四日市市議会議員にトップ当選
そんなこんなで地元四日市市に戻り、市議会議員選挙に向けた活動を始める訳ですけど、私が四日市で知っている人って言うと、親戚と小中高の同級生まででした。殆ど全ての四日市市民は「森智広って誰?」となりますよね。10カ月の間に、とにかく1人でも多くの方に存在を知ってもらう必要があると考え、朝の駅に立ち始めました。毎日、四日市市のどこかの駅に立って市民の皆さんに「おはようございます!」と声を掛け、自らの思いや市政の課題や政策を綴った会報を配りました。その他にも街頭演説や挨拶回り等、必死で取り組みました。根性はあるので、歯を食いしばって気合と根性で走り続けることが出来ました。その結果、なんと5493票でトップ当選させてもらいました。当選出来るかどうかのぎりぎりのラインと思っていましたので、あの結果はホントに自信になりました。市議会議員に当選した後も市長に当選した後も駅立ちを続けているのは、やはり自分の政治家としての原点は、必死に駅に立って自らの思いを訴え続けて来たことだと思うからです。市長になった際には、市長が駅立ちをやるものではないと言われたこともありましたが、公務には支障が出ない様にスケジュールを調整して、今でも定期的に駅立ちを続けています。私の政治家としての初心を思い出させてくれる活動で、政治に向き合う気持ちを熱くしてくれます。
市議会議員の仕事に全力投球
市議会議員の仕事はとても充実していました。市政に関わっているという重責を感じながら、自らの判断でどんどん動きました。一つ一つの課題解決がまちの未来に繋がることを肌で感じることが出来ました。政治家ならではの苦悩はありましたが、それを超えるくらいのやりがいを感じていました。特に、公認会計士をやっていたので、その知見を活かし多くの提言ができました。予算審議においても数字に基づいた議論にこだわりました。数字を示しての提言や問題の指摘は、多くの方から「わかりやすい」との声を頂きました。とても嬉しかったですね。
それと、議員としての強い使命感を持っていました。カッコつけている訳ではないんですが、長いものに巻かれるような政治家にはなりたくなかったです。「あかんもんはあかん」って言える政治家になりたかった。「正義を貫く政治家」が自分の理想とする政治家像でした。例えば、財政的な視点が欠けていれば、持続可能な自治体運営は出来ません。その視点が無いと、予算拡大、サービス拡大一辺倒な議論になってしまいます。サービスを拡大するにもその財源論や行財政改革の議論が必要です。時には、事業廃止や予算削減について踏み込まなければなりません。人が言えないことを言う。時として「人に嫌われる政治家にならなければならない」という思いを持っています。妥協はせずに、問題に真剣に向き合うというスタイルが私の政治家としてのアイデンティティーになっています。
四日市市長に当選
東京から帰ってくるときの「四日市市長という立場で、まちの未来を切り拓いていきたい」という思いは、市議会議員として活動しながらも常に心の奥に持っていました。そして、2期目の途中で市長選挙への立候補を表明しました。議員として充実した活動は出来ていましたが、四日市の未来に大きな不安を感じ、強力なリーダーシップによる市政改革の必要性を強く感じていました。市政のかじ取りを自らが担い、ダイナミックに市政を動かしていくんだという強い思いが背中を押しました。
客観的に見たら無謀な挑戦でしたが、「自分が市長になってまちを変えるんだ。そうしなければまちは良くならない」って本気で思っていました。だから、この想いを多くの人に伝えていけば、必ず良い結果が出ると確信していました。
振り返ると、私は本当に多くの方に支えられ、環境や運にも恵まれていたと感じます。そして、一つ一つの挑戦の積み重ねの結果、今があるとつくづく思います。一つでも欠けていたら今の自分はありません。たまに「まだ公認会計士試験に受かってない」っていう夢を見ることがあります。起きて現実を確認して、過去を振り返り「これからも頑張っていかなあかんな」ってなるんです。
四日市は可能性を秘めた街
市長は市民のみなさんの生命と財産を守り、まちの未来を切り拓いていくという大きな責任を担っています。市長の思いが全て実現出来る訳ではないんですけど、市政の最高意思決定者という立場は非常に大きいです。新たな施策が実現することはすごく嬉しく思いますし、その分責任も伴うので緊張感はあります。市役所自体はしっかりした組織で職員も優秀な者が多いので、誰が市長でもある程度、市政は動いて行きます。市長が変わったらまちが一気に崩壊するなんてありえません。ただ、他の自治体との差別化を図っていく、街の特色を出していくところは、やはり政治家がリーダーシップを発揮して大きな方向性を示す必要があります。まちのイメージを創っていく。市長の役割ってそこかなと思うんです。私は「子育て・教育を一丁目一番地でやっていく」という政策を掲げて最初の選挙に臨みましたので、これまで重点的に取り組んできました。この数年で四日市市の子育て・教育に関するサービスは各段に向上し、市民アンケートを見ていても「子育ての施策に満足している」という回答が右肩上がりで増えています。
それと、四日市市って非常にポテンシャルの高いまちなんですね。三重県で一番の人口を有していますし、経済規模もある。これからの展望を描くにしても、すごく可能性を秘めたまちだと思うんです。例えば中心市街地の再開発プロジェクト。今、近鉄四日市駅からJR四日市駅までの中央通りを中心としたエリアの大規模な再開発を行おうとしていますが、これも体力が無いまちだったら絶対できないプロジェクトです。
世界最大級の半導体工場や石油化学コンビナートが立地しており、税収も安定しています。道路インフラでは、北勢バイパスの整備が進められていますし、四日市港の新規事業も始まりました。また、今、リニア中央新幹線の開通を見込んで名古屋が活気付いており、その名古屋の経済圏に位置していることも含めて、四日市は恵まれたまちと言えます。今後は、名古屋との結びつきをもっと深めていくことが、四日市が生き残っていく道だと考えます。三重県の中の四日市っていう位置づけもありますが、やはり「名古屋経済圏の西の中核」というポジションを確立するべきだと思うんです。そのためには名古屋との接点となる近鉄・JR四日市駅の駅前を整備し、鉄道を通じ名古屋との太いパイプを作っていくべきです。
殆どの自治体が人口減少、少子高齢化でかなり厳しい状況です。四日市も同様の課題に直面していますが、まだその影響は小さいです。ですから、まちの延命を図る政策じゃなく、まちの成長を促す攻めの政策を打っていける、大きな可能性を秘めているまちなんです。
バスタを核とした近鉄駅からJR駅までの再開発計画
まちの魅力を高めていく為に、中心市街地の機能向上を図り、活気あふれるエリアとしていていこうと今、いくつもの事業からなる大規模な中心市街地再開発プロジェクトが動き始めています。その事業の一つとして、近鉄四日市駅周辺3か所(東側、西側、南側)に分散しているバス乗り場を1か所に集約し、バス利用の利便性向上、交通インフラの充実を図る「バスタ四日市」があります。これは、当初、市の事業として進めていましたが、国が全国展開を図ろうとしている「バスタ」の事業と方向性が合致していたことから、国の直轄事業として新規事業化されました。とても、ありがたいです。これが完成すると、近鉄四日市駅周辺が三重県の一大交通結節点となります。
また、近鉄四日市駅の東西にペデストリアンデッキの整備も行います。近鉄四日市駅の2階から外に出てそのままデッキを通ってバスタへの移動、中央通りの横断ができるようになります。中央通りを信号を待たずに渡れるようになり、駅周辺の回遊性が高まります。そして、現在、近鉄ホールディングスと折衝中のスターアイランドの跡地への新図書館の整備が実現すれば、図書館ともペデストリアンデッキで繋がることになります。凄いエリアになりますよ。とても楽しみです。
更に、JR四日市駅周辺での施設整備も今後検討していきます。JR四日市駅から港まで抜けられるような連絡通路も造って、将来的には四日市港の四日市地区をもっと人々が憩えるような場所にして、近鉄四日市駅、JR四日市駅そして四日市港までを大きな面として一体的に開発していきたいですね。
四日市は今から大きく盛り上がっていく
新型コロナウイルスとの戦いはまだまだ続きますが、その一方で今、少しずつ明るい光も見え始めています。ここからが四日市の見せ場です。コロナ前、四日市はまちの活気や雰囲気等、かなり良い状況でした。これから、様々な活動が再開されていきますが、これらをまちの盛り上がりに繋げていかなければなりません。そして中心市街地再開発プロジェクトが本格的に動き出します。まちの活性化の起爆剤になること間違いありません。正に、絶好のタイミングです。
生まれ変わった中心市街地に人々が集い、賑わい溢れる元気な四日市の姿を早く見てみたいですね。本当に楽しみです。ご期待ください。
【取材】2021年11月
森 智広氏プロフィール
昭和53年5月27日、四日市市生まれ。
現住所:四日市市水沢町
最終学歴:早稲田大学大学院公共経営研究科修了
平成15年、中央青山監査法人入所
平成18年、あらた監査法人入所
平成19年、公認会計士登録
平成21年、プライスウォーターハウスクーパース株式会社入社
平成23年、四日市市議会議員初当選
平成25年、税理士登録
平成27年、四日市市議会議員2期目当選
平成28年、四日市市長就任
令和2年、四日市市長2期目就任
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