三重の歴史

北勢の歴史的風景

思案橋

杖付坂 三重

1582年の本能寺変の時、堺にいた徳川家康は、明智光秀の追手から逃れるため伊賀を越えて四日市に入った。さらに三河に逃げるにあたり、陸路を取るか?海路を取るか?悩んだのがこの地と言われている。この時、地元で廻船問屋を営んでいた森本長八と水谷九左衛門が家康の渡海を助けた。後に徳川家康はこの件のお礼として四日市を幕府直轄の天領とした。この出来事が四日市の発展の礎となった。

五百羅漢

潮吹き堤防 四日市

菰野町竹成の大日堂境内にある花崗岩に刻まれた石像群。江戸末期、当地出身の照空上人が発案し、桑名の石工、藤原長兵衛の一門の手により1866年に完成した。明治期の廃仏毀釈などて一部破壊され、現在は468体の石像が残っている。

杖付坂

思案橋

ヤマトタケルノミコトが伊吹山の神と戦い、弱った体で杖をつきながら上ったという坂。この坂を上ったところに血塚がある。ヤマトタケルが「吾が足三重に曲がる」と言った、と古事記に書かれている場所で、この言葉は三重の地名の語源となっている。

日永の追分

潮吹き堤防 四日市

東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点。江戸時代、四日市宿と石薬師宿の間に立つことから間の宿とよばれ、周辺には多くの旅籠や茶店などが並んでいた。名水が湧き出ることで有名で、今でも多くの人がこの水を汲みに来ている。

潮吹き堤防

潮吹き堤防 四日市

オランダ人土木技術者ヨハネス・デ・レーケが設計、石大工出身の現場監督・服部長七が施工した。大小の堤がラクダのこぶのように並び、その二重の構造によって港外からの大波の衝撃を弱め、残った海水を五角形の潮吹き穴から排出するという仕組みになっている。

稲葉三右衛門像

私財を投げ打ち四日市港を築港した四日市最大の偉人・稲葉三衛門の像。

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