三重の企業人たち

株式会社ふじや本店 光倫会舘

受け継がれる式典文化を老舗として大切にしながら、時代にあった事業を取り入れ、「常にお客様に満足をお届けする」をポリシーとする株式会社ふじや本店。今回、地域活性化の一端を担う新しい試みをスタートさせ、更なる飛躍が期待される。常に時代の先を行く4代目社長、栁川昌彌氏に話を伺った。

葬儀屋なんかになるものか!しかし、神様に決められていた運命

 株式会社ふじや本店の歴史を辿ると、そのルーツは寛永時代にまで遡る。創業者川合勘助氏は四日市地方を中心に、葬儀、祭事を商業としての基盤を築き、その後、2代目川合吉松氏が事業を継承した。
 吉松は時代に合わせた葬具商としての基礎を確立。これまでの葬儀といえば提灯を飾った大八車にご遺体を乗せて自宅から行列でお寺へと向かう「野辺の送り」が主流であったが、時代とともに、葬列による慣習は告別式という、一堂に会する形式に変化していった。この基盤を作ったのが吉松氏である。
昭和30年吉松氏が継承者を決める際、川合家から栁川家に譲渡を決断。
ふじやの4代目を誰にするかということになり吉松は、当時同業者であった栁川紀一氏に息子を後継にしてもらえないかと頼まれる。その息子こそが、現社長の栁川昌彌氏である。
 「私は親同士の絆で後継になりました。当時は自分の人生を半ば親に決められたような気持ちになったものです。今でこそ言えますが、後継者になった当初は嫌々やっていたところがありましたね」
 それというのも、昌彌氏が子供の頃、親がこの仕事をしていたことで精神的ないじめに遭っていたからだ・・・。当時葬祭業は棺屋と言われ、普通の商売ではないと思われていた。
「亡くなった方を送らせていただくのだから本来は聖職に近い仕事なんですが、社会の偏見がひどかった。クラスが変わるたびに『お前のウチ、何やってんだ?』と精神的屈辱に遭う。その後遺症で自分はこの仕事は絶対やらないと心に決めていました」
 しかし、もがけばもがくほど、昌彌氏はこの人生に近づいていった。結局、父親に説得され、昭和30年、20歳でふじやのあとを継ぐことになる。
 昌彌氏はふじやの4代目社長を任されたが、実はその時点で密かにブラジルに渡る計画をしていた。
  「昭和36年の12月に、工業移民としてブラジルのサンパウロに行く事になっていたんです。サンパウロで仕事に就くため、自動車整備士の免許まで取得していました。ふじやでの勤務はサンパウロに行くまでの間のつなぎくらいに思っていたんですが…」
 しかし昭和34年、伊勢湾台風が東海・三重を襲う。昌彌氏は家や家財など全て流されてしまい、ブラジル行きを断念せざるを得ない状況となった。
  「さすがにもう観念しましたね。神様がお前はこの仕事をやるんだ!と知らしめたんでしょうね」
 これを機にふじやの4代目としてやっていく決心をした。仕事を継いでからはもうやるしかないと前向きになった昌彌氏は、その後、光運寺の一角にあった本店を四日市中町に移転させ、さらに昭和54年には現在の松本町北大谷に本店を構えた。

新しい試みで地域活性化の一端を担う

 現在、ふじやは四日市、津、富田に営業所を構え、従業員は107名。こうした中小企業で100人もの社員を抱えるということは、よほどの年商がなければ難しい。だが、ふじやは全国で約1600社ある葬儀会社の中で上位40位に入るほどに成長してきた。その成長の影には昌彌氏の新たな発想があった。会社を繁栄させるために葬祭だけでは限界があると、昭和41年からイベント事業にも参入。以来、全国植樹祭、全国海づくり大会、全国野鳥の会など、県の行う大型イベントなどの企画・立案、会場作りなどを行っている。
 「このイベント事業をする事により、多数の人に顔を覚えてもらい、それがまた本業の大型葬儀などに結びついた。相乗効果で売上を伸ばしたことが大きな飛躍に繋がったと言えますね」
葬祭の仕事は顔と名前を売ることが大事。顔が売れるようになったことが財産だという。
そんなふじやがまた新しい試みを始めた。それは三重の地域活性化とのコラボだ。
 ここ数年前から忌明けの香典返しを当日に返す「当日返し」が定着してきた。その際、物で返す代わりにギフトカタログを渡すのが主流になっている。今回、ふじやでは三重の特産品に特化したギフトカタログを作成した。
 これまでの香典返しのカタログは生活雑貨がほとんどで、巻末にわずかに食品が掲載される程度だった。しかし、三重県には世界に誇る美味しい名産物がたくさんあり、これを多くの人に紹介する手はないと考えた。そこで、県や市などの行政と地域発展のための活動を行うNPO法人と一緒になり、三重県の産物を広くアピールできるツールとして取り組むこととなった。
「香典返しのカタログは参列した方すべての手に確実に渡る為、生産者にとって確実な販売ルートの確立ができる。カタログをお渡しする時点で、施主様がすでに支払いをしている状態なので頂いた方は選んで注文するだけ。確実に商品が流れる仕組みになっています」
 6月初旬に行われたカタログ掲載商品の選定会には20社ほどの地元企業、生産者が集まり、NPO法人、三重県副知事、桑名商工会議所、みえ熊野古道商工会なども参加し、三重県をアピールするにふさわしい商品を吟味した。
 参加企業、生産者には株式会社柿安本店、株式会社歌行燈、株式会社総本家新之助貝新、銀峯陶器株式会社、など三重県下の一流企業、生産者が揃った。
「香典返しの商品として一度頼んだものが美味しかったらまた食べたくなる。じゃあ、友達にも贈ってあげよう…そうやって本当に美味しいものは一度食べて、価値がわかって広がっていく。時間はかかるが確実に浸透する。このカタログがそういうきっかけになればと思います」
 葬儀に参列する人の中には三重県外の人もいるだろう。そうすればこのカタログの中の商品を手にして三重県にはこんな美味しいものがあると、県外にも商品をアピールできる。一度注文して、再度注文するときは直接生産者へ注文する仕組みになっており、これは生産者側にとってリピーターを呼び込める確実な方法でもある。
 このカタログが軌道に乗ればカタログに商品を取り上げてほしいと名乗りを上げる生産者も出てくるだろう。まだ名は知れていないが、いいものを作っている生産者を世の中に紹介することができる。新しい生産者を育てる場所としても有効だ。

人のやっていないことをやる。それが「ふじや」である

「香典返しを利用するという発想はふじやだから実現できたプロジェクトでしょう。当社だけの利益だけじゃなく、メーカー、生産者の利益も考えている。誰にもマイナスがない。これは今後成功すると見込んでいます」
この取り組みに昌彌氏も自信満々だ。ふじやでは年間1400件の葬儀が行われる。1件につき、約150人の参列者があればかなりの数の商品が動く。
 「こんないいアイディア、同業者は真似するでしょうね。だから、どこよりも先にウチがやりたかった」
 とにかく業界で一番目にやろうという発想。この業界、人のやっていないことをやらなければ競争に勝てない。
 そんな昌彌氏の今後のビジョンは『次世代の葬儀の確立』だ。
 葬儀の形も時代と共に変わり、昔はご遺体を大八車に乗せ、お寺まで行列をなす野辺の送りで死者を葬った。その後、ご遺体をお寺まで運ぶのが大変だということになり、自宅で祭壇を飾る自宅葬告別式に。車社会になり、ご遺体の運搬が可能になったため寺葬へと変わっていったが、現在はセレモニーホールなどの会館葬が主流となっている。
 「会館葬は便利で機能的。しかし、これからは機能ばかりを追求してもいけない。将来はどんな葬儀を行うべきか、間もなく次の葬儀の形態を考えなければいけませんね」
 残すべき価値ある伝統は残していかなければならないが次の時代を背負っていく新しいアイディアを出していく必要がある。
 そんな昌彌氏にはすでにビジョンがあると言う。これからは放置された里山を切り開き、自然環境を利用した心安らぐ葬儀の実現だ。
  「手入れがなされていない里山の活用ですね。放っておくと人も入らなくなる荒れた里山に手をいれ、自然を残しながら機能を集約させ、人の集まる場所にする。これも地域貢献の一環です。街中ではないが街に近い、葬儀の場所として程よい距離に癒しの場を作り、安らかにお見送りできるような施設を作りたいですね」
 葬儀という仕事は感動を与える仕事。悲しみの中でも、この葬儀を行うことができて良かったと満足してもらえる事。形式だけのものではなく思いのこもった式を提案したい。その思いが、現在のふじやの葬儀に生かされ、そしてこれからの葬儀の形を築いていくのだろう。

「ふじや」が大切にする湯灌の儀

  『湯灌の儀』とは、生まれた時に産湯に浸かるのと同様に、来世でまた新たに生まれ変わって欲しいという願いが込められている。現世の煩悩や、苦しみ、そして汚れを洗い清めることにより、故人が新たな旅立ちがなされるという意味が込められている。
 私たちにとってお風呂とは肉体的、精神的な疲れを癒す事ができる生活習慣とされている。
 故人にとっても、一生の仕事を終えられたわけだから、来世へと旅立つ身支度としてお清めをしてさしあげる事が、ご遺族とのお別れを前にして、最も故人ご本人が喜ばれる儀式で、またご遺族にとっても、故人のこれまでのご苦労への感謝の意味を持つ大切な儀式ではないだろうか。
 『湯灌の儀』は、亡くなられた故人への最期のお心づくしと考えられる。 

代表取締役社長 栁川昌彌氏プロフィール

昭和10年4月20日 79歳 四日市富田出身
昭和34年 4代目社長に就任
昭和54年 四日市松本町に本社社屋を構える

株式会社ふじや本店 光倫会舘

〒510-0836 四日市市松本町北大谷2015
TEL 059-351-1151

-三重の企業人たち

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

株式会社伊賀越 / 本城社長

効率的生産では生み出せない本物の味「天然醸造」という行き方 国産原料と天然醸造が生み出す?本物の味で消費者の強いナチュラル志向に応え、また、ハラール対応や子どものアレルギー対応にも目を配る。細やかな …

no image

株式会社 シー・ティー・ワイ(CTY)

開局25周年。地域の皆様の「安心」「信頼」「快適」「充実」をモットーにさらにサービスを拡充 四日市市本町に本社を置くケーブルテレビ局「シー・ティー・ワイ」は今年1月31日、開局25周年を迎えた。 地上 …

おばたレディースクリニック / 小畑英慎院長

安心、安全をベースに、きめ細やかで快適なお産をサポート お産をとりまく状況は一昔前に比べ様変わりしている。産科医不足が進み、分娩施設は減少の一途を辿る。少子化を背景に、このままの状態が続けば日本は人口 …

オリンピアスポーツクラブ / 森純孝会長

修行の転職、海外で直売。行動力が扉を開く  1850年に創業した森欽窯業株式会社。代々受け継がれ、現会長・森純孝で5代目となる。純孝は昭和18年、四日市市生まれ。大学卒業後、森欽窯業株式会社に入社する …

株式会社プラトンホテル / 佐野貴信社長

自分が従業員として働いていたホテルのオーナーになる。このドラマのようなサクセスストーリーを実現した男、佐野貴信。若い頃から「30歳になったら独立する」と決めていた彼のベクトルは、時に困難に直面しても、 …