捕る漁業から仕入れしつつ、育てて加工して販売する漁業へ。いわゆる六次産業化である。無添加エビの生産販売でこれを実現し、もう一つ、インターネット通販の基盤強化とともに、今年の課題とする。より幅広い知見から、ものづくりの原点に向けて舵を切る浜崎與吉会長。夢を語る時の会長は実にいきいきしている。「人生楽しくなりました」。声弾ませて放ったこの一言が印象的だった。
浜与は江戸中期宝暦10年(1760)創業。答志島を拠点として250余年にわたり水産加工販売を営んできた。現社長・浜崎幸弘氏は11代目にあたる。社是である「海のいのちを人のいのちに」の言葉を心に刻みながら、「海の理(ことわり)を守りながら」食文化を伝承している。
その幸弘氏に社長業を託し、多角的な視野と独特の行動哲学をもって経営に参画するのが浜崎会長である。生まれも住まいも答志島。人口減少が続くその島から毎日船で鳥羽へ、そこから伊勢工場へ出勤している。
20前後で家業を継ぎ、40代半ばで社長業に就いた。海産物の製造卸を中心に、煮干しや田作りなど海産物の加工業をしていた。エビに取り組むヒントを得たのは33年程前、梅田阪急百貨店に勤める井上課長の一言でした。「輸入ボイルエビが売れている」。課長の言葉を信じて『すぐ美味しいボイル海老』『すごく美味しい生むきエビ』のチルド商品の開発に成功し、首都圏の中央卸売場主体の量販店へ卸していた。商いの柱だった。
現在のような製造販売一体のスタイルを採ることを思い付いたのは20年ほど前。伊賀地域にあるファクトリーファーム「モクモク」がものづくりから販売までやっていたのを見て興味をもち、早速訪ねた。けれど、その頃エビで潤っており、経営路線はまだまだ製造卸中心だった。
危機感を持ち始めたのは工場を建てた11前年のこと。製造卸に将来を感じることができず、製造販売一体化を目指すことに。再度「モクモク」を訪問、「モクモク」さんのご指導のもとホームページをつくり、入口として答志島浜与本店、四日市近鉄百貨店内、外宮前店、おはらい町店(内宮)、JA四季菜、JA果菜彩などに直売所をもうけ、少しずつかたちを整えていった。
生産者の夢について語る
浜崎会長 VS 弊誌編集統括・宇野誠
宇野 「モクモク」は農業をベースに生産から販売までの一体化を、御社は漁業をベースに生産から販売までの一体化を目指していると理解していいですか?
浜崎 そうですね。製造卸で終わるのではなく、製造して自分で価格をつけ、販売までできるメーカーでないと未来が見えないのではないでしょうか。
宇野 たしかに価格を自分で設定できることは製造者の夢です。ただ、消費者に購入を促すだけの質を伴っていなければなりませんよね。
浜崎 食品製造者の心がけとして、まず、孫や子に食べさせたいと思える食品でないといけません。私たちの仕事は海の命をそのまま人々の命に届けること。その考えの下で「黒ちりめん」を開発しました。漂白せず、そのまま商品にしました。取った出汁も商品化しています。ものづくりの基本は、人にやさしく、健康に貢献できる商品開発だと思うのです。加工も過度でなく、素朴でありたいですね。サミット会場となったのも、ここ伊勢志摩が日本の原風景を有しているから。伊勢志摩は風光明媚で、豊かな海産物に恵まれ、神宮文化が色濃く残っています。食の神様である外宮の御膝元で商売をさせてもらっていますが、恥じない内容でないといけないと思っています。
宇野 「食」に携わる企業として、気が引き締まるところですね。消費者はジャパンブランドとか地産地消とか言って関心も高いのだけれど、いざ買う段になると価格が基準になりやすい。農業も同じで、無農薬栽培だと生産物が見栄えのしないものになりがちでが、それについてどう思われますか?
浜崎 市場はカタチの良いものを求めますが、それは仕方のないことです。でも私どもは、できるだけ理想を追っていきたいと常に考えています。ですから、身体に喜んでいただける商品でないと私たちが参加する意味を感じません。
宇野 苦労されたことは何でしょう?
浜崎 エビが気がかりです。餌や糞による汚染で養殖池がダメになっている。円安が進み輸入が不振になると、生産地が消費地に変っていく。エビそのものが逼迫する。それへの対応が今年の課題です。地球温暖化も深刻です。捕れる魚類が捕れなかったり、捕れる時期が違ってきたり、仕入れ側にとっては実に不安定です。ですから私どもは漁業部をつくって、エビの陸上養殖にもチャレンジする予定です。
宇野 生産までやってしまおうということですね。
浜崎 これまで事業の主たる内容は海産物の問屋加工業だったのですが、育てる漁業、加工、販売までやりたいですね。無添加エビの一環生産が夢です。
宇野 大きな夢ですね。
浜崎 もう一つの課題は、高齢者社会に向けた取り組みです。すなわち、インターネット通販の基盤強化。今年は無添加エビの一環生産との両輪で事業を進めます。確かなモノを作れば自然と売れた高度経済成長の時代とは違い、今は出口をしっかりさせないと売れません。
宇野 確かに出口があればいい。新しい食材の開発や六次産業化で生産者を育てるといいますが、出口(常設の売り場)がないと生産意欲は高まりません。出口の用意がないと、こと食の産業においては物事は始まらないのです。その点、自ら出口を創って事業展開される御社の姿勢は攻撃的ですね。
浜崎 数十年前まで出口はどこにでもありました。なにしろモノ不足の時代だったから。ところが、今や供給過多。飽和状態です。出口を創ることを優先しなければなりません。
宇野 いいモノを完成させたところで出口がなければ廃れてしまします。
浜崎 私どもは外宮や内宮前に出店し、販売させていただいています。一方でグローバル時代に対応したネット通販も必要です。夢だけど、思いが強ければ必ず実現する。そう信じています。
宇野 念じ続けることは成功者の共通するところですね。
浜崎 経済や社会にかまけず、自己の反省と責任において改良改善を繰り返し、思いを強く持つことで達成できるのではないでしょうか。私は仕事が好きでした。たまたま社会が好景気に沸いており、マーケットが潤沢でした。モノを作れば売れる時代に育ったことが幸運でした。時代が後押ししてくれたのです。進化はこれからですよ。
宇野 努力と資質もあったのでは?
浜崎 待ちの姿勢であればチャンスは小さい。1億2千万分の1。しかし、出合いをつかみに行くのは自由です。誰にでも開かれている門戸なわけです。訪ねて行って、互いにファンになる。たとえば、「海と山のコラボ」で「モクモク」さんを訪ねました。お節料理が飛躍的に販売数を伸ばしたのは伊勢海老を付けてからだということでした。つまり、一つの出合いが商品開発につながったわけです。出会ったら、ただお願いするだけでなく、提案もしてお互いにいいカタチにしないといけません。出会いを創り、互いにファンになれるよう努力する。ファンになることが秘訣です。忙しいからと言って、来店客だけで満足せず、優れた部分を持ち合わせている方々を訪問して学ぶことが大事です。マーケットが縮小した現代、直接会って、意見交換し、持ち帰ることがどれほど大切か。それに気づくことが、人の成長、企業の伸長の要だと思っています。
宇野 仕事のモチベーションを高めるための好きな言葉は何ですか?
浜崎 「気づき」ですね。それががないと物事ははじまりません。テレビを見ていても、人と会話しても、買物していても、ゴルフしていても、仕事に置き換えればすべて気づき(ヒント)になるものです。
宇野 義務でなく、好きでやっている仕事だからでしょうね。
浜崎 サラリーマンと経営者の違いですよ。365日24時間、気づいたらメモして仕事に置き換えて行く。これの繰り返しですよ。
宇野 以前、本田宗一郎さんが「世間にはどれだけでも仕事の種が落ちている」と言われたとお聞きしました。気づきと行動。「棚からぼた餅」はあり得ないということですね。次に、後継者に期待するところをお話しいただけますか。
浜崎 無理せず、安定的に事業を継承して、その中身が社会に貢献するものであってほしいと思います。地域社会に認められ、社員とともに育つ志があれば、それで良い。
宇野 伊勢志摩サミットの会場となる場所で仕事をされていて、地元企業としての思いは何ですか?
浜崎 製造卸業から製販一体に変え、物販をはじめたわけですが、その目的としては答志島の食文化を伊勢市民をはじめ、全国から伊勢神宮参拝に訪れる皆様に食の提供をはかり、ファンづくりにつとめる直売所を目指しております。伊勢志摩サミットでもこの考え方は変わりません。
宇野 食文化を伝えるのに多言語表記の問題もクリアする必要がありそうですね。夢があって、人生楽しそうですね。
浜崎 人生楽しくなりました。日本のものづくりの象徴であった企業が今、窮地に立たされています。日本が誇るものづくりの模範的企業が苦戦しています。目まぐるしい変化です。あの姿を見て、自分たちも反省しないわけにはいきません。生産と販売の重要性を痛感しているところです。反対に、自社で価格を決めることの強みを実感しているところです。方向性としては、できるだけデザインも作り方もシンプルにしたい。昔に戻した加工方法であってもよいと思うのです。作るときの思いを堂々と商品に乗せて発信したいです。新しい事業の創造につとめるとともに、素材が主役のものづくりの原点にかえり、古式伝承を守って生きたいと思います。