成させるや、皆スタンディングオベーションで称えてくれました。繊細な手業、鮮やかな色彩と表現力…手のひらの上だけで完成させることができるお菓子は世界中でも和菓子だけ。和菓子は希な文化といえますね」
 伸治は海外での講習会を通じ、和菓子を知りたいという人たちが世界中にいるということ、海外から和菓子を学びに来る人もいるという現状を見据え、やがてアメリカやフランスへ和菓子文化を教えに行くことが当たり前になってくる時代がやってくるのではないかと考える。しかし、世界一のパティシエになろうと思ったら世界に飛び出せばいいが、ナンバーワンの和菓子職人になろうと思ったらステージは世界ではなく、やはり日本。日本以外で和菓子文化を継承することはまずできない。「やはり、和菓子はこの国のお菓子なんだと強く感じましたね」
 この国のお菓子を若い世代により強く認知してもらい、海外に広めていってほしいと願う伸治は、これからの世代に和菓子文化を伝えるため、現在、菓子学校での講師や地元の小学校・中学校で行われる和菓子教室などにはできるだけ足を運び、和菓子文化を教えている。

「和菓子に生きる」か、「和菓子で生きる」か。

 「岡本君は和菓子に生きるか、和菓子で生きるか、どちらを選ぶ?」
 修行時代、伸治が通っていた名古屋の製菓学校の校長先生に言われた言葉だ。
 「う~ん、僕は和菓子に生きる、のほうがカッコイイと思いますねぇ」そう答える伸治に校長は首をかしげこう言った。
 「和菓子道を邁進するのもいいが、和菓子で食べていけなければ、プロとして生計が立てれない。好きで始めた和菓子屋さんも売れなきゃ生活ができない、それで嫌になって辞めていく人も今まで何人もいたよ」そうなのだ。和菓子を趣味で続けていくわけではない。
 伸治は18歳から豊田市の和菓子屋で6年間修行を積み、24歳で四日市に戻り、28歳でことよ代表となる。それを機に伸治はことよを法人化して有限会社にした。
 「“お菓子に”と“お菓子で”の両方を可能にするということは、和菓子道を邁進しながら生計を立てるという事です。つまり売るだけではない、作るだけでもない。僕はその両方をバランスよく操るためにことよを会社にし、新しい商品を次々に発表していくほかないと思ったんです」
 伸治にはもうひとつの思いがあった。
 「店というのはその街の風景の一部。だから自分の勝手で店を畳んで風景を変えてしまってはいけないと思ったんです。法人化すれば、自分に後継者がいなくても人に譲ることができる。店はそこに残ることができますよね。和菓子屋の多くは家族経営で、細々とやっていくという経営スタイル。親父はまさか僕がことよを会社にするとは思っていなかったでしょう」

「やれる時に蓋をしちゃいかん」早々に身を引いた父の思いやり

 ことよは伸治で3代目となる。創業者は伸治の祖父である竹治。竹治は和菓子のほかに鮮魚や雑貨などを扱う「ことよ軒」として商いをスタートさせた。2代目である父の二三男は、和菓子に特化した店として店名を「ことよ製菓舗」に変える。伸治は子供の頃から和菓子を作る祖父、父の背中を見て育った。 器用に和菓子を作る父に憧れ、和菓子屋になりたいと思っていた。だが、父親は伸治に継いでくれとは決して言わなかった。なぜなら当時経営していた店は、両親とパートの3人で経営。決して儲かっているわけでもなく、むしろ細々と続いていたような店だった。父は自分の代で終わってもいいと思っていたようだった。
 「僕が修行を終え、後を継ぎたいと話すと、オヤジは“えっ、やるのか?”というような顔をしました。僕があとを継ぐことは嬉しかったと思うけど、当時はこの仕事で生活していくのは無理なんじゃないかと思っていたのでしょうね」
 伸治の父親は現在65歳。まだまだ現役で働けるできる年齢だ。しかし、父は伸治に店を譲ってからはすっかり身を引いた。
 「この業界70歳80歳になっても社長で居続ける人も多い。次の代に継がせるべき時に継がせないで、先代が亡くなった時に後継を社長にする。そうすると既に後継も60代だったりしますよね。僕の親父はそこを見据えて早くに僕に代替わりした。なんでもできる一番やりたい時期に蓋をしちゃいかん。もし何かあったらすぐ自分に代われるからと」伸治が代表になった時、父親は一切口を出さなかったという。
 「口も出さんが金も出しませんでしたよ。ただ、相談には乗ってくれましたね」
 父は未だに朝一番に店に入り、最後に店を出るという。

夢を夢で終わらせない。自ら道しるべを綴った「夢ノート」

 ことよが人気店となった背景には、売り方へのこだわりがあった。
 「お菓子の包材やラベル、商品に添えられたしおりや店内ポップなどお客さんの目につくものは自分で手がけるべきなんじゃないかと思い、自分で描き続けているんです」。
 修行時代、習字を習っていたが字を書く事より墨で絵を書く事に興味を持ち、そこから挿絵を描くようになったという伸治。その絵心を生かし、商品のラベルや店内ポップを自ら手がけている。そこにはもう一歩踏み込んだ戦略があった。
 「今は時間をかけて商品を作るという悠長なことを言っている時代じゃない。情報量も多く、タイミングよくすぐに商品化しないと次代に乗り遅れてしまう」
 そこで商品のラベルも、新商品発売に合わせてすぐに作るべきだと考えた。自分で作ってしまえば、小ロットで作れるし小回りも利く。ラベルの在庫を抱えることもない。在庫がなければ、売れない商品をラベル消費のために作り続ける必要もない。フットワークのよさを実現、さらにはムダを作らないための策だ。販売の勉強のため、よく同業者が店を見学に来るという。そうした手の内も、惜しみなく同業者に見せてしまう伸治。菓子業界全体のことを考えてのことだろう。
 そして、なにより現在のことよがあるのは伸治が修行時代から書き綴っていた「夢ノート」の存在があったからだ。5年10年スパンで何を達成すべきかを細かく綴ったもので、今もなお書き続けている。5年後に実現したいことがあれば、そこから逆算して1年後には何をすべきかを見定め、さらにそこに到達するまで半年後には何をすべきか、1ヶ月後には何をクリアしておくべきか…と細かに目標が決まってくる。ことよが現在の経営スタイルになったのも、伸治が夢ノートに綴った目標を一つ一つクリアしてきたからだ。
 今、伸治には10年後の夢がある。
 「10年後には社員を120人体制にしたい。それを実現するために毎年何人増やしていって、いつ出店するかを細かに計画していますよ。あとはそれに準じてやっていけばいい。」
 その1歩目として10月28日、白梅の丘店をオープンすることが決まった。夢実現への足取りは着々だ。

これからの和菓子業界に必要なのは、伝えること、育てること。

 そんな伸治が今、力を入れているのが、和菓子文化の継承だ。その課題は平成29年4月に伊勢のサンアリーナで開催される第27回全国菓子博覧会に向けて職人としての仕事を見つめ直す事。
 伸治は前回の大会で出展した飴細工の工芸菓子を次回大会でも出展しようと考えている。工芸菓子とは、砂糖と飴を使って動物や花、四季の風景などを立体的に作り上げるものだ。
 卓越した技術と経験、色彩感覚、知識とセンスが問われるこの工芸菓子の制作が出来る職人は日本でも数少ない。もっと多くの職人に、この伝統菓子を通して和菓子の文化と技術を学んで欲しいと考える。
 「売るお菓子ではないから作らないという人も多いが、工芸菓子には技術の集大成がある。商売に追われているのはいいことだが、商売に追われすぎているのも文化継承のさまたげになる。
 目先のことに囚われ、和菓子業界の未来を見失ってはいけないと思う。確かに工芸菓子を作るためには時間も必要。僕も仕事が終わった後に寝る間も惜しんで黙々と制作しましたが職人として大切な精神と技術は身につけることができたような気がします」
 そして文化継承と同じく力を入れているのが若手の育成だ。そのひとつが伸治も審査員を務める三重県高校生スイーツコンテスト。2010年から開催され今年も11月9日に四日市市内で開催が予定されている。三重県産の素材を使って高校生がオリジナルスイーツを考案し、優秀な作品は実際に商品化されるというものだ。三重県の地産地消を促す、市域活性化に寄与するイベントである。
 「毎年、高校生たちの熱い戦いを見させてもらっています。アマチュアの発想はいい勉強になりますね。学生たちを見ていると可能性に溢れているなと、希望が感じられますね。この子達が将来の菓子業界を引っ張っていってくれるよう、自分たちのできる限り支え、育ててあげたいと思います」

有限会社 夢菓子工房 ことよ

〒510-0943 三重県四日市市西日野町4987-1 059-322-1226
営業時間 8:00~18:30 火曜日定休、祝日の場合は翌日

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