【寄稿】木村哲美
隷書から草書・楷書が生まれ、そして行書が誕生した
ご存じのように漢字は約3300年前の中国で生まれました。その漢字の基となったのが、亀の甲羅や動物の骨に刻まれ、絵に近いような形をした甲骨文字です。この甲骨文字の後に生まれたのが青銅器の表面に刻まれた、金文(きんぶん)と言う文字です。
中国統一を成し遂げた始皇帝は字体を統一するために、甲骨文字や金文を基礎として小篆(しょうてん)を定めたのですが、小篆は複雑難解な字で実用的ではなかったため、人々は書きやすいように簡略化し曲線を直線にして書くようになり、やがてそれが、隷書(れいしょ)という書体にまとまって行くのです。
隷書は古代中国で正書 【※1】となった書体で、隷書こそ現代漢字書体の基礎(基本)になった書体です。日本の紙幣に書かれている「日本銀行券」や「壱万円」といった文字は隷書で書かれていますし、この隷書から草書・楷書・行書の三つの書体が生まれました。
中国では書を書き始めた子供たちは、この隷書を書く事から練習を始める、と聞きました。
隷書の特徴
隷書は字形が扁平で点画が角張っているのが特徴で、この書き方を方筆(ほうひつ)といいます。始筆が逆筆 【※2】、蔵鋒 【※3】で筆の運びは中鋒で書きます。書き始めで逆筆と蔵鋒の形をとり、筆の穂先が線の真ん中を通る(中鋒)ように筆を動かすので、穂先が線の中に隠れ、始筆(起筆)と終筆(収筆)の部分が丸くなります。
運筆は始筆(起筆)、送筆、終筆(収筆)とも一定の速さで書き、線に強弱がありません。横画は水平で縦画が垂直、原則左右対称に書きます。基本的には水平ですが、まれにドーム状に膨らんでいるものもあります。また、横画や縦画が連なっているときは、線と線の間は等間隔になり、線の両端から字の中心線までの長さが同じです。転折は別画として書きます。折れの部分を楷書では一画で書きますが、隷書では別々の画として書きます。
隷書を早書きしている過程で次第に崩されていき、草隷(そうれい)という新しい書体が現れ、やがて草書が生まれました。一方で、隷書をさらに直線的に書いたものが楷書となり、隷書と草書の長所を生かした書体として行書が生まれました。
行書(ぎょうしょ)とは
行書も草書と同様に正書ではないので、厳格なルールは存在せず自由な表現をすることができます。行書は特に表現の幅が広く、直線的に書けば楷書に近いものになり、点画を連続させて曲線を増やせば草書に近いものになります。書き方次第で様々な表現をすることができるという点が行書の特徴であり、最大の利点で、この自由さが行書を愛してやまない理由なのです。
行書のポイントは筆脈を意識することにつきます。字を書く時に実線では結ばれていないけれど気持ちの上で繋がっていることを筆脈と言い、言い換えれば、目には見えない点画のつながりのことを言います。行書では筆脈が線となって現れ、実線よりも細く薄く勢いよい線になります。
個人的には、正書では無いけれども、行書こそ王道の書体だ!と思っています。趙之謙(ちょうしけん) 【※4】や齊白石(さいはくせき)【※5】 の行書を好んで臨書 しています。
習字と書道は違うのです
習字とは、文字通り、文字を習うことで、美しく書くための練習であり、お手本のとおりに書くことを指します。読み書きそろばんのひとつと言えるでしょう。ほかの言い方では、「書き方」とか「書写」とか言われ、毛筆だけでなく、ペン字や鉛筆などの硬筆も習字に入ります。
書道とは、毛筆を使って文字を書き、お手本を見て美しく書くことだけではなく、そこに個性を出しながら自分を表現する一つの芸術と定義づけられます。
精神修養的な要素を指して書に道がつき、日本では「書道」と呼ばれているのですが、習字と書道は違うことを理解していない人が書を学ぶので、どおしても真似る書になってしまうのだと思います。
日本人は何かと流派をつくりたがる
日本の流派はたいてい一子相伝で、親から子へ、子から孫へと伝えられ、それは「道」と呼ばれるものになっていきます。剣の使い方は剣道になり、花の生けかたは華道になり、お茶の入れ方は茶道となります。
それは何事にも「道」と呼べるほどに打ち込みたくなる日本人の精神力を意味すると同時に、与えられたものを守ることに能力を注ぎたくなる日本人の短所をも意味しています。書において、その文字や筆の運びが意味するところよりも、師匠の技をマスターすることを大事に考えてしまうのはそのためです。
日本の書道、それは「手本」を書き写す「習字」の域を出ていないと私は思っています。本来、書の手本は古典であるべきで、ひたすら古典の臨書をして学ぶべきなのです。日本では多くの人が古典の書法を意識していないのです、手本を写すことは上手になっても、点画の筆の運びを理解できていないのだと思います。弟子がみな同じような書き方をしているのを見ると、指導するというのは、弟子に自分の流儀を真似させることなのかと考えさせられます。
師匠に手本を書いてもらっても、それをそのままマネせず、落款も自分で彫って、自分で捺印するのを良しとしてくれたのは、師匠の「真似をせず勝手に自分の道を進め」という教えなのだろうと前向きに捉えています。独学と師匠を持つことの違いは、五里霧中でいるか、いつでも道を問える人が居るかの違いであり、普段は用無しでも備えのある安心感だと思っています。
古典臨書
書の世界において古典臨書は伝統的な学習方法で、それは絵画の世界における「デッサン」(素描)と同じようなものです。現在、日本の小中学校の書写の授業や、多くの書道教室では先生が書いたお手本を見て、それを真似て勉強していますが、これは臨書とは相反するものなのです。
臨書【※6】とは基本的に古典を「写実的に書き写す」ことを言います。その古典が持つ雰囲気というものの存在は非常に重要で、筆という不安定な道具を使用して写実的に隅から隅まで徹底的に忠実に表現して学ぶことは非常に難しく奥深いことなのです。
古典の前では書き手は謙虚であるべきで、技法に答えは無いのです。筆を傾けずに書くのが正解だという会派も存在しますが、傾けた方が自然に書ける事もあるのです。古典を細かく見て写実的に書くことによって、技法が自然と身について行きます。「書はリズムから出来ている、リズムの無い書はただの字だ」と言われました。小中学校の書写の授業でも書道教室でも、先生の手本を真似るより古典の臨書を徹底的にやるべきです。
皆さんが書道界での作品展を見に行くと、臨書学習が端折られて、先生のお手本を見て真似て書くということが行われているのが良く分かります。また書道を楽しむことや、個性を創っていくことを大切にせず、作品展で受賞することばかりを目的として、それを実現するためのお手本を書いて悦に入っている先生もいたりします。
こういうものは先生の名誉を築き上げるものであって生徒の本当の実力でも無く、価値もないものなのです。それぞれが好きな書体、書風などを無視し、皆で先生の得意とする書体、ジャンルで書く、だからクローン書道軍団、書道展が日本中にあふれているのです。
例え憧れている書道家がいたとしても最初からその書道家の作品を真似て書くのは邪道だと思います。純粋に古典と向き合って自分を磨き続けることの方が何事にもまして重要だと考えます。古典があれば永遠に学び続けられますし、永遠に成長し続けることができます。一つのところに落ち着くことなく、絶えず変化を楽しむことが出来るのですから、こんなに楽しいことは無いのです。
書は緊張感を楽しむ芸術
東京美術学校(現・東京芸術大学)を創設した岡倉天心は、書は文字の大小、配列、形を工夫する「美術である」と言いました。
書は書く芸術、筆触の芸術で、「書く」というのはその瞬間を表す行動と捉えます。だから書という芸術は、絵を描く事、歌を歌う事、楽器を弾く事と同じように、活動としてのその瞬間に、どのような気持ちを持っているのか、なぜ書くのか、どのような感情で書くのか、などに左右されます。紙の上で筆と墨を使って、いわゆる「瞬間の意図」を重視して書くのが書です。揮毫(きごう)【※7】に至るまでの練習・準備などはあるにしても、揮毫のわずかな瞬間に引かれた消すことのできない線が作品として生まれます。その瞬間に感じられる緊張感を楽しむ芸術なのだと思います。
日本と中国の書はかなり違う
書の事を、日本では書道、中国では書法と呼びます。呼び方が違うだけではなく、その中身はかなり違います。
台湾や中国には日本の様な流派は全く無いわけではありませんが、その縛りは極めてゆるく、あくまで個としての力量によって作品を評価していきます。書はあくまでも個人の内面を表現するものであり、良い書を書けなければ、ただの人であり、尊敬に値しない実力主義の世界なのです。このように中国では、技法を重視することから「書法」と呼ばれています。
日本では、柔道、華道、茶道と何でも道を使います。書道は、技術から学ぶ事に重点を置くので、〇〇流という流派がたくさんあり、先生のスタイルをどこまで真似られるかが重視されます。これは一種の求道的な意味合いが込められて、書の結果ではなく、書を書く練習、工夫などの精神面を含めた鍛錬の過程を重視しているために、装飾的、図案的な平面の調和という事に進みやすいのではないでしょうか。しかし軽妙な流れに乗った純粋さは、日本の書の長所かも知れません。
中国の書法は、ズバリ結果です。技法を学ぶ過程よりも結果としての作品の完成度や精神性を重視しています。中国の書には強い骨格と重厚な精神とに根ざす複雑なものを感じさせます。また、日本の書には叙情的で物柔らかい感覚的な味が求められて優美さが目立ちますが、中国の書には個性的な体臭が強く表れ、重厚で荘重的な深い瞑想感が表れています。
中国人は起筆や終筆を大事にし、日本人は起筆をおろそかにする傾向が見られます。中国の書には力強さと複雑な内容がありますが、日本の書では優美、流麗さが求められ、軽快明朗であり純粋さは日本の書が優っている点だと思います。
こんなにも違う筆の持ち方
日本と中国、一見して分かる違いは筆の持ち方と角度ではないでしょうか。
日本では筆の角度を垂直よりも少し右腕の方向に傾けて書くのが普通ですが、中国では常に筆を垂直にして書きます。直筆が基本なのは、前後左右どちらにも倒すことが出来るからで、腕は机につけないで書きます。懸腕・直筆でく事から、「懸腕直筆」と言う四文字熟語が生まれました。
中国では線に変化を求めようとする人は少なく、日本では線質に変化を求めるので、華麗な筆使いや筆の角度が重要なのだと思われます。筆の角度、緩急、強弱などは日本書道の特徴であります。
中国では5本の指は全てそれぞれの役割があり、5本指で一画一画繋がっているような構造で崩れにくい字を書きます。五指執筆法(ごししっぴつほう)と言い、五本の指をすべて使って筆を持ち、立腕といって掌、特に手首を筆に対し直角になるように曲げ、Xuan zh?uと言って、肘と机に空間を作って字を書くのを基本としています。このように、甲を上げて人差し指中指薬指小指が軸を押さえて、親指が上を向く持ち方をして書きます。この持ち方は、軸が真っ直ぐになるのでとても安定した持ち方が出来ます。
字は書きたいように書けばいい
筆の持ち方はとても大切で、持ち方によって線質が大きく変わるのです。持ち方が正しければ筆の扱いが良くなり、筆の扱いが良くなれば筆がスムーズに動き、筆がスムーズに動けば文字を美しく書けます。文字の美しさは筆使いによるところが大きいのです。
筆を三本の指で持つ持ち方を『双鉤法』(そうこうほう)と言い、人差し指、中指を自分側に押し、それを親指で逆(外)側に押さえ返えします。二本の指と親指が軸を押しあって筆が真っ直ぐになる感じです(薬指小指は添えるだけ)。筆を二本の指で持つ方法を『単鉤法』(たんこうほう)と言いますが、安定感に欠けるので、私はこの持ち方で書くことはほとんどありません。
また筆を持つ位置は、基本的には軸の真ん中より少し上を持つのですが、軽やかな字を書きたい時は軸の上の方を持ち、強い字を書きたい時は軸の下の方を持って書きます。
でも「筆は持ちたいように持てばいい」のですし、「字は書きたいように書けばいい」のです。そして、私を含めて初心者は厳格に立腕や五指執筆法を守り、古典を臨書して書を楽しむための自分の字を一刻も早く見つけ、好きなように筆をもって、好きな自分の字を書きたいように書きたいものだと思います。
さあ、今すぐに図書館へ行って法帖を調べ、自分の好きな古典の書を探そう!そして、その古典の隅々までを写実的に臨書し、自分の字を見つけよう!
【※1】正書は、字形を崩さずに書く最も標準的な書体のことで、現代は楷書(かいしょ)の事をいう。
【※2】逆筆とは、軸で毛を押し出していくような書き方で、穂先を紙にやや押し付けるように書く。
【※3】蔵鋒とは、起筆の技法の一種で、穂先を逆の方向から入れて線の内側に包み込むようにして書く。⇔露鋒
【※4】趙之謙(ちょうしけん/1829年7月9日-1884年10月1日)は、清末の書家・画家・篆刻家。
【※5】斉白石(さいはくせき/1864年1月1日-1957年9月16日)は、清末から中華人民共和国の画家・書家・篆刻家である。現代中国画の巨匠と評される。
【※6】臨書とは、基本的に古典作品を見ながら書くことです。臨書には形臨、意臨、背臨の三種類があり、形臨は技術面の習得を目的とし、字の形を真似することに重点を置いて書きます。意臨ではその作品が生まれた時代背景や作者の来歴、精神を汲み取って書きます。背臨はその作品の書風を自分のものとして取り込んでいくことを目的とし、作品を記憶した後、見ないで書くことを言います。
【※7】揮毫(きごう)とは、毛筆で何か言葉や文章を書くこと。「毫(ふで)を揮(ふる)う」からこの語がある。
追記:わが心の師匠 中川一正【※8】 の言葉
●書の分からぬ人は読みたがる。画の分からぬ人は、まず何が描いてあるかを見る。
●そもそも初めに書を書いた人には拓本も無く法帖も無く、どう書けという規則も無かった。
●書道が書いているので、人間が書を書いているのではない。
●本当の書家は門外に居る。良寛や副島種臣(そえじまたねおみ)は門外の人である。
●蟹のような字を書く先生の弟子は、みな蟹のような字を書き、柳のような字を書く先生の弟子は柳のような字を書く。
●無心にその人の力量だけの力を出していけばよい。そういう素直な心が出るだけで書は楽しいのだ。
●書画同時、書を書くことは自分を正すことである。