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株式会社中村製作所社長 / 山添卓也

山添卓也 中村製作所

「空気以外何でも削ります」父親の残したその言葉と時に葛藤しながらも、メーカーとして会社の新しい道を切り開きたい、という夢を模索し続けた若き経営者、山添卓也。彼の強い想いが、ベストポットという画期的な商品をこの世に生み出した。

まず、会社の沿革を教えて下さい。

 前身は1914年、大正3年操業の中村製作所という漁網の編み機を作る会社でした。でも戦時中、空襲で工場が焼けて休業。1969年、祖父の中村功が部品加工業として再スタートしたんです。その後、昭和53年にこちらに引っ越しました。

若くして会社を継がれたんですよね。大変ではなかったですか?

 父は2001年になくなりまして、私が急遽、社長になったんです。24歳のときでした。父と一緒に働いたのは実質一年もなかったかな。その時、社員は15人ほどでしたが、ほとんどが先輩の職人さん。新人の若造がいきなり会社のトップになっても、信用してもらえないですよね。信用してもらえないのは外部の会社も同じで、父親だから来てた仕事が来なくなったりしました。右も左もわからなくて、ほんと大変でした。でも無我夢中でやってるうちに、徐々に仕事は増えていきました。2008年までは右肩上がりで売上も利益も増えてましたね。

売上が伸びた原因はなんだと思いますか?

 父親はなんでも自分でやる職人肌の人だったんですけど、自分は何もできません。だから必死で考えたんです。取引先は一社だけだったんですけど「自分の会社はなんで仕事をもらえてるんだろう?」「お客さんの会社は何を求めているんだろう?」。そんなことをいろいろ考えて、これもできます!あれもできます!って提案していったんです。それで、たくさんの仕事がうちに流れてくるようになりました。

その後、リーマンショックで売り上げが激減したんですね。

 一社取引の弊害でした。それまでうちに仕事を発注していたメーカーさんの売上が半減。経費削減の必要に迫られて、仕事の内製化に取り組みはじめたんです。それで、一番の発注先であるうちの仕事が削られたんです。売上が90%ダウンになって、残りの仕事も20%のコストダウンを迫られました。

どう対処されたんですか?

 黙って言うことを聞くしかなかったですね。結婚して子供も生まれて大変な時期なのに、お先真っ暗でした。従業員は30人ほどいましたけど、リストラだけはしたくなかったので、雇用調整助成金をもらってなんと社員を解雇しなくて済みました。でも、毎月赤字のたれ流しでした。その時、親父の言葉が支えになったんです。「空気以外、何でも削ります」って。その言葉を思い出して、初心に戻るという感じで、選ばずに仕事を受けるようになりました。

売り上げを増やすために、どんな取り組みをされたんですか?

 新規のお客さんを増やすにはどうすればいいか?いろいろ考えて、展示会や商談会に積極的に参加するようになりました。一番最初に参加したのが『三重リーディング産業展』です。チタン製のワイングラスを展示会に持って行ったら、たまたまそれを見た人がグラスの後ろのロゴをみて「印鑑は作れないの?」と言ったんです。「印鑑なら自社ブランドで作ることができるな」と思い、印鑑制作にチャレンジすることにしました。でも僕たち「作る」ことはできても、クリエイティブな意味での「創る」ことはできません。なので、岡田心さんというデザイナーさんと契約して、デザイン面をおまかせしたんです。そうやってできたのが、チタン製の印鑑の『サムライン』です。「侍が刀を抜くときと同じような覚悟をハンコを押す際にももってもらう」という意味を込めてネーミングしました。2015年にグッドデザイン賞も頂きました。でも翌年にはベストポットの開発が始まったので、『サムライン』は今はあまり宣伝していません。

ベストポットを開発しようと思ったきっかけは?

 リーマンショックのとき思ったんです。一生懸命、土日なしで働いていても、こんな簡単に切り捨てられるんだって。父の決まり文句は「空気以外は何でも削ります」ってことでした。でも、僕はその言葉が好きじゃなかった。そんな大きなことを言っても、下請けをしている限り、切られるときは簡単に切られてしまいます。だから、自分たちが誇りを持てるようなオリジナルの製品を作りたい、メーカーになりたいと思うようになりました。
そんな時、美濃焼のメーカーの社長さんと仲良くなりまして、2016年の年末にご一緒させて頂いた時、言われたんです。「陶器は削れないの?鍋を削って薄くて密閉できる鍋が作れたら、無水調理や圧力調理のようなことができるんだけど」。陶器は壊れやすいので、削るっていうのはあまり聞いたことがなかったんですけど「空気以外は削れるんだろ?」と言われまして(笑)。陶器は材質でいうとセラミックで、調べたらセラミックを削る方法は確立されつつあることが分かったんです。いろいろ試行錯誤した結果、ダイヤモンドの砥石を使ったら削れることが分かりました。それで、鍋作りにチャレンジすることにしました。翌2017年の春には試作品が完成しました。鍋とふたのすきまがなくて、100分の1ミリのものを通そうとしても通せないんですよ。精密すぎて蓋と鍋が外れないので、今はあえてほんの少し開けてありますけど。
でも、量産化にあたって問題がありました。美濃焼は茶碗や湯飲みは多いけど、土鍋は少ないんです。それに対し、四日市の萬古焼は土鍋のシェアが8割。「せっかくだから地元の萬古焼でやってみれば?」と美濃焼の社長さんに言ってもらいまして、それで萬古焼のメーカーさんに相談したんです。でも「こんな形はできない」とほとんどの会社に断られました。2重構造が難しいんだそうです。それで、高校時代の友人がやっている会社に相談したら「なんとかできそうだ」と言われたので、そこで製品化することになりました。

萬古焼を使った製品化は、順調だったのですか?

 いえ、大変でした。削る段階でいろいろ問題が発生したんです。最初は削る幅も大きくて、削るだけで1万円ぐらいのコストがかかりました。これではとても売れないので、削る面積を減らしたり、効率よく削れるように道具も自社で作ったりして、なんとかコストダウンすることができました。デザインも試行錯誤しましたね。最初はもう少し背が高かったんですけど、女性がかわいいと思うようなものにしようということで、少し丸みを持たせました。美しさと機能性を両方、実現するのは大変でした。14回ぐらいデザインが変わったかな。それでも1年ぐらいで「これなら売れるだろう」というものが完成しました。

発売してみて、売れ行きはどうでしたか?

 開発も大変だったんですけど、販売の方がはるかに大変でした。製造業は作ることはできるけど、販売は未知の部分じゃないですか。発売したのは2018年の4月なんですけど、最初はテレビ等でこぞって取り上げて頂いて、何もしなくても勝手に売れました。でも次第にもの珍しさがなくなってきて、売れなくなってきたんです。昨年は売れない時期が長かったですね。転機になったのは、去年の12月に『ガイアの夜明け』で取り上げてもらってからです。それで一気に売り上げが増えました。売れるだけじゃなく、売りたいという申し出も増えました。おかげで販売も見えてきた感があります。

『ガイアの夜明け』なんて、普通とりあげてもらえないですよね。

 そうですね。奇跡だと思います。あと、芸能人の方がSNSで紹介してくれたりしました。ドラマの中でも何度も使われてるんですよ。『恋は続くよどこまでも』『私の家政婦なぎささん』とか、毎クール2~3本使ってもらってます。展示会に出品していたら、たまたまテレビ局の美術の人がきて「これをドラマの中で使いたい」と言われたんです。そんな展開になることはまったく想定していませんでした。どう売っていくのか?ということは、やはり経験してみないとわからないと痛感しました。我々のような小さい会社は、お金が無尽蔵にあるわけではありません。ですから、どこにお金をつぎ込めばいいか?少ない金額でどう効果を出すか?という点は、いろいろ試行錯誤しながらやっています。

今、販売は順調ですか?

 おかげさまで、今は『ガイアの夜明け』の影響で、入った注文をこなすので精一杯です。あと、2020年6月にbest pot mini、best pot mini shallowという小さいタイプのものを発売しました。従来のベストポットは、21,000円~(税別)なんですが、こちらは12,000円~(税別)なので、一人暮らしの女性にも気軽に使って頂けるんじゃないか、と期待しています。

今後は、どういう展開をお考えですか?

 ベストポットを飲食店で使ってもらえればいいなと思っています。BtoBということですね。道場六三郎さんの店や、他の飲食店さんで使ってもらえるという話が進んでいたんですが、今、コロナの影響で飲食店さんは厳しいじゃないですか。ですから、そのあたりは全く先の見通しは立たなくなりました。

ではもう少し先、例えば5年後を見据えての展開はどうですか?

 IH対応の調理器具など、家電のような商品をいろいろ開発していきたいと思っています。バーミキュラーという名古屋の会社が、家電を開発したら売り上げが6倍になったんです。その会社は飲食店も構えていて、そこで自社の製品をPRしつつ使っている。我々もそういう展開ができればいいなと思っています。ベストポットが有名になれば中村製作所も有名になるので、そこから中村製作所の顧客になってもらうという相乗効果にも期待しています。
あと、四日市を活性化したいという想いはあります。萬古焼の存在感って薄くなってますよね。それに、全国的には知られていませんが、四日市はお茶の産地でもあります。アメリカに行ったとき知ったんですけど、アメリカ人は抹茶をすごく飲むんです。コーヒーよりも抹茶なんです。向こうは健康ブームで、植物系のものしか食べない「ビーガン」というのが流行ってるんです。昔の「ベジタリアン」と似た感じかな。それで、日本茶がすごく売れてるんです。ですから、ベストポッドのティーポット・バージョンを作ったりして、萬古焼と四日市のお茶をもっと海外にアピールするお手伝いができればいいなと思っています。

メーカーとして、いろいろな商品を開発していきたいということですね。

 製造業は売上がジェットコースターのように上下します。米中貿易摩擦では売り上げが激減しましたし、今回のコロナもそうです。父親が会社を僕に継がせるのを躊躇した理由がわかるような気がします。自分の力だけではどうしようもないことがあるんです。そういう意味での苦しみは半端ない。だからこそ、しっかりした目標を持っていないとダメだと思っています。

では最後に、お父さんについて想いをお聞かせ下さい。

 馬車馬のように働く人でした。「ザ・職人」という人でしたね。もの削って、思うようにできるとうれしい、というタイプです。父はよく「生まれ変わってもこの仕事をしたい」と言っていました。父のように寝食忘れて働ける人は今、少ないですよね。そこまで思える仕事を最後まで続けることができた父はある意味、うらやましいと思います。でも、僕は僕なので、父親と同じようにはできない。ですから、自分らしくがんばっていくしかないと思っています。

株式会社中村製作所

四日市市広永町1245
TEL 059-364-9311

ベストポットの最大の特徴は、蓄熱調理ができること。元々、焼き物は鉄鍋より蓄熱性が高い。さらに、蓋と鍋との間に隙間がなく熱を逃がさない、熱を保持しやすい二重構造になっている、赤外線放射率の高い釉薬を使う等により、従来より少ない加熱(ガスでは約半分※料理によって異なる)での調理を可能にした。
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  1. 匿名 より:

    文中、…転機になったのは、去年の12月にNHKの『ガイアの夜明け』で取り上げてもらってからです…
    とありますが、ガイヤの夜明けは、NHKではありません。訂正されたほうが…と、余計なお世話かもしれませんが、こちらからご連絡いたしました。

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