首長インタビュー

松阪市長 / 竹上真人

「子育て一番宣言」を掲げ、在任2年目を迎えた竹上真人松阪市長。市政の基軸となる「総合計画」の10年後の将来像を「ここに住んでてよかった・・・みんな大好き松阪市」に置き、市民のための市政運営に邁進する。「市民には輝いていてほしい」「地味だけど良い政策を」。繰り返す言葉はシンプルにして揺るぎなく、その姿勢は堅実で実直なお人柄にも通じる。

丸山 生まれも育ちも松阪でいらっしゃいますが、子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

竹上 シャイな少年でした。生まれは広瀬町です。4歳のとき、現在住まいとしている石津町に引っ越しました。以来、50年が経ちました。

丸山 政治家になるきっかけは?

竹上 父が市議会議員を20年務めていました。背中を見て育ったせいでしょうね。

丸山 高田中学、高田高校での学校生活は。そして、大学では何を学ばれたのですか?

竹上 中学時代はバレーボールに打ち込みました。高校時代は特に何も。大学ではテニス部に所属していました。土木工学科を専攻したのですが、これは実家が建設会社を営んでいた関係です。建設の仕事に親しみがあったことと、形として後に残る仕事であるからです。

丸山 なるほど。卒業後、土木技師として県庁に勤務されてからは?

竹上 県庁では道路維持課、土木事務所、都市計画課を経験しました。中部国際空港へ3年間出向しました。事務所は名古屋市内でした。連日多忙を極めましたが、いい経験でした。出入りする国や県の幹部職員、名古屋財界人らとの関わりの中で学ぶことは多く、組織というもののあり方を肌身で感じた3年間でした。空港建設はスピードが求められました。後に県庁に戻って気づいたのは、意思決定のスピードの違いです。議会決議を経て予算が確保できるといった公務員の世界と民間企業の間には大きな隔たりがありました。当時の北川県政に疑問を感じながら悶々と過ごしていた頃、斎藤十朗元参議院議長に「県議会議員になってみないか」とお誘いをいただきました。政治の場で訴えることも必要と考え、出馬を決めました。40歳のときでした。

丸山 出向が政治家への転身の契機となったわけですね。

竹上 平成15年に県議に当選させていただき、10年間務めました。ただ、大学が撤退し、故郷に年々元気がなくなっていくのを見ていて、辛いものがありました。なんとかしなければと市長選に立候補したのです。ところが、当時若い市長が2期目を迎えており、結果は惨敗。2年半の浪人生活を経て、厳しい選挙戦を勝たせていただき、市長に就任することができました。ちょうど1年が経ちました。

丸山 さきほど話に出てきた北川県政に対する疑問とは何ですか?

竹上 当時RDF(ごみ固形化燃料)やITベンチャー企業「サイバーウェブジャパン」など全国的にも脚光を浴びましたが、なぜか合理的でないように思えました。県の事務事業の評価システムの開発など、はじめは知事の先進的な考え方を歓迎もしましたが、そのうち矛盾を感じるようになり、役人の立場ではなく県政にかかわりたいと思い政治家への道に踏み切ったのです。

丸山 居ながらにして感じておられたのですね。そして、ご自分の故郷である松阪に関心が高まってくるわけですね。市長として第一に手掛けたかったのは何でしょう?

竹上 県議会議員の立場から、松阪市政に閉塞感を感じていました。前市長は目新しい政策を打ち出されていたのですが、議会をはじめ近隣の市町や県との関係構築がうまくいかなかったため、市政の前進につなげられなかった。政治というのは、いかに市民生活を向上させるか、市民の福祉(幸せ)の向上に向かわないといけません。市民の幸せを一歩でも前進させるため、立候補し、私の考えが市民のみなさんに受け入れられました。市長として公約に掲げましたのは、「子育て一番宣言」です。国勢調査(平成22年~27年)の結果によりますと、伊勢湾岸の主要都市で最も人口減少が激しいのが松阪市です。ポテンシャルはあるのですが、それを生かしきれていない証拠だと思います。そして、このことが後々市民生活に重く圧し掛かってくる。人口減少の中でサービスを変えず安定的に提供しようと思えば、公共料金は自ずと上がります。いかに人口減少を食い止めるか、それが不可能なら、いかに元気にするかを考えなければなりません。あらゆる世代が住んでみたいと思うようなまちづくりをしなければと思うわけです。「総合計画」にも「ここに住んでてよかった・・・みんな大好き松阪市」という将来像を掲げています。

丸山 公約の「子育て一番宣言」の具体的な施策は何でしょう?

竹上 一つは待機児童の解消です。住みたいと思うまちの条件として、子どもに一定レベルの教育が提供されること、子育てしやすいことなどが挙げられます。妊娠、出産、育児、就学まで切れ目のないサービスを続けていくことが大事。総合計画策定にあたっては、5,000人にアンケートを取り、特に多かった子育て支援の充実を求める声を反映させました。そこでの課題が保育士確保で、まずは休業中の保育士を掘り起こす計画です。地味だけど良い政策を積み重ねていけば、自ずと若い人は寄って来ると信じています。若いお母さん方のネットワークに期待したいと思います。

丸山 就任されて1年が経ちました。ご自身で評価されて、いかがでしょう?

竹上 やりたいと言ってやり遂げたのは、半分ほどでしょうか。計画が実行されるまで最短で1年半。とにかく時間がかかります。ジレンマですよ。

丸山 観光面においてもポテンシャルは高いですね。

竹上 松阪と言うと松阪牛のイメージが先行しがちですが、「次は」となったとき「文化」を考えなければなりません。松阪はまちの成り立ちがユニークです。海浜部を通っていた参宮街道をここに引き入れ、居城を移して城下町を経営した蒲生氏郷ですが、2年後には会津若松へ転封になります。新たに着任した服部氏、次の古田氏も在任期間は短く、合わせて30年に及びません。あとは紀州藩の飛地になっていましたから、実際この町は商人を中心に創られました。「豪商のまち」と言われる所以で、三井、長谷川、小津といった現在も日本経財界に君臨する名はお馴染みだと思います。一方、学問の世界でも大きな開花がありました。国学者・本居宣長その人で、自由闊達な空気に起因するものだと思うのです。松阪はこのように土壌(ポテンシャル)豊かなまちなのです。

丸山 観光キャンペーン展開を構想中ということですが。

竹上 11月3日「氏郷まつり」と27日「牛まつり」(松阪牛のクイーンを決める)を控えています。また、松阪木綿を身にまとい、まち歩きを楽しんでもらう企画もあります。旧長谷川邸(国重文)、松坂城跡、本居宣長旧宅(鈴屋)、御城番屋敷などメインの観光施設へは歩いて行けます。半日あればすべて周遊可能。おいしい食事も堪能できます。これが強みです。

丸山 伊勢志摩サミット以降、観光客数に変化は?

竹上 あきらかに増えています。特に海外メディアの取材が増えてきました。地道な努力が実を結びはじめています。

丸山 MRJ(三菱リージョナルジェット)に関連して、三菱重工松阪工場が本格的に稼働を始めました。松阪市としてのお考えは?

竹上 市政運営で「子育て」とともに重要なテーマが「雇用」です。問題は雇用のミスマッチにありました。希望の職場、提供できる現場の乖離です。MRJの生産拠点がこのまちに誕生したことは、まさに〝土性選手の金メダル級〟。夢があります。南勢地域の人にとっての生活文化圏は松阪にあります。これは立場を変えれば、松阪の文化が東紀州にまで及んでいるということです。松阪は南三重の玄関口と言えるのではないでしょうか。南三重の人口はおよそ53万人。高校22校で13,300人の生徒がいます。あらゆる企業に来ていただいても対応できます。しかも、今回は夢の航空産業ですからマッチングしないわけがない。有り難いことです。文化圏形成のための素地はできているように思うのです。

丸山 リオデジャネイロオリンピック金メダリストの土性沙羅さんについてお伺いしたいのですが?

竹上 市民にとってたいへん名誉なことだと思いました。凱旋パレードには1万5千人ものみなさんが駆けつけ、リオでの奮闘をお祝いしました。 彼女に対する協賛品を募ったところ、松阪肉やお米など、24品もの祝福と感謝の気持ちを寄せていただきました。

丸山 これからの市政運営に向けて「総合計画」について教えてください

竹上 「総合計画」を作るにあたって心掛けているのは定量指標、つまり努力目標を数値化することです。「住みやすい」と言っても具体性に欠けます。ゴールを明示し、自分たちの努力の結果も数値として報告する。失敗してもよいからチャレンジする風土を作って行けば、必ずまちは活性化します。それに呼応して民間企業も各種団体も気持ちを合わせてくれるでしょう。反対に、ゴールを数値化しなければ、実行しない理由ばかり考える行政になってしまいます。まず、自分たちが定量指標を示し、達成に向けて努力します。後日、達成割合を評価。これを繰り返していけば、まちは必ず変わってきます。こうした姿勢に鼓舞されて、職員のモチベーションも上がることでしょう。そういう風土づくりが、市長1年目の私の務めと受け止めています。次年度には成果を出したいと思います。

丸山 数値化することが重要なわけですね。職員同士、共通の認識を持ち、市民に明示することが市政への信頼感を高めることにつながりますね。ありがとうございました。理解しやすい「総合計画」でした。それでは、最後に個人としての目標と夢をお聞かせください。

竹上 仕事の終着駅はこの市長職にあります。次とか他にという考えはありません。選挙戦を通じて訴えたのが、「地味だけど良い政策を」ということでした。首長が目立つ必要はありません。まちが目立てば、そして、市民が輝いていればそれでよいのです。私も50代半ば。「来し方」を振り返るべき年齢なのでしょうが、実際は忙しさに追われて…。

丸山 たいへん堅実で、確実に丁寧に一つひとつ政策を積み重ねていかれる性格とお見受けしました。必ずや、成果は上がってくるものと信じます。本日は長時間にわたり、誠にありがとうございました。

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